128話--第三の分身体--
古代竜を倒した後に続く階層では特筆すべき敵は現れなかった。
肩慣らしにしてはやや物足りず、かといって気を抜けば噛みついてくる程度の強さの連中を、ただ黙々と狩っては進む。
そうして誰もいないであろう百八十層の安全地帯へと足を踏み入れた。
広場に出たが人の気配が全くない。
石畳だけがやけに整然としていて並ぶ建物もきちんと手入れされているのに、窓の向こうに灯りも影も見えない。
「そりゃそうだよね。誰もまだここまで来てないんだもん……」
声が、やけに響いた。
いつもならざわめきに紛れて消えていく独り言が静まり返った大通りの壁に跳ね返って、もう一度自分の耳に刺さる。
人の往来が全くない大通りを見渡すたびに胸の奥がすうっと冷えていく。
それでも建物の造りも看板の配置も今まで通ってきた安全地帯とほとんど変わらないことが余計に違和感を強めた。
同じ形の箱に人だけが抜け落ちている。
「次に誰かと話せるのは二百二十……いや、百九十五階層で行き来できるようになるんだけか? 頑張ろう」
ぺち、と両頬を叩いて気合を入れなおす。
沁みついた孤独を振り払うみたいに数回叩いてから転移石に触れて移動を選択した。
視界がぐにゃりと暗転して次の瞬間、目の前がぱっと明るくなる。
最初に飛び込んできたのはキャンプファイヤーのように木で囲まれた火だった。ぱちぱちと爆ぜる火の粉が真正面で弾ける。
状況を理解するより早く身体が先に動いていた。
体勢を低くしながら剣を抜き、そのまま地面を擦るように一回転する。
鈍い手応え。
上下に別れたオークキングがどさり、と私の足元に地響きを立てて伏した。
「……は?」
勢いのまま息を吐き出しつつ、周囲の気配を探る。
私――いや、正確には火を囲むように、ぐるりとレッドオーガやミノタウロスたちの気配が取り巻いていた。
脂の焼ける匂いと血の匂い、その中に混じる酒のような発酵臭。
……どうやらモンスターたちの祭りの真っ最中、そのど真ん中に移動させられたらしい。
「百七十層から思ってたんだけど何だか階層の悪意が上がってない……?」
火の明かりに浮かぶミノタウロスの角。レッドオーガの牙。
どいつもこいつも、完全に「宴の邪魔が来た」という目をしていた。
悪態をついてみても当然ながら何も返ってくることはない。
最初の頃は神々がすぐさま何かしら反応してきていた気がするが、総力戦以降、神々の反応を示した赤いウィンドウは一度も出ていない。
何故だろうか、と一瞬だけ考えを巡らせる。
けれど私がここでいくら考えたところで結論に辿りつけるわけもない。そう判断して、その考えを切り捨てた。
一斉に襲い掛かってきた上位種のモンスターたちを正面から迎え撃つ。振り下ろされる棍棒をくぐり抜け、足を刈り、首を斬り、心臓を貫く。
骨の砕ける音と肉の裂ける音が祭り囃子の代わりに夜気を満たした。
そこまで数は多くなく、大体一万体ぐらいだ。
「――いや、一万体は多い……?」
斬り伏せながら、ふと我に返る。
ここに来てから膨大な数のモンスターと戦っているせいか、数に対する感覚がおかしくなっている。
以前なら大戦だと騒いでいたのが、いまや一万体はそこまで多くない数に分類されてしまっている。
それに、気づけば独り言も増えている。
「まあ、あと少し……かな」
心だけは強く持って進もう、と自分に言い聞かせる。
孤独で折れてしまったら、きっとどこかの安全地帯に腰を落ち着けて、そのまま根を張ってしまう気がする。
私の居場所はこの世界にはない――その事実を、意図的に胸の真ん中に刻み直した。
襲い掛かってきたモンスターすべてを倒し終えて静寂が戻ったところで一息つく。
「祭り、みたいなことをしてたけど何かあるのかな」
死骸の山を解体しながら周囲を見回す。
さっきまで燃えていた火の周りは踏み荒らされ血と脂で黒く染まっている。
その向こう、周りより一段高く盛り上がった場所に石造りの献備台があった。
興味本位で、そちらへと足を向ける。
近づいてみると献備台の周囲には木の実やモンスターの肉、魚などが供え物として無造作に積まれていた。
どれもまだ新しく、ついさっき供えらえたことを物語っている。
しかし肝心の献備台の上には何も置かれていない。
代わりに石の天板一面に恐ろしい密度で魔法陣が刻まれていた。
「うわ……どうやってこれ彫ったんだろ……?」
線と線が交差し幾重にも重なり合った魔法陣は目で追っているだけで頭が痛くなりそうだった。
思わず献備台の上に手を触れた、その瞬間――魔法陣が眩い光を放つ。
――起動した……? 何か出てくるのか?
