13-01 ****――*****……
八月三一日、柳井のぼっちローラー作戦により霧島榛名を見つけだした磯野は、それでも彼女につかまえられないまま、新たな世界へと迷い込む。
俺を取り巻くすべてのものが、俺の理解など入り込む余地のないままに、勝手に動き、勝手に時を押し流していく。
いままで訪れてきた「色の薄い世界」は、無人、無音の世界だった。
ところが、この世界はすべてが活動し生きている。まるでバグってしまったかのような文字列がそこかしこにあり、くぐもって聞き取れない言葉が行き交うなかにいる俺は、まるで異国に迷い込んだ外国人のような感覚に襲われた。
そんな俺の目の前を、チューブ状の空間におさめられた新幹線のような車両が、プラットホームからゆっくりと発車していく。下向きにゆるやかなカーブを描くチューブの中を次第に加速していき、いつのまにか、はるか彼方へと走り去っていった。
――真空チューブ鉄道。
俺のいた世界から、さらに発達した技術と文明を築いている未来世界。理解どころか、聞き取ることすらできない言葉からして、現実世界とは連続していない別の世界、いわゆる異世界なのだろう。ここまで把握してみたとしても、目の前にある異様な光景に、俺の頭はまったく追いつくことができない。
突然、肩を叩かれた。
ぎょっとして振りむくと、グレーのスーツを着たサラリーマン風の男が、憮然とした顔で俺を見ていた。
「****――*****……」
ドスの効いた低い声でなにかを訴えてくる。が、危害を加えようという意志はないらしい。男の言葉はわからないが、なにを言いたいのかはおおよそ見当がついた。男のうしろに、降車した列車の乗客が大勢いた。階下の改札口へと向かう降車客たちの流れを、俺は止めていたらしい。
それに気づいた瞬間、俺はおもわす声をあげそうになったが、誤魔化すように手をあげて、彼らの行くさきをあけた。大量の人がぞろぞろと俺の前を通って、階下へ流れていく。
その光景に呆気にとられていた俺は、我にかえると、プラットホーム中央にある、すでに見馴れたベンチに腰かけた。
この世界はあきらかに生きている。
三馬さんの言っていた静止した世界ではなく、現実の時間の流れの中にある世界だ。三馬さんのたてた計画では、色の薄い世界で霧島榛名をつかまえ、あの八月一二日の夜のように現実世界へと戻されるために、「時空のおっさん」らしき存在が現れるのを待つはずだった。
だが、現状はちがう。
俺は霧島榛名をつかまえ損ね、この生きている異世界に一人迷い込んでしまった。しかも、この世界の言葉は聞き取ることができず、わずかに読めたその文字もまた、意味を成すことなく羅列されている。これでは手がかりすらつかむことができない。
「俺は……どうすればいい?」
答えのない問いが口から漏れてしまう。
うつむいたさきに、左手首のG―SHOCKが目に入った。
22:39:27。すでに二二時を回っているのか。……って、え?
もう一度、腕時計を見た。
――22:39:32
G―SHOCKに表示された、リアルタイムに刻まれていく時間がハッキリと読めた。驚いて顔をあげて見まわしてみるが、周囲に示されている文字は、相変わらずぼやけて読めない。
これはどういうことだ?
俺は上着のポケットからスマートフォンを取り出し待受画面を見た。八月七日 二二時三九分。これも読める。ってことは、
――現実世界から持ち込んだものの文字は読めるってことか?
……まて。
――八月七日……?
壊れているのか?
いや、G―SHOCKもスマートフォンも同時に壊れたとは思えない。
俺はホーム画面をひらいた。
着信画面から一番上にある柳井さんの番号をタップした。が、なにも聞こえない。呼び出し音すら鳴らない。SNSをひらいてみても、いままで書き込まれたコメントは読めるが、そもそも圏外になっていて連絡を取ることができない。
ふと横を見ると、いつの間にか年配の女性が座っていた。
俺は慌ててスマホをポケットにしまった。
……あぶねえ。身につけているものに文字は書かれてないだろうな?
俺は、上着からシャツやジーンズ、シューズまでをひと通り確認した。特に目立つようなものがないことがわかると、つぎに俺を不審に思っている人間がいないか、周囲を見まわしてみた。顔を上げたさきに、大きな窓が目に入る。
俺は腰を上げ、ガラス窓へと向かった。
窓から見える街並みは、あの色の薄い世界で見たものと同じだった。
ついさっき、文化棟を出る直前の入れ替わりで見た、完全黒体のような空間のあった場所が、俺の脳裏をよぎった。
あの場所に行けば、瞬間移動ができるんじゃないか?
しかし、黒の空間であったはずの場所には、現在は、周囲の建造物と同じようなビルが並んでいる。
あの空間は、色の薄い世界だけのものなのだろうか。
それでも、一二日の夜に訪れた榛名のいた海岸は、この世界にあるんじゃないのか? そうだ、あの海岸だ。あの海岸にたどり着くために、やはりまずは、
――瞬間移動できる可能性のある真っ黒な空間のあった場所の調査。
俺はスマートフォンをかかげて、窓から見える景色を写真におさめた。
と、プラットホームに列車が到着した。
降り口からふたたび人が流れ込んでくる。俺は人々の流れにまぎれながら、階下へと向かった。
長いエスカレーターを下り、連絡通路を抜けて改札へとたどり着いた。
人の流れは、そのまま改札口へと向かっていた。そこで俺は気づく。乗車券どころか、この世界の通貨すら持ちあわせていないことに。
俺はあわてて人の流れからはずれ、改札機の横へと移動した。
どうやってあの改札を通ればいい?
……いや、そもそも俺は、この駅に閉じ込められているのか。
冗談じゃない。このままでは、いずれ駅の営業時間が終わってしまう。となれば、この世界の通貨を持たない俺は、この世界の警察に補導されてしまうだろう。そして、言葉が通じないことがバレてしまったら……それはどうしても避けなければならない。
とはいえ、ここから抜け出す方法など思いつくはずもない。
俺が迷っているあいだにも、降車した人々が改札機を通っていく。その光景を見て俺は気づいた。改札機を通り過ぎていく誰もが、乗車券もICカードも持っていないことに。改札機のICカードをあてる場所に、人々は手のひらをかかげていた。そうか、あれは、
――生体認証なのか。
完全に閉じ込められた。
生体認証なんて。なおさら誤魔化しきれるものじゃない。初っ端から詰んでるじゃないか! ちきしょう、ここから抜け出すのにあの改札は使えない。どうすればいい?
なにかないかと周囲を見まわす。
しかし、プラットホームの階段とエスカレーター、駅員専用口とおぼしきドアと、おそらくトイレと思われるマークの掲げられた入口があるのみ。俺は男子用と思われるトイレへ駆け込んだ。
白いタイルで覆われた空間は、やはりトイレだった。
どこかに抜け出せそうな窓やドアがないか探してみたが、なにもなかった。こうなると、あとは駅員専用口しかない。それなら、まずは改札にいる駅員の人数と位置を把握する必要がある。
ふたたびアナウンスが響いた。
おそらくつぎの列車が到着するのだろう。
よし。覚悟を決めろ、磯野。
俺はトイレを出た。
改札機に二人、エスカレーターから改札のあいだに一人、そして、最悪なことに、駅員専用口のドアの前に一人。
あの駅員が交代するタイミングを見計らうしかないのか。駅の営業時間までに――
……ちがう。つぎの列車の到着までのこの間、閑散とした改札の横にとどまっている俺は、ただの不審者でしかない。そう、
――駅員たちが、俺を見ていた。





