第壱話 女神の初恋
――好き。
こんな感情を持ったのは、生まれてからのながい、ながい時間の中でも初めて。
好き。愛している。
赤面してしまう言葉だけれど、嘘じゃない。
――あなたの隣にいつでもいるのは、私でありたい。
だから届いて、この想い。
「どうして魔族は――魔王は人界を滅ぼそうとするんです、か?」
愁いを帯びた美しい声で、魔族の人間に対する所業を問うてくる、美しい女性。
限りなく白に近い金色の髪。
癖ひとつないその長く美しい髪は、それ自体が光を放っているかのように輝いている。
いや実際、それ自体が僅かに、だが確かに清浄な光を放っているのだ。
物憂げに伏せられた金と碧の斑の瞳は僅かに潤み、清水に濡れた宝石のように美しい艶を浮かべている。
シンプルでありながら、考え得る限り最上の技術とデザインを惜しむことなくつぎ込まれた純白に金糸があしらわれたドレスに包まれた肢体は、バランスよく女性らしさを主張している。
それも当然と言える。
なんとなればこの女性は、この世界の女性すべての原型ともいえる――
『あれ、最高神――創造の女神だよな?』
その女神に、人を害する理由を問われた当人――魔王。
漆黒の髪に捻じれた山羊角を生やし、細身だが鍛え上げられた身体をこれまた漆黒の魔王らしい鎧に包んだ姿。
らしくないのは意外と優しげな顔立ちと、なぜ眼鏡をかけていることか。
その魔王が己の脇に立つ、褐色銀髪灼眼、少々露出が過ぎる革の衣装にその肉感的な肢体を押し込んでいるような女性魔族に小声で問いかける。
『信じられませんが、間違いありませんね。神気が尋常ではありません。この魔王城に神気が満ちるなんて、何かの冗談のようですね』
「常に冷静」という魔王の評価が正しいことを証明するように、あり得ないことが起こっていることを淡々と認めている。
こちらはこちらで艶めかしいというか、艶っぽいというか、清楚を極めたような女神と並べれば女性の魅力というものの両面、その一方を体現しているかのような淫靡さを漂わせている。
『それ以前になんで当たり前のようにここにいるんだよ彼女。ここ魔王城の最奥、「真魔の祭壇」だぞ?』
だが魔王の方はその存在に慣れているのか、普通であれば目のやり場に困りそうな女性魔族をこれとて気にすることなく、言えばもっともな疑問を続けて投げかける。
女性魔族が問えばなんでも答えてくれると思っている節のある現魔王だが、疑問に思うべきはまず、なぜ創造神が魔族の領域の中枢、魔王城に現れたのかを気にするべきではないのかなー、と思わなくもない女性魔族である。
問いかけから想定すれば、最悪創造神の名において魔族を滅ぼしに来た可能性とてあるのだ。
神というものはもとより、魔族ではなく人の守護者であるわけだし。
一方魔族に魔神は存在せず、魔王こそが種族守護の要である。
『さすがは最高神と申しましょうか……我ら魔王軍の精鋭はすべて排除されました』
だが魔王の問いには答えねばならないので、端的に事実を述べる。
女神がこの場に現れるとほぼ同時に、魔王城を統括管理する意識体から女性魔族――魔王の副官には状況報告が届いている。
それによれば、女神が突如として現れた魔王城の入り口から、ここ「真魔の祭壇」に至るまでに配置されている警備はすべて排除されたとのことだ。
警備を担当推している者たちは、各々一対一では魔王に及ばぬまでも、皆が束になってかかればどう転ぶかわからない程度の実力を備えた者たちである。
魔王城の護衛・警備であるからにはそれも当然だが、魔族四天王()も悉く無力化されているとなれば女神――創造神の戦闘力は魔王を凌駕していると判断するしかない。
排除、無力化と報告されている通り、殺されているわけではないあたりに、あしらわれたのだという事実が滲んでいる。
