13-02 る ー ト――ろ く ジ――2 じ ゆ ウ め ー ト ル
無人、無音の「色の薄い世界」。そうであったはずの世界が、人びとが溢れ、聞き取ることの出来ないを言葉とともに磯野の前に現れる。
まずい。
いったんプラットホームに戻らなければ。
俺は、駅員たちを目線からそらし足早に階段へとむかう。
が、そこで大量の降車客とはちあわせてしまった。その流れに巻き込まれて、改札へと押し流されてしまった。一定の秩序を保ちつつも、我さきにへとなだれ込む人の波。その波から逃れることがかなわないまま、一歩、一歩と改札機へと押し流されてしまう。流れから逃れるために声をあげようとするが、口に出そうとした瞬間、それが悪手だと気づく。
――この世界では言葉が通じない。
降車客たちに挟まれ、逃げ場のないまま、改札機が目の前に迫ってくる。
こうなったら、改札を通った瞬間に駆け出すしかない。
じゃあ、どこへ逃げる?
改札機を抜けたさきには、エントランスと左右に並ぶショッピングモール。だが、まっすぐはダメだ。駅から出たところで、一人、走る姿をさらすことになる。幸いエントランスからショッピングモールにかけて、多くの人が行き交っている。右か左、どちらかのモールに駆け込んで人混みに紛れ込むしかない。
目の前には改札機。
前の人は手をかざし、改札を通り抜けた。
俺の番だ。
よし。改札を抜けたら、
いっきに駆け出せ。
俺は、一歩、踏み出し、
手をかざす。そして――
――なにごとも無く、通り過ぎた。
は? どういうことだ?
思わず振り返ってしまう。しかし、すぐうしろの客に嫌な顔をされながら前へと押し出されてしまった。俺は脇にそれて立ち止まり、駅員を見た。こちらのことを気にしている様子はない。
そこへ、着信音が鳴った。
俺のスマートフォンだ。
あり得ないはずの音が俺の鼓膜を震わせる。
この世界では、俺のスマホは通信不能な状態じゃないのか?
構内のアナウンスと重なりながら鳴りつづける着信音に、俺の頭は真っ白になりなった。俺は、ポケットからスマートフォンを取り出して待受画面を見た。通知不可能と表示されていた。俺は思考停止したまま画面を見つめていたが、さすがに周囲の人びとが俺に目を向けてきた。
……出なければ。
俺は着信ボタンを押して耳もとに当てた。
スマートフォンから聞こえてきたのは――
「る ー ト――ろ く ジ――2 じ ゆ ウ め ー ト ル」
ルート? 六時? 二〇メートル?
全体的にくぐもってはいたが、ハッキリとそう聴こえた。
ネットから拾ってきたような音声を、一音ずつモザイクのようにツギハギした音。それが電話の向こうから俺に呼びかけてきた。
「誰だ?」
「る ー ト――ろ く ジ――2 じ ゆ ウ め ー ト ル」
意味がわからない。
言葉の通じないこの世界のなかで、日本語を使い、しかも、俺のスマートフォンに電話をかけてきている。混乱した俺の脳は、この状況にどう反応していいか判らない。
「あんた誰だ? なぜ番号を――」
「る ー ト――ろ く ジ――2 じ ゆ ウ め ー ト ル」
「ここはどこなんだ? なんのルートなんだ!?」
思わず叫んでしまう。
しかし、電話の主は俺の問いを無視して、つぎの言葉をつづけた。
「け イ 告――く ジ――2 じ ゆ ウ ビ ょ ウ」
警告? 九時?
「九時ってなんなんだよ!」
左側から悲鳴が聞こえた。
俺は声のほうへ目をむけると、警備員とおぼしき男が三人。東洋系が二人と、欧米人だろうか。腰から拳銃のようなものを抜き、カチャリという音を響かせながらスライドを引いてこちらに向かってくる。そのうちの一人は、無線のようなもので通信していた。三人とも俺から目をそらさない。
……なんだよあいつら。
「け イ 告――十 に ジ――3 じ ゆ ウ ビ ょ ウ」
十二時? そうか、
――方角か!
