【改稿版】努力だけで剣聖と呼ばれた男は過去に戻り『全知』スキルと共に再び頂きを目指す～使われていないからとTSさせられたことを神に物申したい～

1章

21話--終わりと生還--

　早く終わらせたくて、私はミノタウロスをあえて挑発した。

　――けれど、思っていたように「一撃で華麗に決める」……なんて展開には、まるでならなかった。

　目の前のミノタウロスは、私の想像を軽く越える化け物だ。

　常識外れの再生速度を持ち、数トンはくだらないであろう両手斧を、まるで木の枝でも振るうかのように軽々と扱う怪力。

　その巨体から繰り出される攻撃を、たった一度でも受けてしまえば――間違いなく、私のミンチが完成する。

　振り下ろされる斧に、古代竜骨の剣を合わせる。

　真正面から受け止めるのではなく、切っ先をわずかにずらして「流す」ようにして衝撃を受け流し、刃に力を乗せてやる。

　その瞬間、斧の軌道がぐん、と予期せぬ方向へ加速した。

　想定外の負荷を受けたミノタウロスの巨体が、耐えきれずよろめき、ぐらりと体勢を崩す。

　すかさず、足の腱を狙って斬りつけた。

　狙いは悪くない――のだが、斬り裂いたはずの肉が、瞬きをするより早くくっついてしまう。

　――想像以上に面倒だぞ、コイツ。

　真正面から削り倒すには、あまりにも再生能力が厄介すぎる。

　一撃で“仕留め切る”ための何かが欲しい。

　できれば――攻撃系の技能で、一発逆転と洒落込みたいところだが。

　今の私に、そこまでの大技を撃つ余力が残っているのか？

　……いや、魔石を喰ったことで、攻撃系の技能を扱えるラインまで魔力が底上げされているはずだ。

『回答します。現在の残存魔力の九割を消費することで、技能名：【八閃花《はっせんか》】の行使が可能です』

　脳裏に浮かぶ技能の説明。

　【八閃花】――

　魔力で形成された剣、いわゆる魔力剣を八本作り出し、自身の周囲に展開。

　その中心となる一点を突き刺した瞬間、八本の魔力剣がそこをめがけて一斉に斬りつける。

　刻まれた斬撃痕が花弁のように見えることから、その名がついた――と、技能書には記されていた。

　問題があるとすれば、その消費魔力量だ。

　残っている魔力の九割を持っていかれる。

　下手をすれば、発動後に魔力欠乏症で倒れかねない。

『回答します。【八閃花】をミノタウロスの上体に行使。現在の攻撃力であれば、ミノタウロスの上体は消し飛び、魔石が即座に獲得可能です』

　つまり、こういうことだ。

　――一発で上半身ごと吹き飛ばす。

　その直後、落ちてきた魔石を喰って魔力を補充する。

　自殺に片足突っ込んだ綱渡りプランだが、勝ち筋があるなら乗らない理由はない。

「……やるしかないか」

　私は【神速】を発動し、ミノタウロスの足元へと駆け込む。

　反撃の隙を与えないよう、執拗に足を、ひたすら足を斬り刻む。

　筋肉と腱を切り裂いても、すぐに再生してしまう。

　それでも、再生が追いつかないほどの速度と手数でズタズタにしていけば、いずれ“動き”だけは封じられる。

　やがて、ミノタウロスの脚がずぶりと沈むように止まった。

　巨体を支えきれなくなったのか、膝をつくようにして動きが鈍る。

「……今だ」

　私は大きく後ろへ飛び退き、深く息を吸い込む。

　剣を上段に構え、その切っ先をまっすぐミノタウロスへと向ける。

「【八閃花】」

　技能名を紡いだ瞬間――視界に、八本の魔力剣が花弁のように展開された。

　空間に浮かぶ刃一つ一つが、血の気を帯びるように妖しく輝く。

　同時に、体内から魔力がごっそりと抜け落ちていく感覚に襲われる。

　頭の芯がじんじんと痺れ、貧血に似た目眩が視界を暗く染めた。

　――ここで倒れるわけにはいかない。

「【神速】」

　残り僅かな魔力を、無理やり絞り出して再度技能を重ねる。

　視界の端が黒ずみ、手足から力が抜けていく感覚と戦いながら、それでも前へ。

　一歩進むたびに、意識が薄れていく。

　それでも、歯を食いしばり、ただ一点――ミノタウロスの胸へ向かって突き進む。

　距離を詰め、最後の一歩で踏み込む。

　全身の重みを乗せて、胸板めがけて剣を突き立てた。

「さあ……花よ、咲け」

　呟きが、どこまで声になっていたかは分からない。

　だが、その言葉に応えるかのように――

　一本、二本と、魔力剣がミノタウロスの体を斬り裂いていく。