「でも、この階層の転移石は手に入れて――」
そう呟いている途中で光が一段と強くなった。視界が白を飛び越えて真っ黒に塗り潰される。
◇
宙に放り出されている。
ぶわりと足元から浮遊感が込み上げ胃がふわりと持ち上がる感覚で状況を理解する。
そう気が付いたときには、もう地面が目の前に迫っていた。
重力に引かれるまま落下してそのまま仰向けに地面へと激突する。
ごん、と背中から鈍い衝撃が走る。
幸いなことにそれほど高さはなかったらしく骨が折れるような痛みはない。
仰向けのまま、目だけを動かして周囲を確認する。
天井。壁。閉じられた空気。室内か、と考えた瞬間――肺に入ってきた空気から強烈な違和感が襲ってきた。
先ほどまで居た百八十一階層とは魔力濃度が段違いだ。
濃すぎる魔力が一気に身体の中へ流れ込み、中毒症状が一気に出る。
視界がぼやけて物の輪郭が溶けた。普通の中毒どころじゃない……これは急性中毒のレベルだ。
対処しなければ本当に死ぬ可能性すらある。
敵意、悪意のある気配は感じられないため、仰向けのまま身体を動かさずに魔力に適応することだけに集中する。
外から流れ込んでくる魔力をあえて取り込み、自分の魔力の循環に組み込みながら少しずつ馴染ませていく。
どれくらいそうしていただろうか。
しばらくすると、肺を刺すような痛みが和らぎ頭痛も徐々に引いてきた。
ちょうどそのタイミングで頭上から声が降ってくる。
「うむ? 誰じゃ、おぬし」
仰向けのまま目を見開き、声の主を確認する。
身長は私の腰ほどしかない。すべてを飲み込みそうな色の黒い髪に、額から伸びる立派な二本の角。
顔立ちは非常に幼い。人形めいた童顔。
けれど、その輪郭にどこか見覚えがあった。
「……誰じゃ? なぜ、姉上の魔法陣からきた?」
小さな手で私の額をぺちぺちと叩きながら問われる。
この、古めかしい言い回しと妙に偉そうな物言いは、まさか――。
「ルトリエ……?」
「む? わらわを知っとるのか? 姉上の所縁のものか?」
幼子特有の舌足らずな声色で、その者――ルトリエは尋ねてきた。
声音は幼いのに瞳の奥だけは底知れない闇の色を湛えている。
「何でここに……? 二百二十階層に居るんじゃないの?」
「何をいっとる。ここはそのかいそうじゃぞ」
「……は?」
「姉上がせっちした魔法陣でここまで転移してきたのじゃろうに……。魔法陣のごさどうか? 姉上のちからでしか起動しないはずなのじゃが……」
小さなルトリエが、うぅんと唸る。
そのまま、ぺたぺた、と私の顔に触れ、頬から首筋、肩へと手を滑らせて、ずるずると全身を確認していった。
触れられる瞬間、皮膚の下へと何かが流し込まれているような感覚がある。
魔力とも闇ともつかない、密度の高い何か。
「うむ! りかいしたぞ!」
ぺかーっ、と音が付きそうなほど無邪気に笑う小さいルトリエは腕組みをして胸を張った。
見た目だけならただの幼子だ。
けれど、その華奢な身体の中に内包している闇の圧は百層で会った大きなルトリエと同じか、それ以上に感じられる。
「おぬしの中に姉上たちがおるな? つまり、姉上たちはやくめをはたしたのじゃな」
「役目……? 分身体の力を集めるって話?」
「姉上はそうはなしたのじゃな……うむ、そういうことじゃの」
何か含みのある言い方をするが、それ以上詳しく語る気配はなさそうだ。
こちらが続きを促す前に、ルトリエは「よい、よい、後に全てわかる」とばかりに頷いて話を打ち切った。
体を起こそうと上体を起こしたところで背中にふわりと軽い衝撃が走る。
次の瞬間、小さなルトリエが当然のように私の背中へ飛び乗ってきた。
「ふむ、ふむ……これが人の子のかおりか……」
ぐりぐり、と鼻を押し付けながら私の匂いを嗅ぐ小さなルトリエ。
背中から伝わる体温は小さいくせにやたらと主張が強い。
この分身体たちは、人の匂いを嗅がないといけない作りなのだろうか……。