前方を見ると、同様に三名、拳銃を抜きながらこっちに向かってくる。
……まずい。まずいまずいまずいまずい。
「……ルート、六時、二〇メートル。ルート六時、二〇メートル――」
電話の主が言っていた言葉を、口に出して繰り返す。
……ルート。
……逃げ道ってことか!
俺は六時――うしろを見た。
改札を通って……二〇メートルってことは、プラットホームへ上がれということか?
「け イ 告――じ ユ ウ――キ ゆ う――八――な ナ――」
電話の主のカウントダウンとともに、銃口を俺にむけた三人が、左側から迫ってきた。周囲の人々が拳銃に驚き、ふたたび悲鳴をあげた。
ちくしょう!
俺は改札機を通り、走り出した。
「頼むから、前後左右で言ってくれ」
電話の主に、俺は愚痴に近い要求を告げながら、プラットホームへの階段へ迫った。が、そこで降車客の波とかち合ってしまう。人ごみに押されながらも、かき分けて無理やり階段を上ろうとする。振り返ると、警備員たちは人ごみにさえぎられて、俺に銃口を合わせらずにいた。
いまのうちにやつらの死角まで上り切らなければ!
そう思った瞬間、背後から乾いた破裂音が鳴った。
直後、大勢の悲鳴が構内に響き渡った。振り返ると、警備員の一人がが天井に銃を向けていた。周囲の人々が屈みこんでしまっている。
まずい!
一気に射界がひらけ、警備員たちが俺に銃を向けてきた。
俺は屈んだ人々の隙間を縫って、一気に駆け上がった。さすがにこの人のなかへ向けて銃弾を撃ち込めなかったらしい。各プラットホームへの連絡通路へ上り切るまでに、銃声が響くことはなかった。
俺は通路を見回す。
どのプラットホームへ上がればいい?
俺はスマートフォンを耳もとに添えたが、通話中にもかかわらず、電話の主からの言葉は無かった。迷っている暇はない。俺は、目の前の階段を上がった。
プラットホームにたどり着くと、視界に出発間近の車両が現れた。背後には複数の足音。反響が次第に大きくなり、止まった。つかの間、不吉な沈黙が空気を止めた。
「まずい!」
俺が前に転がり込むのと同時に、二発の乾いた銃声が背中をかすめた。数瞬ののち、プラットホームに悲鳴が起こった。
俺は前のめりになりながら、チューブ状の筒におさめられた列車の乗り口へと飛び込んだ。車内の壁に背中をぶつけながらも、身体を無理やり持ち上げる。
――射線から逃れろ。
俺の脳が体に命令を下す。開かれたままのドアから、這うように車内へと移ろうとしたとき、警備員たちが姿を現した。
男たちの目の前で、車両のドアが一斉に閉まる。
列車の外の音が、消えた。
「……真空か」
分厚いドアの窓を通して、俺と警備員たちが対面した。動きだす車両に合わせて三人の銃口が俺を追ってきた。が、三人が視界から消えるまで、ついに発砲されることはなかった。
車両の乗降部デッキから引き戸を開けて客車へと移ると、乗客の視線から逃れられそうな空席を見つけて、腰を下ろした。
列車は、長かったはずの高架線路をいっきに走り、いつのまにか地下へと潜り込んでいく。三馬さんの話では、時速四〇〇〇kmも出るらしいが、不思議なことにその速度に見合うであろう耐えがたい重力も、そのためのシートベルトもなかった。
とにかく頭を冷やせ。
いまのはいったいなんだったんだ?
やつらは、躊躇なく俺に発砲してきた。警備員の格好をしていたが、あの人ごみのなかに弾丸を撃ち込んでくるなんて正気じゃない。周囲にいた人びとの反応を見るに、正規の人間じゃないだろう。もし、あの電話が無ければ――
俺はスマートフォンを見た。
通話が切れている。
しかもバッテリーは、一〇パーセントを切っていた。