『……排除』
『ええ、排除』
魔王もその事実には思い至ったようで、唾を飲み込む。
魔族最強ゆえの魔王ではあるが、そうであればこそこの城に詰めている者たちの実力もよく理解しているのだ。
平和主義の現魔王が、配下の暴走を実力で抑え込んでいるからには当然の事である。
その状況で焦ってもすでにどうしようもないことを理解しているゆえか、副官の回答はいつも通り淡々としている。
「何をこそこそ話しているのです? 私の質問には、答えてはもらえないのでしょうか?」
己の問いに答えない魔王にしびれを切らしたのか、「魔王城の無力化」を児戯に等しいとばかりに八割がた完了させている女神が重ねて問うてくる。
「……それは人界が僕たちを滅ぼそうとするからじゃないか?」
その答え次第で、自分も排除されるのかなーと内心少々ビビりながら、ここで適当なことを言うつもりもない魔王が思うところを正直に答える。
横では副官も同意の頷きを見せている。
「そんなことはありません!」
己の答えに対して、問答無用で攻撃を仕掛けてくるかと構えていた魔王だが、心外なことを言われた、という表情で魔王の言葉を否定する女神である。
魔王も魔族であるからには「力」でもって語られたら黙るしかないと覚悟を決めてもいたのだが、相手が創造神としての実力行使ではなく、論戦を仕掛けてくるというのであれば、最終的に排除されるにしても言っておきたいことくらいはある。
「いや、めちゃくちゃそんなことあるだろ! やれ勇者の義務だの、やれ英雄一党による討伐だの、定期的に僕たちの領域に攻め込んでくるのはいつも君たちで、僕たちはそれを迎撃しているだけだ」
そうなのだ。
先代魔王の頃であればいざ知らず、現魔王になってからは魔族から人間界へ侵攻を仕掛けたことなどない。
それに歴代魔王たちであっても、血の気が多かったり好戦的であったりはすれど、魔族を根切りにせんとする、世界に満ちる人に対抗していただけともいえる。
「……ええっと」
事実に基づく反論に、女神が次の反論を言い澱む。
人に信仰される象徴として、人の「在り方」を誰よりもよく知っているのが女神ともいえる。
人は驚くくらいに美しく尊い面と、生み出した女神自身が「滅ぼした方がいいのかなー」と思ってしまうくらいに、邪悪な面の双方を内在している存在なのだ。
魔族の方が「力」を信奉しているというだけで、よほどシンプルな存在ともいえる。
「挙句の果てには聖戦だなんだと、人界を挙げて兵陣を布き僕たちを根切りにしようとまでして来る! それを排除した結果、人界が滅んだのと同義になってもそんこと僕らは知るものか!」
女神に人に害為す邪悪なものとしてここで排除されるのであれば、せめて言いたいことくらいは言ってやるとばかりに魔王が畳み掛ける。
現魔王は伊達に眼鏡ではないのだ。
論戦、というよりも「ああいえばこういう」という戦いにおいて、そうそう後れを取ることはない。
その上、魔王の方に理があるとなればなおのことである。
「ひどいです! 力ある者の慈悲はないんですか?」
だが魔王がここまで言っても、女神は実力行使に出るつもりはないようで、やや涙目になりながら理ではなく情に訴えかけるようなことを言いだしている。
魔王もその副官も、わりと本気で「この人、何しにここへ来たんだろう?」と思わざるを得ない。
「黙って殺されろというのか君は!」
「そんなことは言ってないです! ただ力ある者として困っている弱い人類に慈悲をですね……」
「首を垂れて頼んでくるならばともかく、力持て奪おうとするものにかける慈悲などあるものか! だいたい地を耕し、山海の恵みで穏やかに生きる今の魔界の何が憎くて人界は戦を仕掛けてくるんだ」
弱い者が徒党を組んで強者を根切りにしようとは思わないよなー、と正直なところ魔王は思う。
