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歴史を修正しないと出られない部屋  作者: 久能のの
月桂冠に届かぬ告発状

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6話

 昌幸の視線は部屋の隅に鎮座する古びた木製のタンスを真っ直ぐに捉えていた。


「あのタンスのことだ」


 昌幸の言葉に、青の視線も釣られるようにしてその家具へと向かう。


「タンス? 工作の資材や当時の資料、それに私たちの衣装など、状況に合わせて都合の良い道具を出してくれる、ただの便利な箱でしょう。それがどうかしたの?」


 青の氷のように冷ややかな言葉に対し、昌幸はゆっくりと首を横に振った。


「違う。お前はずっと、単に必要なものが手に入るだけのラッキーな箱だと思ってたかもしれないが、あれはそんな生易しい代物じゃない」


 昌幸は、これまでのミッションでの出来事を脳内で急速に組み立てながら、言葉を紡いでいく。


「五稜郭のときは、工作の資材と一緒に、お前が内心で崇拝している新選組の隊服がご丁寧に出てきただろ。あれは単に都合のいい道具が出てくるだけの代物じゃない。引き出しを開けた人間の深層心理にある『願望』を読み取って、具現化して吐き出すというとんでもない性質を持ってるんだよ」


 その言葉が落ちた瞬間、青の整いすぎた顔立ちがわずかに強張った。彼女の明晰な頭脳が、これまでにタンスから現れた数々のアイテムの不自然さと、昌幸の提示したロジックを瞬時に結びつけ、その不条理な仮説の正当性を頭の中で猛スピードで検証しているようだった。


「深層心理の願望の、具現化……」

「そうだ。お前はタンスの法則に気がついてなかったから、単に都合の良いものが入っていてラッキーだと勘違いしていただけだ」


 昌幸は自嘲気味に口角を上げながらも、すぐに表情を引き締め、核心へと踏み込んだ。


「俺たちはこれまで、何度もこの白い部屋に放り込まれて、命懸けで歴史を修正させられてきた。だが、なぜ俺たち二人なのか、そもそも誰が何の目的でこんなことをしているのか、根本的な理由は何も分かっていないままだろ。ただ理不尽に巻き込まれているだけだ」


 昌幸の言葉の熱に当てられ、青は黙って彼の次の言葉を待った。


「もし、あのタンスが本当に深層心理の強い思いを形にする装置なら……『なぜ俺たちがこんな事態に巻き込まれるんだろう』という強烈な疑問と、この事態の真相を知りたいっていう明確な意志を持ってあの引き出しを開ければ、この理不尽な状況の正体に関する何らかのヒントが出てくるはずだ」


 昌幸の推論は、この異常な空間のルールそのものを逆手に取る、突飛でありながらも奇妙な説得力を持っていた。青の漆黒の瞳が、昌幸の顔と古びたタンスを交互に見つめ、静かに思案の光を帯びていく。彼女の論理的な思考回路からしても、その仮説を試してみる価値は十分にあると判断したのだろう。


「……あなたのその泥臭い推論が正しいという保証はどこにもないけれど。いいわ、試してみなさい」


 青の同意を得て、昌幸は確かな意図を持って、部屋の隅に置かれた古びたタンスの前へと歩み寄った。

深く息を吸い込み、目を閉じる。そして、自身の内側に渦巻いている「なぜ自分たちが選ばれたのか」「この不条理な密室の正体は何なのか」という純粋な疑問と、真相への渇望だけを脳内に強く思い描いた。雑念を完全に排除し、ただひたすらに答えを求める意志だけを指先に込めて、錆びついた取っ手に手を掛ける。

