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第三話

 華麗なる手捌きで切られたカケルの髪は、しかし歪ながら、その不揃いさが逆にはいからな印象を与えるような、前衛的な髪型だった。大きな鏡はことりの住み家兼仕事場である髪結い処にしかない。貴重な品物だ。かつてこの国の歴史が明治と呼ばれていた頃。海の向こうから様々な文化や技術が持ち込まれ、日本は近代化の一途を辿っていた。そんな矢先の、大破壊である。海には陸地以上のヨミダマリが蔓延はびこり、再び外の国々と繋がることは、現時点では不可能だ。数少ない、残された技術と資源。この国の文明は、それらに頼っている状態にあった。

 再び、航海の技術でも進歩すれば。戒者と協力し、海の向こうへ向かうことができるかもしれない。たとえそうはいかなくとも、収穫、採集、採掘など、より効率化する技術を取り戻すことができれば。この国はヨミダマリにも負けない、強い国になるかもしれない。戒者を目指さないカケルにとって、目標地点はそういうものだった。

 ことりは、整髪を終えると足早に家に戻っていった。

『今日。うちに来なよ。お鍋、するんだって』

 言い残し、戸は軽快に閉じた。屋内の隅々に隠れていた静けさが、ことりを見送るように押し寄せた。小さな蔵をほんの少しいじった家だ。土間と、数畳の小さな居間しかない。草履ぞうりを脱いで、ようやく一息をつく。居間の隅にはまたも小さな机と座布団が置かれている。それだけだった。衣装箪笥いしょうだんすすらなく、数着の衣服は、机の傍の、畳まれた布団の脇に積んであった。座布団はことりの家から貰ったもの、机は、村の職人が親切で作ってくれたものだ。

 すぐにでも試験へ向けての対策に取り組みたかったが、先生とのやり取りや、号外の件、ことりに髪を整えてもらったりと、予定外のことがいくつかあった。カケルはどうも、少し休みたかった。

 昨晩も、灯した明かりの許す限り勉強に励んでいた。目を閉じれば、すぐに微睡まどろみがやってくる。瞼は、こんなにも重たいものだったのかと思う程に、もう目を開けることは億劫だった。眠気の奔流に抗うことなく、カケルの意識は沈んでいった。


「カケル、そろそろ起きて」

 囁くような声で、カケルは目を覚ました。陽もほとんど沈みかけているようで、土間の戸から漏れる明かりだけが自然の光であるこの家では、声の主の顔が判別できないほど薄暗かった。聞き慣れた声と、僅かに見える鮮やかな緑の着物から、それがことりだとわかる。

「あぁ、随分寝ちゃったのか……」

「もう完全に日が暮れちゃうよ。でも、お母さんたちがまだ帰ってないんだ」

 半身を起こし、衣服のずれを直す。背中の微かな痛みを、身体を伸ばして緩和する。

「どこに行ってるのかはわかるの?」

「集会所に行くって。たぶん、今日亡くなった戒者の方についての話だと思う」

 薄闇に慣れ始めた目が、不安げなことりの表情を映した。

 村には、結界が張ってある。ヨミダマリが容易に侵入することはないとされているが、近辺で戒者が殺されたのも事実だ。戻らない両親が心配になる気持ちは、痛いほどわかる。カケルとて、故郷の母のことは今でも心配している。

「わかった、一緒に待とう。今は緊急事態なんだから、不用意に外出するのはよくない」

「そう、そうだよね」

 そう、夕凪村は今緊急事態なのだ。結界の中とはいえ、不要な行動は控えるべきだった。少なくとも、新たな戒者がこの村にやってくるまで。いや、集会が開かれているということは、戒者の里から使者がやってきているのかもしれない。戒者の方々や、村の偉い人間の取り決めを待ち、従う。今すべきことは、とにかく、待つことだとカケルは考えた。


 夕凪村、北部。北部と名付けるほど広い村でもないのだが、付近を流れる川の川上側を、村の人間はこう呼んでいる。南部に比べて若干ではあるが坂が多く、通りもなだらかな坂になっている。この丘のような地形は村の外まで続いていて、北側の村の出口から真っ直ぐに北上すれば、天道街道てんどうかいどうという道に出る。この国の西部と東部を繋ぐ、主要街道だ。夕凪村はそこからはある程度離れていた場所に位置しているのだが、陸地のはずれにあるというこの状況こそが、ヨミダマリの少ない特徴を生んでいると考える者もいる。

 そんな村の北部に、夕凪村唯一の集会所がある。集められたのは、村に住む大人たち。中でも、歴史の長い家や商人の家など、村の中枢に関わる家の人間に招集がかけられていた。

 十五畳以上ある殺風景な内部に、大人がぎっしりと座っている。三十名と少しといったところだろうか。最小限に焚かれた火だけが弱々しく中を照らしていて、大人たちの顔に影を作っている。物々しく、重々しい雰囲気の中、村の人間たちの視線は一点に集中している。集会所前方に、村民と対面する形で正座している二人の戒者たちにだ。