事実、人に比べて魔族は強力であり、相手が勇者とか英雄、伝説の魔法使いや剣聖級でもなければ一対一で後れを取ることなどまずありえない。
だが圧倒的な数と、時を経るごとに強力になってゆく技術とそれによって整えられる武装、何よりも神々の加護を得て魔族に挑んでくる人の総体は、魔族全体よりも圧倒的に強い。
証拠というわけではないが、数百年前は地上の広大な地域を支配していた魔族は今や、この魔王城が存在する「浮遊大陸」だけに追いやられてしまっている。
その上、その浮遊大陸さえも我が物にせんとして、定期的に勇者や軍勢を送り込んで来ているのが現状なのだ。
現魔王になってからは、すべて撃退して「浮遊大陸」への人類侵攻は一切進展していない状況であるのだが。
「それは……魔界にしかない鉱物や魔物や、魔族からしか採集できない魔石をですね……」
「屑じゃないか! 僕らは人から何も奪おうとはしていないぞ!」
心の底からそう思う。
いや魔族として長い時を生きている魔王とて、人がみなそうだとは思ってはいない。
中には心を通わせえる「いいひと」がいることも知っているし、なんとなれば「魔族は悪いもの」と教えられているだけで、市井に生きる普通の人たちの多くはそうなのかもしれないとさえ思う。
だが一つの集団、カタマリ、群体――社会として人を見れば、人以外の存在に対して邪悪であると言わざるを得ないのもまた事実だ。
言葉を解し、意志疎通が可能であり、個体としては上位存在ともいえる魔族に対しても結局人の世界はそうなのだ。
それに抵抗するなと言われれば、相手が創造神だとて鼻白まざるを得ない。
「それが人という生き物なのです……」
さすがに女神も今の魔王の言葉を否定することは出来ないようで、悲しげにその美しい目を伏せている。
「僕たちだって人界の豊かな土地や、そこで育つ農作物や家畜を羨ましく思いはする。だからって力でそれを奪おうなどとは思わない。あらゆる他者から奪うことを良しとする。――滅ぶべきは人の方じゃないのか?」
「魔王様、魔王様、もうちょっと手心を。女神さまが涙目です」
どうやら魔族を、その象徴たる魔王を創造神として滅しに来たのではないようだ。
だったら何が目的なんだと言いたくもなるが、魔王に事実をまくし立てられて涙目になっている女神に、あろうことか副官がフォローを入れる。
なにがなんだか理解できない魔王とは違い、神と魔族の差こそあれど同じ女として、女神がここに現れた理由をなんとなく察しているのかもしれない。
普通は絶対にあり得ないことだと、内心驚きつつも。
「泣いてなんかいません! これは目から女神汁がですね……」
「知るかあああああああ!!!!」
もはや理解することを放棄した魔王が、わけのわからないことをしどろもどろで言い出した女神に対して素で吼える。
魔族の代表として、生殺与奪を握られた俎板の鯉としてこんな謎の問答を仕掛けられてはさもありなんとはいえる。
女神がなんだってこんな生産性のない問答を仕掛けに来たのかなど、思い当たる節もなければなおさらだろう。
そもそも一人の男としても、現魔王は朴念仁の類なのだ。
「……ところで貴女は?」
「魔王様の秘書兼愛人です」
助け舟を出してくれた副官に対して、女神が興味を向ける。
フォローを入れてくれた感謝とは別の、警戒にも似た感情がその美しい顔には浮かんでいる。
よって副官はカマをかけてみることにした。
「こら」
事実に反する回答に、いつも通りの突っ込みを入れる魔王を無視して、自分の言葉に顔色を一変させた女神をみて副官は「信じられませんが、どうやらそのようですね」との結論へと至る。
「すいません、愛人は捏造です。あらゆる手段で誘惑しているのですが未だ陥落しないのですこのヘタレは。難物ですよ、我が魔王様は」
