処暑
白鷺湖のさらに西側にはちょっとした山があって、一帯が大きな公園になっている。
公園には有名な梅林があって、春には梅が見事に咲くけれど、今は青々と茂った葉が雑木林と森のはざまのような風景を濃くしている。
「こっちだ」
チャコが示した場所には、森の中にたたずむ小さな神社があった。
ぼろぼろで、社には雑草がはびこっていて屋根も傾いている。柱や屋根が黒くすすけているところを見ると、昔火事でもあったのかもしれない。
「ここの神社の神様が?」
「いや、ちがう、ここの神社の神さんは、もうずいぶん前に亡くなっている。…そもそも、こんな社、すでに存在しない、はずなんだ」
「え?」
チャコの言葉がよくわからなくて聞き返そうとしたとき、ぼーんと大きな音がして社の屋根の上に浮かぶように巨大な懐中時計が現れた。
普通の懐中時計の数十倍はあろうかというそれは、琥珀色に発光して、自身の周りにさらに巨大な文字盤を展開させた。
空気中の見えないスクリーンに映し出されるようにして浮かび上がった文字盤にはちゃんと長針・短針・秒針が存在して、午後7時00分32秒あたりを指して止まっていた。
わー最近なんかこういうの見たなーあぁそうだプロジェクトマッピングとかいうやつ。駅ビルに投影された光のショーは感動ものだった。
―――いけない、あまりに現実離れした光景に、思考が一瞬日常との接点を求めて飛躍してしまった。
集中、集中!
私は自分で自分に喝を入れると目の前の状況に思考を集中させた。
「こりゃぁ、付喪神だな」
「付喪神?」
「あぁ、長年大切に使われてきたモノに、神が宿ることがある。それが付喪神だ。付喪神の神力はそのモノの特性を反映した性質になることが多い。時を止めているのはこの懐中時計の付喪神で間違いないだろうな」
「この付喪神さんも、もう死んでるの?」
チャコはこくんとうなずいた。
「…見ろ、本体のガラス部分に大きな傷がついてるだろう?付喪神は、その存在が割と奇跡なんだ。ただのモノだったのが、人に大切にされて、長い間その価値を損なわれなかったときにだけ、神成る。逆に言えば、人に忘れられてしまったとき、そのモノの価値が傷ついたとき、簡単に死んでしまうんだ」
「そう…」
八百万の神がいるというこの国は、その数だけ屍神を生み出している。
「神に非ざるものが、この世にいても、不幸でしかない。葬ってあげよう」
チャコが言った。
チャコはいつの間にか炎をまとった獅子のような大きな体になっている。そしてその大きな口で、いつもの短刀を私に投げてよこした。
「うん」
鞘から刀身を抜き放つと、私は夜空に浮かぶ懐中時計に向き直った。
チャコが唸り声をあげて、地を蹴った。
―――その時、ひゅん、と空気を切り裂く音がして、私の頬を矢がかすめた。
「え」
そして、それはチャコの胴に突き刺さった。
チャコが、声も上げずにどさっと地に倒れる。
燃えるように緋色に光っていた体毛はくすんで青白くなり、一瞬いつもの茶色い中型犬の姿に戻ると、霞のように消えてしまった。
「チャコ!?チャコ!!??いやだ、なんで!?」
「邪魔はさせないよ」
誰かの声が頭上から降ってきた、と思うと、とさっと軽い音をたてて、少年のような体躯の人間が木から飛び降りてきた。
麻の葉紋の狩衣に、濃い灰色の筒袴を着ていて、顔にはそこら辺の屋台で売っていそうなお面をしている。
あれはたしか、最近子供たちの間で人気の、猫をモチーフにしたキャラクターだ。
そのお面だけが変にユーモラスで、気味悪い。
「…あなた、誰?チャコを射ったのは、お前?」
「そう。だってあれがいると迷惑なんだもん」
「ふざけないで。チャコが何したっていうの!!」
少年の表情はわからない。彼はすっと私の手元を指さした。
「それ、置いて」
短刀のことを言っているのだろう。そんなの嫌に決まってる。これはチャコがいない今、屍神に対抗できる唯一の武器だ。
手放すどころか、短刀をぎゅっと強く握りしめた私を見て、少年があきれたように言った。
「殺神の刀。君はまだ罪を重ねるつもり?」
「…罪?私は何にもわるいこと、してない。死んだ神がこの世から旅立つのを手助けしているだけ」