　八本すべてが舞うように、中心へ向けて収束し、刻まれた斬撃痕が花弁のように広がる。

　そして、すべてが終わった瞬間。

　切っ先に、八本の魔力剣が吸い寄せられるように集まり――

　凝縮された魔力が、花火のように内側から爆ぜた。

　ミノタウロスは、悲鳴を上げる暇すらなかった。

　その上半身は、ただ一瞬で吹き飛び、霧散する。

　空中で一つだけ、キラリと光を反射する物体が宙に取り残されていた。

　私は落下しながら腕を伸ばし、それをぎゅっと掴み取る。

　――魔石だ。

「ぐえっ」

　その直後、見事なまでに受け身を失敗し、背中から地面に激突した。

　潰れたカエルのような情けない声が出たが、今は気にしている余裕はない。

　遠のいていく意識に爪を立てるような感覚でしがみつきながら、手に握った魔石をそのまま口に押し込んだ。

　噛む余裕もなく、そのまま喉へと飲み下す。

『スキル名：【剛腕】と、スキル名：【再生】を取得しました』

　次の瞬間、干からびかけていた体内に、じわり、と魔力が満ちてくるのを感じる。

　空っぽだった器に、熱い水が注ぎ込まれるような感覚だ。

「あぁ……死ぬほど疲れた……」

　全身が鉛のように重い。けれど、動けないほどではない。

　周囲に漂っていた異常に濃い魔力の流れが、じわじわと静まっていくのが分かった。

　ダンジョンから溢れ出していた「異常」が、普通の状態へと戻っていく。

　つまり、このミノタウロスこそが本当に“最後の一体”だった、ということだ。

　静寂が訪れる。

　吠え声も、悲鳴も、砲声も、今だけは何一つ響かない。

　私は地面に寝転がったまま、ぐったりと剣を天へ掲げた。

　これで全部終わったぞ、と無言で示すように。

　……何の反応もないと、ちょっと寂しいんだけどな。

　そう思った矢先、ぱちぱち、と控えめな拍手の音がどこかから聞こえてきた。

　それはやがて連鎖し、次第に大きな拍手の渦へと変わっていく。

　歓喜の叫びや、安堵の泣き声も混じり始めた。

「……どうやって帰ろう……」

　現実的な問題に、思わずぼそりと呟く。

　おっけー、全知。

　群衆とテレビ局のヘリコプターを振り切って、こっそり家に帰る方法を教えてくれ……。

　◇　◇　◇

　あの後、悲鳴を上げている筋肉と関節に鞭を打ち、【神速】で人混みの死角に紛れ込み、そのまま駅から離脱した。

　詰め寄ろうとしていた群衆の前から、文字通り「風のように」姿を消した形だ。

　駅からかなり離れた場所に停めておいた車まで戻り、まずは服を着替える。

　血で重くなっていた服を脱ぎ捨て、新しい服に着替え、血で固まった髪を上でまとめて帽子を被る。

　除菌シートで顔についた血を丁寧に拭い、鏡代わりに窓ガラスで簡単に確認する。

　……まあ、ぎりぎり「ただの疲れた人」ぐらいには見えるだろう。

　エンジンをかけ、駐車場を出る。

　上まぶたと下まぶたが、今にも熱烈なハグを交わそうとしているのを、根性で引き剥がしながら運転する。

　家に着く頃には、空はすっかり薄暗くなっていた。

　鍵を回し、玄関ドアを引いて中へ入る。

「ただいまー……」

「おかえりっ！」

　返事と同時に、沙耶が勢いよく飛びついてきた。

　受け止めるだけの体力は残っておらず、そのまま押し倒される形で尻もちをつく。

　沙耶は目に涙を溜め、鼻をぐずぐずと啜りながら、ぎゅっと私の胸に顔を埋めた。

「心配かけて、ごめんね」

「本゛当゛だよ゛！！　テレビ見てたらお姉ちゃんが映るしさ！！　なんかでっかい牛と戦ってるしさ！！」

　嗚咽混じりの文句に、私は苦笑しながらその頭をそっと撫でる。

　本当に、心配をかけてしまった。

　――って、ちょっと待て。

　ミノタウロスと戦っているところを「テレビで」？

　それってつまり――。

「え、ちょっと待って。もしかしてテレビ中継されて、私ってバレてた？」

「黒い布のマスクはしてたみたいだから、お姉ちゃんを知らない人は分からないと思うけど……今はネットもテレビも、お姉ちゃんの正体の話題でいっぱいだよ？」

「……しばらく家から出られないね……」

「だねー」

　無茶の代償としての筋肉痛も確定しているし、しばらくは大人しく家で療養するしかないだろう。

　沙耶と話して少し気が抜けたのか、私の体からは力がふっと抜けていく。