「おい今なんつった?」
「そ、そうなんですか……」
事実に対して鼻白む魔王を再び無視し、露骨にほっとした表情をみせる女神に対して「もうちょっとこう、駆け引きというか……」という感想を持つ副官。
「……正しくは先代魔王の娘さんだ。僕に次いで強力な魔力の持ち主で、副官っぽいことをしてもらっている」
溜息を一つついて、魔王が副官のことを説明する。
ほぼ同時に生まれ、幼馴染にと言ってもいい関係であることは割愛したようだ。
男としての本能なのかなんなのか、こう言うところは感心する副官である。
「先代魔王……」
「現魔王様に完膚なきまでに叩きのめされて、隠居生活を送っております。枯れたおじい様ですね、もはやあれは」
魔族全体の方針でぶつかった結果、殴り合いで決着することになったのである。
もしそれが無ければ、今頃この世界は人類vs魔族の、生き残りをかけた凄惨な生存競争、戦乱に突入していたのかもしれない。
「いやお前、実の娘が……」
「魔王の座を力で奪った御本人が言うことですか?」
「……」
阿吽の呼吸、と言ってもいい会話の交換に、なんとなくむくれた表情を見せている女神に気付いているのは副官のみで、魔王はまったく気づいていない。
「私が愛人というのは冗談ですし、魔王様は現在独り身です。……たまに配下の淫魔などと戯れておられるようですが、いい女を自認する私は気付かぬふりをしてあげているのです」
「え?」
「え?」
先の冗談の話題を続ける副官の真意を読めなくて、魔王が疑問の声を発する。
淫魔と戯れる、という意味を脳内で反芻して、女神は思わず驚きの声を上げる。
「あの、わ、私、今日のところはこれでお暇させていただきます、……ね」
どうやら脳内でそれの意味するところの答えが出たらしく、顔を朱くしたり蒼くしたりしていた女神が唐突に辞去の宣言をする。
そしてふらついた様子で、転移も使わずによろよろと入ってきた大扉へと向かわんとする。
「あのー」
「っきゃぁ!!!」
なにかも理解できない魔王が、項垂れて退出せんとする女神に声をかけるが、穢れたものに対するような反応をされてしまう。
そんな態度を取られては、さすがに魔王もそれ以上退去する女神を止めることはしない。
そもそも滅ぼされることなく去ってくれるのであれば、魔族側としてはありがたいくらいなのだ。
「……なあ副官殿」
「なんでしょうか、我が魔王様」
よろよろと、なんとなれば鼻をすすりながら去って行った女神の気配が魔王城から消えて後、疲れた表情で玉座に坐した魔王が副官に声をかける。
「僕が……あんな目で見られる謂れはあるのか?」
朴念仁の類とはいえ、魔王も男なのだ。
多少のそういったこともするが、おそらく女神がショックを受けたような想像程のことはしていない。
伊達に幼馴染にヘタレ認定されているわけではないのだ。
「女神さまは魔王様の妻でも許嫁でも、それどころか彼女ですらありませんからね。魔王様が
誰とどんなに淫靡に満ちた暮らしをしていたとしても、何も言う権利はありませんね」
「……淫靡な暮らしなんかしてないだろ」
それを知りながら、ああいう言い方をした副官は涼しい顔である。
副官は副官で、わかりにくいながら魔王に好意を寄せているのだ。
排除できる外敵は、排除できるうちにしておくにしくはない。
魔王が女神の真意に気付いていないうちにそうできるのであれば、それに越したことはないのだ。
とはいえ……
――手強そうですし、また来そうではありますね……
女神――創造神が魔王に恋をする。
歴史上類を見ない珍事が発生したことにより、この世界の人と魔族、神様の関係はこれより大きく変化していくことになる。
第弐話 『脆き者よ、汝の名は女神なり』
予定。




