13-06 飛び降りるんだ。ここから
――目の前で、彼女が、射殺される。
蒸し暑い外気が流れ込んでくる。
現実世界よりもさらに蒸し暑い。
俺は足をもつれさせながらも、割れた窓の前に立った。
残ったガラスの破片を上着の袖でよけながら、窓枠に足をかける。高所への恐れがありながらも、なんとか車の屋根とフロントガラスを見下ろした。
もし落下したとして、あの車の屋根がへこむくらいにやわらかければ……大丈夫だ。飛び降りる衝撃を吸収してくれるはずだ。そうだ、だから――
「飛び降りるんだ。ここから」
己の生存への意志を再確認し、身体を、なにも無い空間へ押し出していく。
背後の棚が押し破られ、警備員二人が侵入し、銃口を向けてきた。
銃の奥にある相手と目が合った。
背筋が凍りついた。
榛名を殺した大男の双眸は、冷静、というより殺しを躊躇うことなど微塵も無い、まるで物でも見ているかのように俺をとらえている。
「クソったれえええ!」
俺は、窓から身を投げた。
三階の高さから車の屋根めがけて落下していく。
発砲音と、真下に向かって空気を切り裂く音が耳をかすめていく。直後、車の屋根へ落ちた衝撃が右半身を襲った。
「――――ッ!!」
あまりの痛みに、声にならない悲鳴を上げてしまう。
俺は、はじかれるようにそのまま転がり、車の横へと落ちてしまった。そこへ、銃弾の雨が降り注いだ。幸か不幸か車の屋根が硬かったため、そこに留まらずにすんだことで銃撃の餌食になることはまぬがれた。が、身をかがめながらも、右肩から腰までの痛みに耐えきれず呼吸ができない。
あばらが、何本かイッたか。
呼吸が整わぬ中、自分でも戸惑うくらい他人事のような言葉が浮かんだ。数度、弾丸がばら撒かれたのち、ほんのわずかに落ち着きを取り戻すと、落ちた衝撃による麻痺によって感覚の無かったらしい脇の痛みが、いまさらながらジワジワと増してきた。コンクリートに押し付けられた頭を上げ、口に入ったジャリを吐き出した。俺を釘付けにしようと銃弾を撃ち込みつづける音を数え、なにがあるのか確認するために周囲に目をくばらせる。
いま身を隠している車のほかに、少なくとも半径一〇メートル以内に、遮蔽物と呼べそうなものは一つも見つからなかった。このままでは走り出したところで敵の射界に身を晒してしまう。
「この車は走れるのか?」
口に出た疑問。
しかし、乗り込んだところで、雨のような銃弾を受けたこの車が動くかどうかはわからない。それに、そもそも俺は車を運転できない。
突然、運転席のドアが開いた。
……乗れってことか?
銃撃のやんだ一瞬の隙に、俺は身を起こしてシルバーメタリックの車の運転席へと転がり込んだ。とたんに、銃弾が何発も打ち込まれる。しかし意外にも車内はどこも損傷しておらず、フロントガラスも傷一つついていない。
「防弾なのか?」
口にしたのと同時に、運転席のドアが閉じ、くぐもった声が車内に発せられた。
「******――***……」
直後、車は発進した。
備え付けられたカーナビゲーション画面に、進路を示した俯瞰地図が表示された。が、その地図を見ても、自分がどこにいるのかはまったくわからなかった。カーナビの進路にそって、車は自動運転で進んでいく。
左耳のイヤフォンからなにも聞こえていないことに気づいた。
上着のポケットに入れていた、榛名から受け取ったスマートフォンを取り出して納得する。飛び降りる際に銃弾のひとつが命中したのだろう、スマートフォンは完全にひしゃげていた。
俺はイヤフォンをはずした。
ジーンズのポケットにある俺のスマホを取り出す。が、こちらもすでにバッテリーが切れていた。
電話の主は、霧島榛名と関係があるのだろうか。
電話の主が霧島榛名を送り込んで来たのだろうか。
霧島榛名が死ぬことを、この電話の主は予測済みだったのだろうか。
答えの無い疑問が頭をめぐるなか、発進した車は駅の正面口へと回り込み、片道三車線の大通へと出た。対向車線を、数台のパトカーがサイレンを鳴らしながらすれちがっていく。
俺はシートベルトを締め、バックミラーを通してパトカーを目で追った。どこに向けていいか解らない感情が、生まれてはじめて湧き上がった本物の殺意が、俺のこころを黒く染めていく。
「あいつら……かならず……」
遠ざかっていくパトカーを見届けながら、襲ってきた男たちの姿を思い出した。
――警備員。
やつらはこの世界の警察のような、治安組織の人間ではないのか?
この世界の事情はわからない。だが、いま通り過ぎていったパトカーとやつらはちがう。
一方で、俺を守ってくれた榛名や、いまこの車を操作している「誰か」もまた、警察とはべつの種類の人間なのだろう。
けど、なぜ? なにが起きている?
運転席の計器を見る。やはり文字は焦点がぼやけて読めない。が、メーターの指している角度と速度的には、およそ時速七〇キロくらいだろう。
この車はどこに向かっている? そもそもこの街はどこなんだ? もともといたプラットホームからどれくらい離れたんだ? いくつもの疑問が浮かぶが、いまは、この自動運転に任せるしかない。
どこか冷めてしまった頭とは裏腹に、右肩から腰までの痛みが本格的に増してきた。どうやらアドレナリンの分泌がおさまったらしい。右半身を覆っていく鈍い痛みに、意識が遠ざかっていく。
車が加速した。
「なんだ?」
その問いを口にしたとき、いまさっき通り過ぎた、左角から現れたグレーのSUV二台が迫ってきた。次の瞬間、重い破裂音とともに、リアガラス全体にヒビが走り、視界が奪われた。
……防弾ガラスが、割れるのか。





