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23話--目覚め--

 三十分ほど経った頃、玄関のほうでガチャリと鍵の音がして、七海が戻ってきた。

 肩は大きく上下し、頬はうっすら赤い。たぶん駐車場から全力で走ってきたのだろう。スーツの上着も、ところどころ汗で肌に張り付いている。


 冷蔵庫を開けて、キンと冷えた麦茶をコップに注ぐ。氷がカランと鳴る音がやけに涼しげだった。

 それを七海の前に差し出すと、彼女は待ってましたとばかりに受け取った。


「ぜぇ……ぜぇ……んくっ。ぷはーっ、助かったっす!」


「別にこの後予定とか詰まってないから、急がなくてよかったのに」


 文句を言いつつも、一気に飲み干すその様子は見ていてちょっと気持ちいい。

 七海はようやく呼吸を整えると、「あ、そうだ」と思い出したように鞄をゴソゴソと漁り、クリアファイルをひとつ取り出してテーブルに置いた。


 受け取って中身を確認する。

 書いてあるのは、見覚えありそうな固い文面――うちの会社からの伝達事項だった。


「へぇ……『この前の渋谷駅の出来事を鑑みて、社会情勢が落ち着くまで業務停止』……ね」


 テンプレみたいな表現を読み上げると、七海は肩をすくめた。


「それは建前っすね……」


「本音は?」


「渋谷本社がモンスター? に襲撃されたみたいで、自衛隊が倒してくれたらしいんすけど、顧客管理名簿や管理サーバー等々が焼けたっす。仕事ができねぇ、が本音っすね」


 ああ……そう来たか。


 ずさんな管理体制が、想像通りすぎて頭を抱えたくなる。

 回帰前の記憶では、社長が顧客管理名簿だけ抱えて支社に逃げ込んだおかげで、どうにか再起動できたはずだ。

 今回は、私が渋谷駅で派手に暴れたせいで、あの時とは流れが変わってしまったらしい。


(未来、変わったってことなんだろうな……)


 けれど――仕事が止まる、という一点に限れば、今の私にとってはありがたい話でもある。


 仕事のことを考えなくていい。

 つまり、好きなだけダンジョンに潜っても問題ない。そういうことだ。


「まあ、いっか」


 書類の残りに一通り目を通す。特に重要な内容はそれ以上なかったので、そのままシュレッダーの口に差し込んだ。

 ガガガ、と書類が細切れになっていく音が妙に心地よい。


 ちらりと七海を見る。スーツ姿のままだ。

 たぶん会社で説明を受けて、その足で「ついでにコレ持ってけ」と押し付けられたのだろう。


「このぐらいの事だったら電話でもよかったのに」


「休みの期間は端末の電源落として絶対に繋がらないようにしてるのは誰っすかね……」


「そんな奴がいるんだね……」


 とぼけてはみたものの、犯人は間違いなく私だ。

 気まぐれで今朝電源を入れておいて、結果的に七海を走らせる羽目にしてしまったわけだ。


 ブラックコーヒーを入れてやったが、七海は一口飲んで微妙な顔をすると、慣れた手付きで角砂糖をぽとぽと落としていく。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……ごつん、と六個目がカップの中に落ちたところでようやく満足したようだ。


(前も喫茶店で同じことしてたっけ……少し貰ったら、吐き出しそうになるぐらい甘かったなぁ)


 そんなことを思い出しながら、私は二杯目のコーヒーを啜る。

 そのとき、テレビから目を引くテロップが流れてきた。


『追跡! 謎の銀髪少女は実在した!』


 何やら特番らしい雰囲気のナレーションが続き、例の渋谷駅の映像が映し出される。


(アマゾンの奥地とか行かないのかな、その「謎の存在」……日本の都心じゃなくてさ)


