第81話 不要要塞の汚名に隠れ
津軽海峡の波間に揺られること半刻。真新しい第三青函丸のタラップを降りて、乙女達を迎えに来たのは陸軍軍人――兵であった。「お迎えに上がりました」と物静かに声を掛けたのは精悍な顔立ちの上等兵。だがミエコの顔は優れなかった。
なるほど凜々しく、直立不動で迎える様は軍紀の精華ではある。しかし二人の目には生気がなく――落ち窪んだ眼窩からは、地獄の底が覗き込めそうで、乙女は苦虫をかみつぶしたように口角を下げた。
「大佐は上でお待ちです」
船からぞろぞろと下りた人波は遠く、彼らは函館市街へ向かう。しかし乙女達が向かう先は、人を寄せ付けない山である。
秋の北海道南部の風を浴び、ミエコはジャケットの襟を締めた。函館湾に津軽海峡――海に囲まれた函館は、海風の街であった。その名は、明治御一新を遥かに遡り、室町時代に檜山安藤氏配下の武将、河野政道が築いた館――箱のような館に由来する。以来五百年、アイヌと本土の架け橋であり、同時に橋頭堡でもあった函館は、国際貿易港として、歴史的係争の地として、そして五稜郭以来の軍事拠点として発展してきた。
御影の部下が用意したアシは、2台のくろがね四起(九五式小型乗用車)であった。幌を外してくれていたので、乗り込んだ財閥令嬢と黒衣の巫女は、帝都の秋とは全く異なる北国の秋風に髪を靡かせた。
「函館市街の散策とは、――行かないわよね」
「当たり前でしょ」
呆れた一言に、反射的に肩を竦めようとした所で「気持ちは分かるけどね」と、ヒノエが珍しく賛意を示した。
「あら、珍しいじゃない。ヒノエも散策したいの?」
「違うわ」
「なら」
「これから見るのが地獄だろうから、気を紛らわせたいだけよ」
乙女達のくすんだ会話に、運転手の上等兵は首を毫も動かさず運転に専念している。三途の川の渡し船。六文銭は手にはなく、山の向こうにいるのは奪衣婆か懸衣翁か――。ミエコは木々が生い茂る林道の如き坂道――軍用道路を見渡した。
函館要塞が眼前にある――。
北の大地と本州の間、津軽海峡は軍事上の要衝であり続けた。日露戦争時には、ロシアの脅威に対抗するために箱館山山中に砲兵陣地が築かれ、大型榴弾砲が配備されていた。しかし戦果は芳しくなく、フランス軍事顧問団ミュニエーや、ドイツ軍事顧問メッケルによる函館の調査、その後の要塞建設の労力も虚しく――ロシアウラジオストク艦隊に良いように通商破壊戦を展開され、良いように挑発されるばかりであった。
大正時代に入ると要塞整理案が提出され、函館要塞は廃止され、新規に設置された津軽要塞に吸収されることになる。戦艦伊吹の二十七センチ砲も大間崎砲台への配置であり、この函館要塞は要衝である割には――旧式の図太い二八センチ榴弾砲があるばかりで、軍事的評価も低く、今後それが改善することはないだろう。
――そう思っていた。
秋色の木々に覆われた函館山である。見たところ、軍事的意匠に明治の香りはすれど、昭代の香りはしない。山の頂上に登る頃には、チラホラと視界に映っていた煉瓦もコンクリートも、等しく今のそれではない。それでも、あの御影が呼び寄せたのだ。何かとんでもないものがある。その恐れは固くなった乙女の表情に表れていた。
『姫は何も教えてくれないの?』
念話でヒノエだけに話しかけた。
『話してくれないわ。……多分、何があるかは全部知ってるんでしょうけど、生で見たことはないんじゃない? 御影大佐から情報提供があるとは思えないし、私達が観察者に選ばれたんでしょ』
何処となく歯切れの悪い物言いに、ミエコが不満を零そうとした時、突然車が止まった。
「こちらです」
砲台陣地近傍――千畳敷砲台の手前である。運転手が淀みない仕草で降りると、乙女達の降車を促した。見れば、細道の手前で歩哨が二人立っており、小銃を脇に添えている。彼らの後ろには砲台陣地へと登っていく山道が続いている。
「ここなの?」
「……ふーん」
ヒノエが何かを見たようだった。
「何か見えた?」
「地下に作るとは、ご大層な事ね」
黒衣の巫女が驚きと呆れを織り交ぜた溜息を漏らした。「ついて来てください」と上等兵が先導に歩き始め、ミエコとヒノエも後ろについて行く。山道に足を踏み入れた直後、上等兵はくるりと向きを変え――左に向かった。見れば、道路と並行するように壕が設けられ、一見すると城の空堀にも見えた。壕の中へ上等兵がそそくさと降りると、そこには無骨なコンクリートブロックと、地面に向かって斜めに備え付けられた扉――茶色い鋼鉄の扉が、顔を覗かせていた。
「地下要塞――?」
表示も看板もない。
無骨な扉が口を開けている。
上等兵が「暗いですのでご注意ください」とバスガイドのような口調で、スルリとその闇に飛び込んでいく。「ま、待ちなさいよ」と乙女は駆け足気味に後を追った。
ぽっかりと闇を湛えた入口。人一人がやっと通れる程狭い。コンクリートの縁取りこそ明るいが、中は覗き込んでも闇が蹲るばかりで、それでも上等兵の持つ懐中電灯が漸く照らし出したのは、地下に深く続くコンクリート製の螺旋階段だった。
『行くしかないわね』
『お先どうぞ』
『あーら、レディはお互い様じゃ?』
『そういう軽口も叩ける内にした方が良いわね』
軽妙の中に翳りが滲む。壁に設置された白熱球は薄暗く、どうにも床まで光が届いていないようだった。洞窟の中の松明の風情である。さらに北の秋風に負けないくらい寒い空気が、乙女達の吐く息を僅かに白くした。寒さに歯がみする中、先導の足取りに併せてカツカツ、カツカツ――とブーツの音が、何重にも重なるように響き渡った。
しかし、降り始めたら早いもので、一分と掛からず一番下まで降りきった。ミエコが顔を上げると、そこは壁という壁がのっぺらぼうのコンクリートで覆われていた。学校と言うより人間味のない病院――しかもそれを何倍にもしたような風情で――高さも幅も4メートル程の直線通路に出た。白熱球が確りと配置された廊下――奥行きは二十メートルはあろうか? 通路脇には幾つも部屋があり、真正面には――。
「遠路遙々ご苦労。羅刹の乙女達よ」
冷たい冷たい声が、ミエコ達を労っていた。