　胸に顔を埋めたままの沙耶を引き剥がすだけの気力も残っていない。

　当の沙耶はというと、私の胸に顔を埋めたまま、ぐぅーっと深呼吸を繰り返していた。

「すごい汗かいたから臭くない？」

　自分でも汗臭いのは分かる。

　ほぼ一日中戦い続けたあとだ。汗と血と煙の香りの三重奏なんて、第三者からしたら拷問でしかない。

　谷間と下乳なんて特に汗が溜まりやすい場所だし、意識しただけで余計に気になってくる。

「うん！　くさい！」

「臭いなら嗅がないでよ……って、何でこんな時だけ力が強いの！！」

「これが濃密なお姉ちゃんの匂い……うへっ……くっさぁ……」

　よく分からないテンションで変なことを言っているので、とりあえず拳骨をひとつ落としておく。

　私の胸の中で「痛い」と不服そうに文句を言うが、離れる気配はない。

　――意地でも離れるつもりはないらしい。

　引き剥がすのを諦め、私はその場で大の字になった。

　沙耶が満足して離れたのは、それから三十分後のことだった。

　すっきりした顔で立ち上がった沙耶に、記念としてもう一発拳骨を落とし、私は風呂の準備を始める。

　血と汗と煙の匂いが染み込んだ下着や服を洗濯機に放り込み、スイッチを入れようとしたところで、沙耶が慌てて制止してきた。

「待って、お姉ちゃん」

「……今度は何？」

「私も洗濯物があるからまだ回さないで。私が全部やっとくから、疲れてるお姉ちゃんは先にゆっくりお風呂に入ってていいよ」

　やけに目がギラついている気もするが、疲労困憊の私には深く考える余裕はない。

　あれこれ突っ込む気力もなく、「じゃあお願い」と素直に任せて浴室へ向かう。

　シャワーの温かさが、びっくりするほど心地いい。

　血と汗でべたついた髪にシャンプーを泡立てて揉み込み、丁寧に洗い流す。トリートメントでケアも忘れない。

　体を洗ってから湯船に浸かると、全身の力が一気に抜けていく。

　湯が肌にまとわりつき、疲労をごっそりと溶かしていくようだ。

「ほんと、疲れたなぁ……」

　口元を湯につけて、ぶくぶくと息を吐く。

　そういえば、ミノタウロスの魔石で取得したスキルをまだちゃんと確認していなかった。

　意識を内側へと向け、スキル欄を開く。

―――――

スキル名：【剛腕】

効果：常時発動スキル。攻撃力が20上昇する。腕に意識的に魔力を流すと、物理的な腕力が増す。

スキル名：【再生】

効果：任意発動スキル。魔力を消費することで傷を再生する。

―――――

「……いいじゃない」

　思わず口元が緩む。

　特に【再生】は、前線に立ち続ける私にとっては喉から手が出るほど欲しかったスキルだ。

　多少無茶をしても、自前で傷を治せる保険があるというのは、精神的な余裕がまるで違う。

　【剛腕】も悪くない。

　ミノタウロスがあれだけ馬鹿みたいに大きな斧を振り回せたのも、このスキルのおかげだろう。

　腕や腰、脚――特に負担をかけたと分かる箇所を、湯の中でぐいぐいと揉みほぐしていく。

　筋肉が悲鳴と共にほぐれていく感覚が、妙に心地よかった。

　ひと通り全身をほぐし終え、大きく伸びをして湯船から上がる。

　時計を見ていないが、体感では一時間ぐらいは湯に浸かっていた気がする。

　それでも沙耶は、結局一度も浴室に乱入してこなかった。珍しい。

　浴室のドアを開けると、ちょうど洗濯物を抱えた沙耶が脱衣所に入ってくるところだった。

「何でもう服脱いでるの……？」

「あっ、えっと……すぐ入れるように？」

　抱えていた洗濯物を洗濯機へ放り込み、手際よくボタンを押す。

　視線は妙によそよそしく、挙動は不審。

　……とはいえ、今の私にそれを深掘りする体力はない。

　振り返った沙耶が、チラチラとこちらを見る。

　バスタオル一枚の私と、なぜか視線を合わせてはそらし、合わせてはそらし――あまりにもあからさまだ。

　ちょうどいい位置にあったので、私は無言で沙耶の尻をぺちん、と叩いた。

「ひゃん！？」

　小気味良い音と、可愛らしい悲鳴が脱衣所に響く。

　その直後、なんとも言えない気まずい空気が流れた。

「リビングで髪乾かすね……？」

「うん……」

　私もそれ以上は何も言わず、ドライヤーを手に取って脱衣所を後にした。

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