13-03 あなたと、もう一人の霧島榛名を救い出すためにここにきました
未知の世界で、なぜか生体認証で通過出来てしまった改札の前で磯野のスマホに着信があった。モザイク状に発せられる、磯野にも理解できる言葉。だが、その直後、警備員らしき男たちの襲撃を受け、
スマートフォンの着信履歴を見てみたが、やはり通知はなかった。
どこの誰かはわからないが、あの電話があったからこそ俺はいま生きていられる。感謝しなければならない。
乗り込んだこの列車は、どこに向かっているのだろう。
わからない。が、このまま乗っていても仕方がない。次の駅で降りよう。なぜだかわからないが生体認証をクリアできたんだ。改札も通ることができるだろう。
再着信の可能性を考えると、電源は切れない。
俺はすこしでも電源をもたせられるようスマホを省エネモードにした。
いつのまにか地下から浮上した列車は、チューブ状の線路を高速で滑りながら、ゆっくりとカーブをかけて上昇していく。まるで終わり際のジェットコースターのようだった。景色を見下ろすと、街の光が薄く照らすなか、海岸沿いを走っているのがわかった。
海か。
列車が次第に速度を落としていくのがわかる。
それにあわせて周囲の景色は、互いにライトアップされた高層ビルへと移り変わっていった。しかし、いままでいた街に比べて、この都市の建物は、幾分ではあるが現代的なデザインをしている印象を受ける。駅へ到着した列車は、ゆるやかにプラットホームへと進入していき、各乗降口部分に寸分のくるいも無く停まった。見たところ、前の駅のプラットホームよりも広く感じる。
くぐもったアナウンスとともに、乗降口のドアが開いた。
外界の――プラットホームの音が車内へ流れ込んでくる。
俺はあたりに不審な人物がいないか目を配らせながら、乗客の流れにふたたび紛れ込んだ。
列車に乗ったことは向こうもわかっているはずだ。
もし待ち伏せがあるとするなら、このプラットホームか、改札口か。
雑踏とアナウンスが反響するプラットホームへと降り立ち、改札へ向かうであろうエスカレーターへと歩き出そうとしたとき、背後から腕をつかまれた。
心臓がとまりかけそうになる。
おもわず相手を見ようとするが、
「振り向かないで」
耳もとに届いたそのささやきは、どこか耳慣れた女性の声音だった。
「磯野さん、ですね。改札はすでに待ち構えているので、こちらへ来てください」
この世界で、はじめて理解のできる言葉に出会い、驚く。
引き寄せられた俺の身体は、女性の華奢な身体と密着した。
女性の、心地よい匂いが鼻をかすめ、腕は、女性の黒のスーツ越しの胸に当たった。
やわらかい。とか言ってる場合じゃない。
が、このやわらかさにもやはり身に覚えがあった。
駅員用ドアを抜け、通路途中のドアのひとつへ俺は連れ込まれた。
中にはキャリーケースやダンボールなどの荷物が積み上げられている。ドアを閉じて対面した髪の長い女性は、その整った顔を切迫した色に染めながら、まっすぐに俺を見つめた。
意図せず俺の手が彼女の肩へと伸び、身体を引き寄せてしまう。
絶対に離してはならない相手が、目の前にいたからだ。彼女はなされるがままにされた。彼女の呼吸が俺の首筋に当たる中、彼女はひと言、俺に告げた。
「はじめまして。私は霧島榛名。あなたと、もう一人の霧島榛名を救い出すためにここにきました」
はじめまして?
その言葉に俺は手を離し、彼女の顔を見た。
もう一人の霧島榛名を救い出すために、と彼女はそう言った。
容姿も、匂いも、胸のやわらかさも、どれもが霧島榛名、本人だった。
ただ、俺が知っている二人の榛名、ショートで足が不自由な榛名とも、互いに冗談を言い合うような気のおけないあの榛名ともちがう。彼女は、二人のものよりも、別の意味で張りつめた空気を発していた。隙がないような、そんな感じがする。そして二人よりも、なにかが薄い印象を受けた。
尋ねたいことと理解しがたい状況が、俺の脳をいっきに溢れさせて、言葉がなにも思い浮かばない。
目の前の、髪の長い女性は、オカ研世界の霧島榛名ではないのか? 彼女の言う、もう一人の霧島榛名、それが俺が見つけ出すべき霧島榛名なのか? それならなぜこの世界で言葉が通じるんだ?