「いや、君がやっているのは神殺しだよ。ねぇ、どうして屍神が死んでいるなんて信じたの?」
「……何言ってんの?…だって、確かに屍神は通常の神とはぜんぜん違う…!」
「確かに、屍神は、彼我に害をもたらす存在だ。でも、その状態を“死んだ”と表現するのは間違っている。だって、あれはあれで、まだちゃんと存在しているじゃないか。…要はね、君は、信仰が無くなり神性が穢れてしまった神を、人間にとって邪魔になった神を、その手で殺して回っているんだよ。まるでゴミ掃除でもするようにね」
「…!」
―――うそでしょう?じゃぁ、私が今までしてきたことって。
「殺人罪と、死体遺棄罪じゃ、重さが全然違うよね」
私の考えていることがわかるかのように少年が嗤った。
「古河家は殺神の罪を背負って、代々呪われている。君たちは知らずにその手を罪に染めて、自分が死ぬ時もろくな死に方ができないのさ。あーあ、本当にかわいそう」
少年はそこで言葉を切ると、くすっと笑った。
「僕が君を助けてあげる」
「なっ…!…あなたは何?人間なの、それとも」
少年はそれには答えず、ずかずかと私に歩み寄って手から短刀を取り上げた。
少年はそれを遠くへ投げ捨てると、それを追うように伸ばした私の手のひらを絡めとって、ぎゅっと握った。
少年の手は、恐ろしいほどに冷たい。
「あぁ、君、本当に袴姿が似合うねぇ…!それに、やっぱり似てる…」
ねっとりとしたその声音に、肌が粟立つ。
「でも、違う。まがい物はいらない」
少年は急に、無感情にそう言い放つと、私の手に小さな懐中時計を握らせた。
その瞬間、ドクンと心臓が大きな音を立てて、脈打った。
それが合図だったかのように、全身の血液が懐中時計を握っている手に集まっていくような奇妙な感覚が襲ってきて、立っていられずに私はがっくりと膝をついた。
「あぁ、すごい!これでやっと、会えるー…」
遠くのほうで、少年の弾んだ声が聞こえてきた。力が抜けていくようだった。
すごく、眠い…。
落ちかけた瞼を無理やり開けて、上を見上げている少年の視線を追うと、空中に投影された巨大な文字盤の針が、ゆっくりと反時計回りに動き始めていた。どうして?
あぁ、だめ、眠い…
「ちかこから離れろ!!!」
よく知った声が聞こえた気もしたけど、私はそれっきり、意識を失ってしまった、らしい。
次に目が覚めたとき、最初に見えたのは、心配そうに眉を寄せる結城くんの顔だった。
「わぁ!」
びっくりして飛び起きたら、そのままおでこを結城くんのあごにぶつけてしまった。
「あ、ご、ごめん…?」
しばらく結城くんはあごを押さえてうずくまっていたが、痛みも治まったのか、ちょっと涙目で私を見た。
「大丈夫か?体に支障は?」
「うん、大丈夫…というか、何がどうなったの?あのお面の人は?なんで結城くんがここに?」
確か、懐中時計を握った瞬間無性に眠くなって…。
「お前、屍神に力奪われてたんだよ。付喪神の本体を触っただろ?屍神は失った神力を補おうと古河の神力を狙ってるんだ。古河の神力はひどく流動的だから、うかつに屍神に触れたり近寄っちゃだめなんだ。…ってことを夏期講習の一件で学んだと思ってたんだが」
結城くんはちょっと怒ってるようだったけど、責めるような口ぶりではなかった。だから私も素直にごめんと言えた。
「あの、変なお面の人は?」
「…逃がした」
結城くんが苦々しげに言った。
でもよかった、追い払えたんだ。
「ありがとう、なんか助けてもらってばっかりでごめん」
小さくそういうと、別に、とそっけない言葉が返ってきた。でも結城くんらしくてほっとする。
それよりも一番の気がかりは、
「…チャコが、矢を受けて消えちゃったんだ。どうしよう、チャコ、死んだりしてないよね……?」
「姿を消したんだろ?大丈夫だ。仮にも狛犬だし、そんなに簡単に死ぬようなタマじゃないさ」
多分、なんの根拠もない励ましだったんだろうけど、結城くんがそういうと、本当にそうな気がして、少し元気が出た。
「そうだよね…ずうずうしくて厚かましいチャコだもん、ひょっこり帰ってくるよね」
結城くんはちょっと「えっ」というような顔をしたけれど、最終的には「その通りだ」とうなずいてくれた。
