129話--干渉と転移--
小さなルトリエを背中におぶさったまま、床を押してゆっくりと立ち上がる。
足裏に伝わる感触は石……けれど、粗さも冷たさも妙に均一で、人工的な印象が強い。
ぐるりと首を回して周囲を見渡した。
そこは、どう見ても普通の部屋の一室にしか見えなかった。
壁は滑らかな黒い石で組まれていて、ひび一つない。天井も同じ材質で、そこから淡い光がじんわりと滲むように差している。明るいのに光源らしきものは見当たらない。
部屋の中央には小さなテーブルと椅子がひとつ。窓もなければ――。
「ドアが無い?」
唯一あってもいいはずのものが、どこにも見当たらなかった。
四方の壁を見ても継ぎ目も取っ手もない。
「うむ、そうじゃ。わらわは自分での戦いを好まぬ。じゃから姉上に頼んで隔離空間にしてもらっておる」
頭の後ろ、背中越しにくぐもった幼い声が落ちてくる。
振り返ろうにも肩にしがみついているせいで上手く見えない。
「本当に何でもできるんだね……」
ドアひとつない完全に閉じた箱のような部屋。
外と繋がるのは、さっき私をここへ放り込んだ転移だけ。そう考えると逃げ場のない空間というより、誰にも邪魔されない隠れ家みたいにも思える。
戦ったら間違いなく強いはずなのに自分から「戦いを好まぬ」と言い切るあたり、やっぱり分身体ごとに性格が極端に違う。
大きかったり小さかったり、落ち着いていたり子どもみたいだったり――差が激しすぎる分身体だ。
「でかい姉上と、よわい姉上がおぬしの中におるのじゃな?」
「弱い……? あれが?」
つい、語尾が疑問形のまま固まってしまう。
あの総力戦での分身体との死闘を思い出した。
「うむ。分身体の中では最弱じゃ。戦闘能力はでかい姉上が二番目、わらわが三番目じゃ」
さらりと言われて胸の奥がちくりとした。
内に秘めている闇の濃さで順番をつけるなら確かに納得はいく。
けれど、命を削り合った相手を最弱と評されると、どこか自分まで軽んじられているような気がして喉の奥に小さな怒りが引っかかる。
その感情が顔に出たわけでもないのに、背中の小さな重みがくすりと笑った。
「む? すまぬ、人の子の尺度では十分に強かっただろう。他意はないのじゃ、そう怒るでない」
「表情とかに出してないのに良くわかるね」
「おぬしの中の闇が荒ぶっておったからの。ふむ……おぬしが自身のために怒ってくれて姉上は喜んでおるぞ」
「そんなことまで分かるの?」
小さなルトリエは私の背に耳をぴたりと当てながら答える。
心臓の鼓動を聞いているようで、くすぐったい。
「うむ。わらわは闇の扱いならば分身体の中で二番目じゃ。なんじゃと? こっち来たら覚えておけ? ……変なことしたら怖い姉上に耳打ちするからそっちこそ覚悟するのじゃ」
「その怖い姉上ってのが最後の分身体?」
「そうじゃ。わらわより闇の扱いがうまく、でかい姉上より力がつよいぞ」
淡々と言われた条件だけを並べても十分すぎるほどの脅威だ。
考えれば考えるほど胃の辺りが重くなる。勝てるだろうか、という不安と――勝ちたい、という欲が同じくらいの重さで胸に居座る。
勝てるかどうかじゃない。勝つしかない。
そう自分に言い聞かせるように、私は右手に持っている剣を見下ろした。
刃の輪郭は、ガタガタに波打っている。
古代竜との戦いで、力任せに何度も叩きつけたせいだ。刃こぼれというより、もはや波状の凹凸だらけだ。
さすがに、風竜より格上の古代竜を相手に、風竜の素材でできた剣を振り回すのは無理があったらしい。
この先は鍛冶屋もない。
どうしようかと頭の中で打ち合わせを始めたところで背後から気配が動いた。
「随分と使い込んだ剣じゃな? ……む? この剣からシェントの気配がするのう」
「シェント?」
「ここに来るまでに白いでかい竜を討ったか?」
「あぁ、古代竜のこと?」
「うむ。わらわのペットじゃ。来た者すべてを打ち滅ぼせと命じて百七十層に放置してきたんじゃが……そうか、おぬしに討たれてしもうたか」
あの初見殺しみたいなブレスは、ルトリエの仕込みだったわけだ。
階層に足を踏み入れた瞬間に魔力座標だけでブレスを撃ち込んでくるなんて、普通なら防げるはずがない。
気づけば小さなルトリエは背中から肩へよじ登っていた。私の額に手をまわして足を私の方から前に出し肩車の形になった。
「歩いておくれ」
ぺちぺち、と額を叩かれて部屋の隅を指さされる。
具体的な説明はなく目的も分からないまま、言われるがままに部屋の中をぐるぐる歩き回った。
どれくらいそうしていただろう。
小さなルトリエが「ふむ」と満足したように息を吐き、今度は中央付近の椅子を指さす。
そこに腰を下ろすと肩の上からふわりと重さが消えた。と思う間もなく、膝の上に小さな温もりがどすんと乗る。
「うむっ! 久々に楽しめたぞ!」
満面の笑みでそう言う顔は年相応の子どもそのものだ。
ちょうどいい位置にある頭を私はつい、くしゃくしゃになるまで撫で回してしまう。
「それなら良かった。この先何だけど――」
「よい、皆まで言うな。わらわの力だけで起動する転移陣があっちにある。それを起動すれば怖い姉上のところにいけるじゃろう」
「一気に百層も飛ばして三百二十まで……?」
二百二十層から文字通り桁違いの飛び級だ。
