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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
14.白い部屋
110/196

14-02 これで、首の……頸動脈を切れってことか

 現実世界に帰ってきたような明晰夢から醒める磯野。目覚めた場所は四方の壁と天井が真っ白の「白い部屋」だった。磯野は外に出ようとするが扉は見つからず――

 抜け切らない重さと痛みがべっとりとこびりつき、俺の足をもつれさせた。壁に手をつけて立ち上がり、ドアとの境い目を見つけるために、その壁に手をわせながら、一歩、一歩と、進んでいった。


 点滴ポールにつながれた容器ようきが目に入る。


 容器の中身はあと三割程度(ていど)だった。

 もし三日ちかく経過けいかしていたのなら、そのあいだの点滴液の交換こうかんだって、何度もあったはずなんだ。それなら、人の出入りだってある。どこかにかならず外へつづくドアがあるはずなんだ。もっと慎重に、丁寧ていねいに探すんだ。見落としてる場所があるはずだ。そうだよ、見落としている場所が……。




 やわらかいシーツに体をしずみこませながら、俺は白い天井てんじょうを見ていた。左腕には点滴が打たれ、その容器にある点滴液の量は七割になっていた。


 いつのまに、気を失っていたのか。


 顎を触ると、また半日が経過しているようだ。

 外光がいこうが無いため、正確せいかくな時間はわからない。この部屋の出口を見つけるには、俺の意識いしきがはっきりしているあいだに、点滴と、おそらくしも世話せわのために誰かが入室にゅうしつしてくるタイミングを待ちかまえなければならない。


 容器の中の液体えきたいが、一滴いってき、一滴と管の中へすべり落ちていく。


 入室のタイミングはいつになるんだろう。このまま待ち続けなければならないのだろうか。この瞬間も一刻いっこく一刻と過ぎていく時間が、すべてを手遅れにしていくような予感よかんとなって、どうしようもないあせりを俺のこころにもらせていく。


 思考できるくらいに頭がハッキリとしてくると、彼女を失った光景が、またも頭の中で再生されはじめた。そのたびに込み上げてくる感情のうずが、俺の胸をまたもや切り刻んでいった。ききれない吐き気にさいなまれながら、これがトラウマというものなのだろうとさとったところで、そいつは俺の体を、現実的にも感情的にもどうにもならないというあきらめへとめていった。




 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 疲労ひろうという名の生理的せいりてき感覚が全身をおおい、世界を閉じていく。なにも出来ないという絶望ぜつぼうが、俺という人間を無力むりょくにしていった。朦朧もうろうとした意識の中、いつのまにかまた点滴液が満たされていることに気づき、いっしたことを知る。


「……また、来たのか」


 つぎの接触せっしょくいどむだけの気力が、俺にはあるのか?


「前に進むんだ。意識を――」


 自分に言い聞かせるように、頭を振った。

 左へ、右へと視界がれていくなか、見かけないものが映り込んだことに気づく。


 そこへ焦点しょうてんを合わせると、ベッドの前方二メートルに白いテーブルが置かれていた。その上に、銀色のトレイがある。そして、その中になにかがある。


 俺は上体じょうたいを起こし、以前よりもまた動かしやすくなった腰をあげた。


 数歩、歩く。


 テーブルにたどり着く前に、すでにトレイのなかにあるものが、なんであるのか解った。


 それは、メスだった。


 そして、なぜそれが置かれているのかも、理解できた。


「これで、首の……頸動脈けいどうみゃくを切れってことか」


 そう声に出し、あたりを見回す。


 こんなことをして、監視かんししていないほうがおかしい。

 俺に自殺じさつをうながすようなことをする意味は、一つしか無い。


 ――こいつらは、俺が死んだとしても、俺が生きている世界に収束しゅうそくしていくのを知っている。


 知っていて、それをたいんだ。


 俺に対するこの悪趣味あくしゅみな試みは、それでも八方塞はっぽうふさがりだった俺に一つの選択肢せんたくしを与えた。これまで二度死んでいるが、そのかさなりあう記憶の中に彼女が生き残っている事実は無い。


 もし、ここで俺が死ねば、あの霧島きりしま榛名が生きている世界線せかいせんへ収束される可能性かのうせいを得られる。


 そう、俺にとっても都合つごうがいい。

 確実ではない。けれど、試してみる価値はある。


 いまだ死ぬことになど慣れてなどいないが、


 俺は自分を殺しても死ぬことはない。

 だから、自殺などたいしたことじゃない。

 彼女を救えるのだから。


 こころに浮かんだ結論けつろんを数度、反芻はんすうする。


 俺は、トレイからメスを取り上げた。

 手にした金属きんぞくのひんやりとした感触かんしょくが、俺がこれからやることに現実味げんじつみを帯びさせ、ひるませる。一度、大きく息を吐いて、つかんだ右手のふるえを止めようとする。


 考えすぎるな。

 俺は二度、死んでいるんだ。


 右手をえて、するどい金属を首に近づけようとする。



 一気にいけ。躊躇ためらうな。


 ――彼女を救うんだ。


 メスの刃が首筋くびすじへと当たったところで、突然、強烈きょうれつ情動じょうどうが俺のなかで湧き上がった。


 ――たくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない――


 震える両手に無理やり力を入れようとする。

 だが、俺のこころの声は止まらない。


 ――れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。彼女を救うんだ。黙れ。黙れ。お願いだ。黙ってくれ。決意を揺るがすな。黙れ。黙れ――


「黙ってくれよおおおおおおおおお!!」


 涙がボロボロとあふれ、頬を伝ってとめどなく流れ落ちていく。両手でつかんでいたはずのメスを取り落とし、嗚咽おえつに息を詰まらせる。


「……お願いだ。彼女を……救わせてくれ」


 俺は床に手を突いた。頭をれながら、怒りと無力さが混ぜこぜになったものを吐き出せもせずに――


「俺は……人ひとり救うことも出来ないのか」




 またベッドの上だった。


 俺を覆っていく虚無きょむに身をさらしながら、無為むいに時が過ぎていく。


 ここに運び込まれたときに見た、現実のようなあの夢をもう一度見られないだろうか。夢でいい。夢でいいからみんなの顔が見たい。つぎ眠りから目覚めたら、何事なにごとも無かったかのように、現実のあと世界に目覚められないだろうか。


 ゆっくりと、まぶたを閉じる。


 意識の無い時間が、俺にとって唯一ゆいいつの救いになってしまった。

 夢の世界に行こう。ここでは無い別の場所へ。わずかでもいい。この世界を忘れられる場所へ。




 肩を、揺さぶられた。


 その揺れが、俺を現実の世界へと引き戻す。

 意識が覚醒かくせいしていくのと同時に、視界しかいもまた、クリアになっていく。左肩に手が置かれ、俺をのぞき込んでくる男の顔が見えた。


「目が覚めたかい? 磯野君、一ヶ月ぶりだね」


 俺は、聞き取ることのできる言葉で話しかけてくるその人物を見て、驚き、思わずその白衣に顔をうずめた。


「大丈夫。もう、大丈夫だ」


 知っている人間がいるという安堵感あんどかんが、これまで抱えてきた重圧じゅうあつかし、その反動はんどうがとめどない嗚咽となった。俺は顔を上げ、引きつった声のまま、白衣のその人に言った。


「……ありがとう……ございます。真柄まがら先生」

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