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それでもここにレクスンたちが通った印が残されているというのは、彼らがまだ遠くへ入っていないという証拠であり、ガストゥたちにとっては僥倖でもある。
「そうと決まれば、少し飛ばすぞ」
いきなりトルクを上げられたエンジンは「ウオン」と一声吠えた。腹の中に乗った人間たちを後ろに押しやるような圧をかけて、車は速度を上げる。
砂丘の出っ張りに足を取られて軽く跳ね上がりながらも、バンは轍を踏んでただひたすらに……まるで地平線に追いつこうとしているかのように走り続けるのであった。
やがて車は砂漠を抜ける。道は固く舗装され、中央には多肉の雑草をたっぷりと植え込んだ分離帯を抱えて広い。そこを走る車が、対向車も追い越しすらなくただ一台きりというのが申し訳なくなってくるほどだ。
そこを走るバンの中は無言であった。
ジェシーが一通りの説教を終えて黙り込んでしまったせいもある。説教されていたジェンスが猫たちの間に潜り込んでうたたねを始めてしまった、これに対する配慮もあるだろう。しかし、それよりも強く彼らの声を奪っているものは、前方遠くに見え始めた高くそびえたつガラス製の塔であったことは間違いない。
そう、宇宙港だ。それは遠さと薄い砂塵に霞んでなお雄々しく、二つの太陽が高くから照り下ろす陽光にきらめいて黄金でできているかのように輝いていた。あそこにネズミたちが、そしてレクスンが待ち構えているのだと思えば、戦いへの緊張から誰の口も重くなる。
ガストゥはこの重苦しい雰囲気を振り払おうと話題を探した。
「宇宙港までは、このまま真っすぐかい?」
ハンドルを握っているデリスクが、少しくぐもった声を返した。
「まあ、真っすぐっちゃあ真っすぐなんだが、途中からはトンネルになっている、長いやつだ。おそらくはそこが最初の難関となるだろう」
それっきり、再び会話は途切れる。
ガストゥは困り切って、運転席に座った男の後姿をぼんやりと眺めていた。ふと、その首筋に細い金の鎖がかかっていることに気づいて、彼は目を見開いた。
「それ、『陽光のペンダント』かい?」
「ああ、俺は太陽教の信者だからな」
彼が首から外してガストゥに渡したそれは、太陽教の信者であることを示す象徴であり、かつてはデニスも同じものを見につけていた。鎖には太陽を簡略化した赤い色ガラス製の小さな玉が下がっており、地球から遠く離れた信者はこれを『太陽のかけら』と呼んで遠く離れた地球の太陽の代用として祈りをささげるのだ。
しかしデリスクの鎖にはこのガラス玉が二つ下がっており、ガストゥはこれをこの星ゆえの仕様であるのだろうと考えた。
「なるほど、太陽が二つ……ここの空に合わせたのか」
「ああ、いや、そういうわけじゃなくってさ……」
デリスクは戸惑ったように首の後ろを掻き、黙り込んでしまった。代わりに答えたのはメイビーだ。
「それ、一つは好きな女なんだってさ、『俺にとっては太陽のような女だから』って、バカじゃない?」
デリスクが大きく体を揺すってうめく。
「バカだよな、やっぱり」
メイビーの声は勝ち誇ったように高らかだ。
「バカでしょ、何がバカって、そんな女のために地球まで捨てちまって、こんな辺境の星に来るのがバカなんだよ」
助手席からミンストンがたしなめる。
「バカは言いすぎだろ、メイビー」
しかしメイビーはきっぱりと言い切った。
「バカ以外に言うことなんかあるもんかい」
さらに険悪に、メイビーは声を荒げる。
「地球に暮らしてりゃ、人食いネズミにおびえて逃げ回るようなこともなかった。先陣切ってネズミの巣に飛び込まされるような目にも合わず、のんびりと平穏無事に暮らして行けたかもしれないじゃあないか!」
対して、デリスクの声は穏やかであった。
「仕方ないじゃないか、人間は誰しも太陽がなくっちゃ生きていられない。だから俺は地球で太陽を失って死ぬことよりも、俺の『太陽』のそばで生きることを選んだ」
「何が太陽なもんかね、太陽ならば冷えた体を温めてくれることもある、暗闇に一人きりにならないように道を照らしてくれることもあるだろうさ、つまりはあんたにいろんなものを与えてくれる。ところがその女はどうだい、思わせぶりな態度をとるばかりであんたのモノになんかなりゃしない、そんな女にかまけてないで地球にいれば、今頃はもっとあんたに似合いの女房でもできて、子供の二人もいるころだろうに……あたしは……あたしはあんたから奪うばかりで何も与えられないじゃないか!」
