14-01 三日経っても帰ってこないって……やっぱり、なにかあったのかな
殺されたはずの磯野は、ドッペルゲンガーの収束と同じ現象によって別の世界線へと収束される。危機が去った直後、麻酔銃を撃たれ――
目のまえに、北海道百年記念塔があった。
青空が高くひろがり、その手まえに順光に映える塔が縁取られている。写真を撮ればきれいな彩りでおさめられただろう。しかし、ポケットをさがしても、スマートフォンは出てこない。
どこかに落としたんだろうか。
俺はポケットのなかをたしかめようと上着へと目線を落とす。
と、いつのまにか塔の展望階にいた。目のまえに、見知った人間がいることに気づく。
千代田怜。
憂鬱な表情を浮かべる彼女は、どこを見るともなく札幌の街を見下ろしていた。一人きりの怜の顔は、どこか寂しげだった。
ふだんからそんな感じのしおらしい空気をまとっていれば、すこしは可愛げがあるんだが。……などと、俺にとって当たりまえすぎる感想が出てきたところで、その言葉とともに湧き起こった感情に、妙な違和感を覚えた。
なんだろう。こいつとは、もっと、いろいろなことがあったような気がする。いや、こいつ以外にも、もっと、なにかが――
まあいい。目のまえで見せているその憂いを帯びた表情は、俺にとって格好のネタだ。ここで声をかけてやれば、あまりの羞恥に、さらに変な顔を拝められるかもしれん。こうなると、いま手もとにスマホがないのはとても悔やまれる。
もう一人の見知った人物が、奥の階段を上がってきた。竹内千尋だ。
「やっぱり、何度探してみても、手がかりになりそうなものは見つからないね」
「三日経っても帰ってこないって……やっぱり、なにかあったのかな」
竹内千尋はそれには答えず、千代田怜のとなりに立って窓の外を眺めた。
「柳井さんの話だと、磯野はここで消えたんだよね」
俺? なんで俺のことを話してるんだ?
千尋もまた、怜と同じように憂鬱な、いや、思い悩むと言ったほうが近いか、そんな表情を浮かべている。
二人の横顔を見つめているうちに、俺は、そろそろ声をかけるべきだろうと思った。そこで、気づく。
――俺は、いま、どこに立っているんだ?
光が、ひろがった。
ちがう。光のような、けれども正確にはちがうのだろうという白が、俺の視界をとおしてぼやけていく。その白はしだいに輝度を落とし、人が世界を見るのに適した明るさへと、落ち着いた。
ぼやけた白のさきに見えたのは、天井だった。
どうやら俺は、見知らぬ部屋のベッドで横になっていたらしい。
俺はベッドから身体を起こそうと、腹に力を入れてみた。しかし、上体を持ち上げた瞬間、右脇に痛みが走った。
「――ッ!」
痛みを無視して無理やり起き上がろうとすると、今度は眩暈に襲われて、ベッドに身体を沈めてしまった。
いまのは、夢だったのか?
リアルな夢だった。
以前、柳井さんの言っていた「明晰夢」なのかもしれない。それともあれは、現実だったんだろうか。わからない。だが、いまはそれよりも、
――ここは、どこだ?
あたりを確認したい気持ちをおさえて、三半規管が世界に慣れるまでじっと待つ。遊園地のコーヒーカップのように回転していく世界が、ゆっくりと速度を落としていった。
そろそろ動いてもいいのだろうか。
すこしずつ頭だけを動かして視界を移すと、この部屋の壁は、天井と同様に白だとわかった。およそ一〇メートル四方の、白に囲まれた空間。その部屋の中央にあるベッドに、俺は横たわっていた。左腕の血管に管が刺され、点滴がほどこされていることに気づく。
顎を触ると、髭が伸びていた。
この伸び方だと二、三日は経過しているのだろうか。そのあいだ、俺はこのベッドで意識を失っていた、ということなのだろうか。
気を失う前のことを思い出してみる。
言葉の通じないこの世界に迷い込み、逃げて、コンテナ置き場へと追い込まれた。しかし、俺を追いつめたやつらは、警察との銃撃で射殺された。その後、警官によって身体検査をされたところで、スーツの男が駆けつけてきて、撃たれた。あいつは、俺の右肩に向けて発砲してきたんだ。あれは、麻酔銃だった。
俺は、捕らえられたってことか?
にしては、手錠もなければ、拘束着を着せられてもいない。
もう一度身体を持ちあげる。
脇腹の痛みは引かないが、眩暈は、さっきよりもおさまったようだ。そのままベッドに腰掛ける。入院服を着せられていることに、いまさらながら気づく。入院服の下には、右肩から脇、腰にかけて包帯が巻かれていた。たしかに痛みはあるが、窓から飛び降りたときの、骨折したような痛みではない。
それくらいの時間が経っているってことなのか?
慎重に腰をあげてみる。
俺の両足は、身体を支えようとしてバランスを崩してしまったが、点滴ポールをとっさにつかんだことで、なんとか立ち上がることができた。俺は、ドアを見つけようと、部屋の中心からぐるりと三六〇度見回してみた。しかし、出口らしきものはどこにも見あたらなかった。
点滴ポールをつかみ、キャスターを転がしながら、俺はこの部屋の出口を探し出そうとした。ところが不思議なことに、どこをみてもこの部屋から出るための、出口となる境い目が見つからない。
どうやってこの部屋に入れられたんだ? 無いなんてことはあり得ない。どこかにかならずドアがあるはずだ。出口を――
頭の中の言葉がそこまで告げたとき、突然、それをかき消すような光景が脳裏によみがえった。
スーツ姿の彼女の顔をいくつも映し出し、そのどれもが俺を見つめてくる。そして、彼女の体は、ゴムまりのように跳ね、壁に叩きつけられる。
「やめてくれえええええええ!!」
俺は点滴ポールをつかんだまま膝を折ってうなだれた。彼女に止めを刺した銃声が、耳に、重く、響き渡った。いまさらになって鮮明になっていくその記憶の衝撃に、こころが削りとられてしまう。その痛みを振り切ろうと、俺は顔を上げ、壁を伝い歩き出した。
「ドアは――」
ドアはどこにあるんだ。
あの場所に戻らないと。
あの場所に戻って、
榛名を、助けださないと。