 他人事みたいなことを考えていると、隣からあっさりと爆弾が投げ込まれた。


「これ、先輩っすよね?」


「……さぁ?」


 条件反射で視線を逸らしてしまった。

 黒い布マスク一枚じゃ誤魔化しきれないと、事前に沙耶からも言われていたけれど、こうして面と向かって指摘されると、やっぱり居心地が悪い。


 そういえば、未読メッセージにも同じようなことが書かれていたな……と思っていると、ちょうど寝室から沙耶が出てきた。


「お姉ちゃんだよ」


「沙耶!?」


「そうっすよね~、右目の涙ほくろと長い銀髪が見えている時点で隠せてないっすよ?」


 完全に裏切られた。

 てっきり「似てるけど違うよねー」と一緒に誤魔化してくれるかと思っていたのに、秒で売られた。


 七海よ、その二つの情報だけで特定するのは早計すぎない? と文句を言いたいところだが、この場には私の味方が一人もいない。

 多数決を取っても、間違いなく2対1で負ける未来しか見えなかったので口を噤んだ。


「こんな調子でバレるなら本当に気軽に外出できないや……」


「大丈夫。任せてお姉ちゃん」


 沙耶が、ぐっと私の両肩を掴む。

 距離が近い。目が笑っていない。嫌な予感しかしない。


 ガサゴソと、この前一緒に買い物したときの紙袋を引っ張り出し、その中から服を取り出して私に押し付けてきた。


「とりあえず湿布全部剥がしてコレ着よっか」


「ちょっと、沙耶? 目が笑ってなくて怖いんだけど――」


「良いから早く着て?」


「……はい」


 圧に負けた。

 私は両手に服を抱えて、観念したように寝室へ引っ込む。


 渡されたのは、丈が長めのフレアスカートと、ふんわりとした生地のブラウス。

 買い物のときに「ガーリッシュな感じで~」とか言っていた気がするが、まさかそれを今着させられるとは思っていなかった。


 最近は運動着かラフな服装ばかりだったせいか、改めてこういう服を着ると、妙に落ち着かない。

 体のラインをなぞる柔らかい布の感触に、じわじわと羞恥が込み上げてくる。


「沙耶……? 着たけど……」


 おそるおそる寝室から出ると、沙耶は満足げに頷き、次の指示を出してきた。


「うん、じゃあバッグはこれね」


 いつも愛用しているウエストポーチを装着しようとした瞬間、沙耶の手がそれを攫っていく。

 代わりに渡されたのは、小さめのショルダーバッグだった。


 言われるがまま肩紐をかけると、ちょうど胸の真ん中を斜めに通る形になり――結果として、胸のラインが強調されてしまう。


(うわぁ……なんか、やだ……)


 羞恥が2段階くらい増したところで、背後から感嘆の声が聞こえた。


「流石としか言いようが無いっす。やっぱり分かってるっすね、沙耶ちゃん」


「でしょー? これからメイクしてあげるから、お姉ちゃんはそこ座って、早く」


 いつの間にか用意されていた椅子に、私は半ば強制的に座らされる。

 私が自前でできるメイクなんて、仕事用の薄いやつだけだ。沙耶のテンション的に、それで済むとは到底思えない。


 メイクポーチを手にした沙耶が椅子の前に陣取り、七海は私の背後に回る。


「髪はウチに任せるっす!」


「七海さん、ありがとう。いい感じに編んじゃって!」


「任せろっす!」


(え、一体いつの間にそんな連携取れるぐらい仲良くなったの……?)