ガストゥは、それで二人の関係に気づいてしまった。おそらく二人は古くからの傭兵仲間で、デリスクが一方的な恋慕から彼女を追いかけてこの星へ入植したのだろう。メイビーもそんなデリスクのことを憎からずは思っており、強くは突き放せずにいるといったところか。
もちろん大人同士のこと、心の隙間を体で埋めるような夜もあったに違いない。彼女はそうした夜をいくらか後悔しているのだろう、すでに少し涙声だ。
「あたしがもっとはっきりしてりゃあ、あんたは幸せになるはずだった、そうだろう?」
「それは違うよ、メイビー」
デリスクの声は静かで、それでいながら揺らぎない。
「太陽はだれかに何かを与えようと思って照っているわけじゃない。俺たちが太陽の輝きを勝手に受けて、勝手にその恩恵で暮らしているだけさ。それと同じでメイビー、君はただ自分の思うように生きていながら、俺に数多くの恩恵を与えているんだ。だから君が結婚した時、そして子供を産んだ時、俺は自分の太陽を奪われた悔しさから地団太を踏んだもんさ」
「あれは、私としても若気の至りだったのさ」
「おまけにあいつは、子供を亡くした君を慰めるどころか、その原因が君の不注意だと責め立てて君を捨てた。あの時、俺は嫉妬や悔しさよりも強く、ただ……君の笑顔が失われることを心配した。その時なんだよ、君が俺にとってどれほど手放しがたい『太陽』だったのかを思い知ったのは」
デリスクが片手で合図するから、ガストゥは自分の手の中にあるペンダントをメイビーに向かって差し出してやった。
彼女は手を伸ばしかけたまま指先を惑わせている。そこへ、ペンダントに添えるように、デリスクの優しい声。
「メイビー、君はただ俺を照らしてくれるだけでいい。俺だけの太陽になってほしい」
惑っていたメイビーの指先がすっと伸ばされ、『陽光のペンダント』を掴んだ。
「そういうことは、もっと早く言ってほしかったね」
「うん、すまん。その代り地球についたら、もう二度と君を手放さないと誓うよ」
メイビーは少しふてくされたようにほほを膨らませてそっぽを向いた。その頬がわずかに赤みを帯びているのはウィンドウから差し込む日差しのせいばかりではないだろう。
車内には再び静寂が戻ってきた。しかしそこには先ほどまでの重苦しい緊迫感はない。ただ会話がないというだけの無機質で緩やかな、そしてどこか甘い静寂がかすかに漂っているだけである。
そんな中、ジェシーがガストゥの袖をそっと引いた。
「さっきの二人の会話が理解できなかったのだが、解説を頼んでもいいか?」
「どうぞ」
「デリスクは『俺だけの太陽になってほしい』と言ったな、しかし人は太陽になどなれない。あれはジョークなのか?」
「ジョークじゃない、比喩だ。彼はつまり自分を地球に、彼女を太陽に例えることによって自分にとってどれほど必要不可欠な存在だと思っているかを表現したんだ」
「それは、何か意味あってのことのか?」
「自分にとって不可欠の存在である、だから一生をともにしてほしいという、プロポーズだよ」
ジェシーは眉の間にわずかにしわを作ってうめく。
「難しいな。プロポーズというのは、常に複雑な比ゆ表現を必要とするものなのか?」
そんな姿も微笑ましくて、ガストゥは自分の頬がわずかに下がるのを感じた。
「別に複雑である必要はない。ただ、自分がどれほど相手を思っているか、どれほど愛しているかという感情を言い表そうとするから、複雑なものになりがちなんだ」
「なるほど、感情……私の苦手とするところだ」
不意に顔を上げたジェシーは、真っすぐにガストゥの目を覗き込んだ。
「私はあの日からずっと、君の告白に答える言葉を考えている。それはとても複雑で、今はまだ言葉にすらならない。だが、そうして君を待たせている間に心変わりなどされてはどうしようかと焦る心があって、これだけは自分でも驚くほどはっきりとわかっているし、言語化も可能なんだ」
彼女はぐっと両手を固く合わせて、まるで祈るようなしぐさを見せた。
「私は、君に嫌われたくない」
今のガストゥには、それだけでも十分な答えだった。彼は固く握り合わされた手を引きよせて、指のこわばりをほぐしてやろうとするかのように両手で包み込む。
「大丈夫だ、ジェシー、ゆっくり待つよ」
「嫌いにはならないのか?」
「君が嫌われたいっていうんなら、努力はしてみるけど?」
「いやだ、嫌いにならないでくれ」
「わかった、嫌いにはならない。だから安心して、ゆっくり考えるといい」
「……ありがとう」
そして再び訪れる甘やかな静寂、車のエンジンの音だけがやけに朗らかに聞こえて。
窓の外にはトンネルが近いことを示す標識と、その向こうに嘘くさいほどの輝きを放つ宇宙港の高い尖塔が見える。