「あいつ、何者だったんだろう」
「わかんね。でも、あいつ、一応生身の人間だと思う。彼の世のモノだったら、気配でわかるはずだけど、あいつからは何にも感じ取れなかったから。…あいつ、自分の目的についてはなんか言ってたか?」
神殺しの古河。
ふいにそんなフレーズが頭によぎって、私はぎくっとした。
―――あーあ、本当にかわいそう。
お面の少年は、古河を呪われていると言い、助けてあげる、と言った。でも、それはあの少年の目的ではないような気がする。自分の目的を達成するために、甘い言葉で私を誘導しようとしているような、そんな気がした。
神殺し、か。考えたこともなかったけど、もしそれが本当だとしたら、私はどうしたいだろう。
チャコ――――神の遣いである狛犬は、「死んだ神を葬るのが古河の使命」だと言った。チャコとお面の少年、信じたいのは明らか前者だけど、信じたいことが必ずしも真実だとは限らない。
「あいつの目的はまだ、わからない」
「そうか、でもお前を狙ってるのは確かだから、これからはより一層用心しないと。幸い、もうすぐ学校が始まるから、近くにいる間は俺が守る。問題は、遠くにいる時だ。何か対策を考えないと…」
「うん、そうだね。…あれ?でも、今回結城くんはどうやってここが分かったの?」
確かチャコの話では結城くんは屍神の影響を受けて、動けないはずだった。
「屍神の気配を追うのは結城の得意分野だからな。お前が傍にいないから、動きにくかったが…これ」
結城くんがポケットから出して見せたのは、私がこの前あげた、ペットボトルのおまけのストラップだった。最近人気の猫をモチーフにしたキャラクターが、満面の笑みを浮かべて、紐の先で揺れている。
「お前がくれたやつ、お前の神力がこもってたから、時間止まってても少しは動けた」
私は目を丸くした。まさか結城くんがそんな幼稚なキーホルダーを大切に持ち歩いているとは。
結城くんはそんな私の様子には気づかなかったらしい。
「ま、これからのことについてはまた落ち着いたら考えようぜ。今日は疲れたし。それに」
結城くんは言葉を切ると、ふとごつい腕時計に視線を落とし、もうすぐはじまるぞ、と言った。
「え?なにが」
「花火大会だ。お前の力を得たことであの付喪神、時を巻き戻しやがったんだよ。といっても、俺がすぐに止めたからほんの20分くらいだけどな。だからほら、」
さん、に、いちという結城くんの掛け声に合わせて、ヒューと花火が打ちあがった。
夜空に大輪の花が咲く。
「おー」
今日でこの花火を見るのは二回目だけど、その迫力は何度見ても衰えない。それに、見る場所も、一緒に見ている人も違う。私は新鮮な気持ちでその花火を見た。
一回目と違って、火の粉は空中に留まらずにちゃんと落ちて、地面すれすれのところで消えてった。
間髪入れず、二発目、三発目と花火が打ちあがる。隣で夜空を見上げる結城くんの頬が、花火に照らされて色とりどりに染まった。
しばらく二人でだんまり花火を見ていたが、ふと結城くんが口を開いた。
「そういや、古河、今日は和装なんだな」
「あ」
しまった!完全に忘れていた。今、私は袴姿だった。
「ちがうちがう!これには深いわけがあって、好きでこんな格好してるわけじゃないんだよ!?私だってお金があれば浴衣着たかったんだからー…」
我ながら、言わなくてもいいことまで言ってる気がする。けど、結城くんにだけはこの花火大会にはそぐわない、ちぐはぐな袴姿、見られたくなかった。絶対馬鹿にされる…
「似合ってる、と思う」
ドン!と花火の炸裂する音に紛れてそんな言葉が聞こえた気がして、私はわが耳を疑った。
「え、なんてった?!」
「~っ!なんでもねぇ!早く会場戻ろうぜ。俺、友達置いてきぼりにしちまってるから」
私のほうを見ずに言う、結城くんの耳が、ほんのり赤かったような気もしたけど、これはその時ちょうど打ちあがった真っ赤な花火のせいだろう。
結城くんはさっさと立ち上がると、雑木林をかき分けて先に行ってしまった。
「もーなんなんだよう!」
私の頬も赤かったかもしれないけど、これは花火のせいか、それとも?
「処暑」おわり