思わず聞き返した私に小さなルトリエは肩をすくめる。
「そうじゃの……。ここから先の階層は怖い姉上の力が影響しておる。普通の方法で行くとなると死ぬぞ、おぬし」
「……そんなに大変なの?」
尋ねると、小さなルトリエは「うーむ」と唸って顎に手を当て、少し考え込んでから口を開いた。
「転移石の概念が壊れておる。例えば転移した瞬間に右半身だけ壁の中で即死とかの状況がおきるじゃろうな」
「そうなんだ……それはどうしようもないね」
想像しただけで、背筋に冷たいものが走った。
右半身だけ壁の中――まともな方法では対処もできないし、階層を進むことすら不可能な領域というわけだ。
「うむ。それと、その剣とシェントの魔石をテーブルの上に置いておくれ」
「……? こう?」
言われた通りに腰に差していた剣とポーチから取り出してシェント――古代竜の魔石を目の前のテーブルの上に並べる。
小さなルトリエが、ちいさな指をぱちんと鳴らした。
瞬間、剣と魔石の下に黒い魔法陣が浮かび上がる。
幾重にも線が重なり合い、闇の紋様が回転しながら光を帯びていく。部屋の空気がぴんと張り詰めて肌がひりつくような圧が増した。
思わず目を細めた次の瞬間――光がふっと収まり、私はそっと瞼を開けた。
そこには刀身まで完全に漆黒に染まった剣が宙に浮かんでいた。
以前の風竜の剣に似たシルエットを残しながらも色と気配だけはまるで別物だ。柄の奥から古代竜の気配と闇の気配が混ざり合って漂っている。
「餞別じゃ。怖い姉上はよくわからん。何を考えているか表情に出んし常に怖い顔をしとるから怖い姉上なのじゃ」
「戦いになるかもしれないしならないかもしれないってことだね」
「そうじゃの。対策として色々したいところじゃが時間が惜しい。日に日に神々からの妨害と干渉が強くなっておるでな? わらわたちが仕掛けたモノを自分らのものに置き換えておる」
早口気味にまくし立てる小さなルトリエの声には、さっきまでの無邪気さとは違う焦りが混ざっていた。
神々の干渉――最近ほとんど反応が無いのも関係しているのだろうか。
言葉を探していると、ふいに両頬が温かい手に挟まれた。
「目を瞑れ」
「……わかった」
何をされるか分からない不安が頭をよぎる。
けれど、ここまで散々振り回されておいて今さら疑ったところで意味はない。素直に瞼を閉じると額に柔らかい感触が触れた。
小さなルトリエの額が、私の額にそっと重なる。
「そのまま聞け。わらわたちの目的は怖い姉上から聞けるじゃろう。わらわの闇の扱い方をおぬしの頭に直接叩き込む。ついでにわらわの力もそのまま流し込む。死ぬほど痛いじゃろうがわらわの力で再生するから死ぬことはないじゃろう……たぶん」
「――は?」
聞き終えるより早く、頭の内側から世界がひっくり返る。
頭蓋骨の隙間という隙間に熱された鉄の棒を押し込まれ、そのままぐちゃぐちゃにかき回されているような――そんな形容しがたい痛みが襲ってきた。
脳みそそのものを書き換えられているような感覚。
自分が自分じゃなくなっていくような不快感と恐怖が私を支配していく。
のたうち回りたいのに身体が一ミリも動かない。
意識を手放そうとしても、その逃げ道を塞がれているようで、暗闇に落ちることも許されない。
拷問のような痛みと吐き気を催すほどの不快感。それがどれほど続いたのか、時間の感覚は完全に吹き飛んでいた。
◇
気が付いたときには、私はベッドに仰向けになっていた。
頭の芯がまだじんじんと熱を持っている。指先に力を込め、ゆっくりと上体を起こす。
「ルトリエ……?」
名前を呼んでみるが、部屋の中から返事はない。
ただ、私の内側――闇の気配がふわりと揺れた。今までに覚えのある気配が、三つ。
それぞれが小さく瞬きながら、私の中に静かに沈んでいるのが分かる。
小さくため息を吐いて目の前のテーブルに視線をやる。
そこには一枚の紙が無造作に置かれていた。声に出して読む。
「これをおぬしが読んでいるときには、わらわはおぬしの中におるじゃろう。かなり無理をしておぬしにわらわの力と核を流し込んだ。これを読み終えたら早急にテーブルの下にある魔法陣にわらわの力を流して怖い姉上の元に向かうのじゃ。時間が、ない」
殴り書きに近い文字だった。
ところどころインクがかすれていて、まるで書いている本人の焦りが滲んでいるみたいだ。
神々の干渉、とさっき言っていたけれど……そこまで急がなければいけないほど状況は悪いのだろうか。
紙を握ったまま少しだけ考える。
けれど、ここでいくら首を捻っても答えは出ない。ならば――。
「最後のルトリエに会えば分かるか」
そう口に出して区切りをつけると大きく一度、深呼吸をした。
肺の奥まで空気を満たしてから吐き出てテーブルの下へと身を屈める。
さっきまでは気づきもしなかった魔法陣が今ははっきりと目に映った。
黒を基調にした細かい線と紋様の集合体。
視線を走らせるだけで、そこに通う闇の流れが分かる。
魔法陣にそっと手のひらを触れさせる。
指先から、さきほど流し込まれたばかりの闇の力を注ぎ込むと淡い光がじわりと広がった。
次の瞬間、足元の感触がふっと消える。
身体がふわりと浮かび上がる感覚と同時に視界がぐにゃりと歪み――部屋の景色ごと私の周囲から消え去った。