動揺する俺を見た彼女は、補足するように付け加えた。
「この世界の霧島榛名です。ごめんなさい。時間が無いので、いまはこれしかお伝えできません。それでも、私についてきてくれますか?」
――この世界の霧島榛名。
思いつめた彼女の瞳に、高鳴る気持ちを抑えながらも俺はうなずくと、霧島榛名と名乗った彼女は、一瞬、あどけない笑顔を見せた。その表情はすぐに消え、彼女は俺に背を向けた。ビニールが破られる音と、パタン、パタンとロックが解除されるような二つの音がしたあと、霧島榛名は、脇へ体を寄せて俺の死角にあったプラスチック製のケースを開いてみせた。
「勘弁してくれよ……」
つい、口に出てしまう。
そこには、拳銃があった。
ケースの中に、プラスチック製と思われるあまり大きくない四角形状の一丁の拳銃と、予備の弾倉二つが、ビニールに包まれておさめられている。梱包された拳銃は、パッと見エアガンのようにも見えたが、やはり実銃なのだろう。
思わず出てしまったその言葉に、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「グロック17。これしか持ち込めませんでした。これから脱出しますが、もし私になにかあったときのために、あなたも護身用に持っていてください」
グロック……。聞いたことがある。たしかブルース・ウィリスが出演する映画によく出てきたような。ってことは、この世界も現実世界とつながっているってことなのか? それとも、彼女も俺と同じように現実世界の人間なのだろうか。いや、それよりもいまは――
「俺は銃なんか扱ったことは――それに――」
「人に当てる必要はありません。あなたが銃を持っているだけで、敵は迂闊に動けなくなります」
「……敵?」
さっき遭遇した警備員たちが頭をよぎる。
命の危険に晒されているんだ。彼女の言うとおり、銃を持っていくのは正解だろう。しかし、頭で解っていても、弾の入った銃を人に向けるなんて、どうやってもできそうにない。
「磯野さん、私たちの武器は私の拳銃と、このグロックの二丁だけです。敵は私たちよりも武装しています。けれど、駅から出さえすれば、この不利な状況から脱することができます。ですから――」
彼女の言葉に、俺は銃へと手が伸びるが、すんでのところで止まってしまう。
もし、誤射して全然関係ない人に当たってしまったら……。
いや、そもそもこの銃を使うってことは、彼女の言う万が一のとき、つまり、目の前にいる霧島榛名が殺されてしまったあとってことだ。想像しただけで吐き気がしてくる。それなら、俺は銃を取るべきなのだが――
己のなかのどうにもできない拒否反応に自分自身戸惑っていると、霧島榛名は、納得したようにうなずいた。
「――わかりました。ではマガジンの弾は抜いていきましょう。空砲なら、人に向けても相手を危険に晒すことはありません」
「……ごめん」
「いいえ。磯野さん、あなたは優しい人間なんですね。彼女が好きになるのもわかります」
「彼女?」
霧島榛名は、ジャケットの内ポケットから、スマートフォンと、ワイヤレスの小型イヤフォンを取り出した。その拍子に、拳銃の収められたホルスターがちらりと見えた。俺に手渡しながら、
「このイヤフォンを左耳につけておいてください。この携帯はポケットに」
俺は拳銃をジーンズの腰の部分に挟んだ。なんだかタランティーノ映画に出てくるチンピラの気分だ。それを上着で隠して、イヤフォンとスマートフォンを身につける。
さっきの言葉が妙に引っかかる。
「彼女」とは、現実世界の榛名のことだろうが、それとも別の――