 昌幸が意図を持って引き出しを開く。

 ギィィ、と重苦しい金属の軋み音が、完璧な静寂に包まれた白い空間に響き渡った。

 昌幸はゆっくりと目を開け、引き出しの底へと視線を落とした。背後からは、青も静かに近づき、同じように中を覗き込んでいる気配がする。


 そこに現れたのは、歴史の謎を解き明かすような古文書でも、密室の設計図でも、あるいは超常的な力を持つアーティファクトでもなかった。

 無造作に置かれていたのは、たった二つの、あまりにも見慣れた日常の品だった。

 一つは、少し端が折れ曲がった、見覚えのある歴史研究部の「入部申請書」。

 そしてもう一つは、新選組の掟が墨文字で力強く大書された、無骨で分厚い陶器の「湯呑み」だった。


「……なんだこれ。入部届と、湯呑み?」


 昌幸は拍子抜けしたような、心底理解できないという声を漏らし、怪訝な顔でその二つの品を見下ろした。

 入部届の署名欄には、見慣れた流麗な文字で「西園寺青」と記されている。そして湯呑みは、五稜郭での過酷な任務から生還した後の休日、函館で青がわざわざ購入し、土産として昌幸にプレゼントしてくれたあの湯呑みそのものだった。


「なんで俺が貰った湯呑みと、お前の入部届がこんなところに入ってるんだ? これが、俺たちが巻き込まれた理由のヒントだって言うのか?」


 昌幸は首を傾げ、タンスからその二つの品を取り出して青の方へと振り返った。

 しかし、その横に立つ青の反応は、昌幸の呑気な疑問とは全く次元の違う、劇的かつ決定的なものだった。

 青の切れ長の瞳は限界まで見開かれ、その眼差しは昌幸の手に握られた二つの品に完全に釘付けになっていた。陶器のように滑らかな白い頬が、耳の裏から首筋にかけて、みるみるうちに沸騰したように朱に染まっていく。普段の完璧な優等生としての冷ややかな仮面は音を立てて崩れ去り、その表情には猛烈な羞恥と、信じられないものを見てしまったという極度の動揺がはっきりと刻み込まれていた。

 昌幸にはただのガラクタにしか見えないその二つのアイテムが持つ「本当の意味」を、青の明晰すぎる頭脳は一瞬にして読み解いてしまったのだ。

 

 入部申請書。それは春の日の放課後、周囲の勝手な期待やレッテルに息苦しさを覚えていた青が、昌幸という全く飾らないフラットな存在に出会い、「彼と同じ場所にいたい」と明確に自覚し、自らの意思で歴史研究部へと足を踏み入れた起点の証である。

 そして湯呑み。それは函館での過酷な任務から生還した後の休日、土産物屋で無意識のうちに昌幸の泥臭く奮闘する姿を思い浮かべ、彼のためにと手に取ってしまった代物だ。それは、青自身ですら明確に言語化できていなかった、「いつの間にか、無意識に彼への贈り物を探してしまうほど、想いが深くなっていた」という決定的な変化の証拠に他ならない。


『使用者の深層心理の願望を具現化する装置』。


 昌幸は「なぜ俺たちがこんな事態に巻き込まれるのか」という理由を求めてタンスを開けた。そしてタンスが提示した「答え」が、この二つの品だったのだ。

 タンスから出てきた入部申請書と湯呑みを前に、青は自力でこの部屋の成立ロジックを導き出す。

 つまり、この不条理な密室が生み出され、二人を閉じ込めて数々の歴史修正という過酷な共同作業を強制している根本的な原因。それは、神の気まぐれでも歴史の意志でもない。他ならぬ西園寺青自身の、「昌幸ともっと一緒にいたい」という、あまりにも利己的で無意識の願望そのものが、この超常的な現象を引き起こしている元凶なのだ。

 そのあまりにも重く、そして否定しようのない自身の欲望を物理的な証拠として突きつけられ、青は弾かれたようにタンスから数歩後ずさった。


「っ……!」


 言葉にならない短い悲鳴のような息を呑み、青は両手で自らの口元を強く覆った。顔全体から火が出るような熱さに襲われ、普段の冷静沈着な姿からは想像もつかないほど激しく取り乱し、潤んだ瞳を激しく泳がせて身を震わせる。誰にも知られたくなかった、自分自身すら認めるのが怖かった本心を、こんな白日の下に晒されるなんて。