 さっき知り合ったばかりとは思えないコンビネーションに、若干引きつった笑みになりつつも、私は微動だにできない。

 ここで逃げ出そうものなら、二人からの総攻撃が待っているのは目に見えている。


 ファンデーションの感触、まつ毛をなぞるブラシ、髪をすくう柔らかな指先――

 そんなものを延々と受け続けていると、時間の感覚が曖昧になってくる。


 そして数十分後。


「よし、できた!」


「こっちも完璧っす!」


 やりきった表情の二人がハイタッチを交わした。

 ようやく解放された私は、椅子から立ち上がり、姿見の前へと足を運ぶ。


「これが……私?」


 鏡の中には、私の知らない「誰か」が立っていた。


 見慣れたはずの銀髪は、七海の手によって丁寧に編み込まれ、ふわりと揺れる。

 沙耶のメイクが、元の顔立ちを崩さないぎりぎりのラインで、目元の印象を柔らかく、そして少し妖艶に彩っている。


 回帰してから、まともに鏡を正面から見ることなんてほとんどなかった。

 だから余計に、目の前の「女の子」が、自分だとはすぐに信じられなかった。


 正直に言うなら――回帰前の私が今の私を街で見かけたら、立ち止まって二度見どころか、その場で振り返ってガン見していると思う。

 そんなレベルで、美しくて、そしてちょっと蠱惑的だった。


 くるりとスカートの裾をつまんで軽く回る。布がふわりと広がり、見慣れない光景が視界に映る。

 その端っこで、スマホを構えてニヤニヤしている二人の姿が視界に入った。


 ――撮ってる。


 すべて悟った瞬間、のぼせたみたいに顔が一気に熱くなるのが分かった。


「あーあ、バレちゃった」


「コレは永久保存っすねぇ」


「これを機にお姉ちゃんが目覚めてくれると楽なんだけどなぁ」


「大丈夫っす。今の感じなら素質あるっすよ」


「聞こえてるからね?」


 アイテム袋から、古代竜骨の鞘を取り出して、コツンと床を鳴らす。

 二人の笑顔が、スッ……と引きつったものに変わった。


 物にぶつからないよう、鞘ごと軽く素振りして音を立てる。

 それだけで、沙耶と七海の肩がぴくりと跳ねた。


「ようし、一列に並ぼうか」


「お、お姉ちゃん? 一旦落ち着こう? せっかく綺麗にしたのに崩れちゃうよ?」


「そうっすよ! 落ち着くっすよ!」


 沙耶の言葉に、動きが止まる。


 ……確かに。

 せっかくここまで綺麗に仕上げてもらって、私自身、少しだけ気に入り始めているのに。

 こんな些細な報復でメイクを台無しにするのは、かけてくれた手間暇に対して申し訳ない。


 鞘をそっとアイテム袋に戻し、その代わりに人差し指を立てて二人の額にデコピンを落とした。

 コツン、と小さな音が部屋に響く。


「撮ってたことはコレで許してあげる。あと……色々とありがとう」


 笑って、素直に礼を言う。

 二人は一瞬きょとんとした顔をしたあと、なぜかお互いの手をがっちり握り合い、そのままスポーツ漫画みたいな勢いで抱き合った。


「あ、お姉ちゃん。後はサングラスがあれば、だけど……外には出れると思うよ?」


「そうっすね。持ってるんでウチのやつ貸すっすよ」


「ありがと。せっかくだし皆で外食でもしよっか」


「さんせー! 私も支度してくるね!」


 沙耶が嬉しそうに洗面所へ駆けていく。

 スーツ姿の七海はどうするつもりだろうか、と思っていると、彼女もすぐに動いた。


「車に着替えあるんで持ってきてここで着替えてもいいっすか?」


「持ってきてるんだ……いいよ」


「うっす! 取ってくるっす!」


 七海は勢いよく立ち上がると、バタバタと玄関へ向かっていった。


 リビングに一人取り残され、ソファに腰を下ろす。

 三人で外食――そう考えると、なんだか不思議な感じがする。


 二人なら、隣に座ろうが向かいに座ろうが、そこまで悩まない。

 けれど三人となると、座り方ひとつでもバランスを考えてしまう。できれば四人のほうがテーブルもすっきり収まりがいい。


「……あ、そうだ。小森ちゃんも呼んじゃえ」


 さっき返事をくれたばかりの小森ちゃんに、「この後、一緒に食事でもどうですか?」とメッセージを送る。

 返事は驚くほど早かった。


『行きます!』


 続けて、「迎えに行きますよ」と送ると、すぐに家の住所が返ってくる。

 地図アプリで確認すると、思った以上に近かった。これなら、ちょっと遠回りするぐらいで十分迎えに行ける距離だ。


 支度ができ次第向かう旨を伝え、スマホをテーブルに置いて深呼吸する。


(よし。これで四人。ファミレスでもどこでも、席の配置に悩まなくて済むね)


 少しだけ胸の奥が弾むのを感じながら、私は二人が仕上げの支度を終えるのを、ゆっくりと待つことにした。


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