 その劇的な様子の変化に、アイテムを手にしたままの昌幸がギョッとして目を丸くした。


「おい、西園寺? どうしたんだよ急に顔を真っ赤にして。ひょっとして、その入部届と湯呑みを見て、この部屋の謎が解けたのか?」


 昌幸は青の様子の変化には気づくが、原因には全く思い至らない。

 昌幸は純粋に情報を求める相棒として、事の真相を問い詰める。タンスの中身が、自分へ向けられた恋愛感情の具現化であるなどとは微塵も思い至っていない、あまりにも無防備で真っ直ぐな問いかけだった。


「ヒントが出たなら黙ってないで教えてくれよ。俺たちが巻き込まれた理由って、一体何なんだ?」


 その致命的なまでの鈍感さと、無神経に事の核心に迫ろうとする昌幸の態度に、青は羞恥と持ち前の高いプライドを激しくかき混ぜられ、パニック状態の頭に血が上るのを感じた。

 覆った両手の隙間から、恨みがましく、しかしどこか涙ぐんだような瞳で昌幸を鋭く睨みつける。


「……教えないわ」

「はあ!? なんだよそれ、せっかくお前なら分かるヒントが出たってのに、出し惜しみすんなよ!」


 昌幸が不満げに声を荒らげるが、青は絶対に口を割るつもりはなかった。こんな恥ずかしい真相を、本人に向かって言語化できるわけがない。


「絶対に、教えないわよ……っ! あなたのその鈍感で腐った性根が治らない限り、永遠に秘密よ!」


 半ば涙目になりながらも強硬に拒絶し、そっぽを向いてしまう青の態度に、昌幸は特大の溜息を吐き出して乱暴に自身の頭を掻きむしった。

 彼女がなぜこれほどまでに取り乱し、頑なに口を閉ざすのか。持ち前の高い状況分析能力をもってしても、その根本的な原因には全く思い至らない。入部届と湯呑みの何が、彼女の癇に障ったというのか。

 昌幸は「なんでだよ」と納得できないまま、しかし追及する手段もなく、混乱を抱えたまま扉へ向かう。


「わけがわからん……。まあいい、どっちにしろ歴史は戻ったし、ここには用はない」


 昌幸は汗で張り付く不快なトゥニカを脱いで白い床に放り捨てると、手の中の二つのアイテムをどうしていいか分からず、現れた現代の制服のポケットへと無造作にねじ込んだ。青もまた火照った顔を隠すように背を向け、逃げるような手つきでパッラとストラを脱いでいく。


 古代の衣服を過去の残滓のように真っ白な部屋に残し、昌幸は釈然としない思いを抱えたまま、開かれた扉へと向かって歩み出した。

 背後からは、見慣れた制服姿に戻った青が、今はどこか気まずそうに、躊躇いがちな足取りでついてくる気配がする。普段であれば、歴史の修正を終えた後には互いの働きに対する皮肉や嫌味の一つでも飛び交うところだが、今の二人の間には無言のままの重苦しい、それでいてどこか熱を帯びた沈黙が落ちていた。


「……やれやれ、歴史の歪みを正すより、お前のその不機嫌の理由を解き明かす方が、よっぽど難解なミッションみたいだな」


 耐えきれなくなった昌幸が、ぽつりと軽口を叩いて肩をすくめた。

 背後で微かに衣擦れの音が止まり、青が息を呑む気配が伝わってくる。しかし、いつものような辛辣な罵倒が返ってくることはなかった。彼女はただ無言を守り、火照った顔を伏せながら、再び昌幸の後ろを歩き始める。


 目の前に広がる扉の向こうからは、見慣れた歴史研究部室の、少し埃っぽく古い紙の匂いが混じった空気が静かに流れ込んできている。窓から差し込む夕焼けのオレンジ色の光が、無機質だった二人の足元を温かく照らし出していた。

 昌幸は小さく息を吐き出すと、そのまま光の差す日常へと足を踏み入れる。青もまた、言葉にならない複雑な想いを胸に秘めたまま、彼の背中を追うようにして、ぽっかりと開かれた扉を潜り抜けた。

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