 一人は、刈り揃えられた白髪を従えた、屈強な壮年の男性だった。皺があれど、弛んだ部位などないに等しく、年齢より若くというより、年相応に覇気を従えた、歴戦の戦士を彷彿とさせる男だ。白い衣裳は、武術家のそれのようである。

 岩のよう、ともとれる男の横にいたのは、緋袴ひばかまを着た、小柄な少女だった。十五、六歳の見た目、背筋まで伸びた黒髪に、黒い瞳。古き良き日本を体現したような、儚げで清廉さのある少女だ。

宗雲そううん殿」

 口火を切ったのは、村側の長だった。細い目に、薄くなった頭髪。物腰の柔らかい、平和な夕凪村を写したかのような男だ。

「皆揃ったようです。そろそろ、話を聞かせてもらえるか」

「承知した」

 宗雲と呼ばれた男は、深々と頭を下げた。倣うように、少女も頭を垂れる。

「此度は、前任者の力不足によって、村民の皆々様に多大なる不安を与えてしまったこと、誠にかたじけない。挨拶が遅れたが、私は戒者総本山、佐佐群ささむらもりから参った、朝霧宗雲あさぎりそううんと申す」

「同じく総本山、朝霧楓あさぎりかえでです」

 宗雲は真っ直ぐに村人たちを見据え、件の戒者死亡に関して語り始めた。

「駐在戒者、九村義成くむらよしなりの死は、ヨミダマリによるものであると断定をした。よって、我々が新たに村に駐在し、明日以降、義成を殺害したヨミダマリの退治、そしてこの夕凪村を今後脅威から守っていくという決定となった」

 静かに、息を呑むどよめき。

 他の町や、都付近では考えられないようなヨミダマリの発生の少なさ。それが、夕凪村だ。その安全性から、普通なら十五歳までしかいられない各地の学び舎から、都にある大学へと進むための中継地点、高度学習学校が設けられている場所でもあった。そんな村にヨミダマリが発生しただけでなく、戒者までもが殺されてしまったこと。この壮年の男と、まだ幼い少女だけで本当に事態は解決するのかと、村民の誰もが思っていた。

「あの」

 一人の村人が、手を挙げ発言した。

「この村の者は、戒者の道を選ばなかった者ばかりです。歴史に詳しい者も多い。私は、京に兄もいます。今、この国で問題視されている事態が、ありますよね。それとこれとは、無関係なんですか?」

 一瞬、黙する宗雲。それは村人の発言に押されたからではなく、それに対する答えを、全て正直に話してしまって良いのか、という、葛藤から来るものだ。宗雲が横目で覗き見れば、隣に座る楓は、不安を押し殺したような顔つきのまま真正面を見つめている。

「如何にも。近頃、かつてこの世界に大破壊をもたらした者たちの残党による被害が、各地で発生している」

 今度は皆、一斉にどよめいた。不安や苛立ちを口々に、身の安全、戒者たちの働き。生まれた喧噪は、とどまるところを知らなかった。

「静まりなさい」

 村長の発した静かな声を、村の人々は聞き逃さなかった。温和な村長の、厳かな一言。それは村の治める者としての、重い責任の籠った一言だった。

「続けてください、宗雲殿」

「……かたじけない」

 宗雲は再び、小さく礼をした。

「大破壊を起こした元凶、【遍天宮へんてんぐう】と、遍天宮によって生み出された【怨術おんじゅつ】。強大な怨術を持った一部の者たちによって、大破壊、悲怒叫哭は発生した。ここまでは、子供でも知っている者は多かろう。しかし、あまり語られていない事実も存在するのは確かだ」

 遍天宮。かつて江戸と呼ばれた街に住んでいた、一人の人間のなれの果て。世界の全てを恨み、憎しみ、嘆き、怒った。その末に手に入れた超人的な妖術、怨術。遍天宮はそれを分け与え、徒党を組んだという。そしてその中でも特に強大な怨術を持っていた数名によって、悲怒叫哭はもたらされた。遍天宮を含む首謀者たちは、自らの引き起こした大破壊によって命を落とした、と言われている。しかし。

「怨術を身に着けた者たちは、今もどこかに存在する。今、巷で流れている噂は、いくつかの事件は、その怨術使いによるものではないかと、ヨミダマリ以上の危険が、身近に迫ってきているのではないかと、そういう話である」

 人智を超越した力である。極めれば、遍天宮を蘇らせることや、第二の遍天宮が現れることになっても、不思議ではないのだ。

 人々はそれを恐れている。今、再び大破壊が発生すれば。それは今度こそ、世界の終わりであると。

「しかし断言させていただきたい。今回の、義成の件。あれの死因に限っては、ヨミダマリによるものだ。我々とて何度も遺体を確認した。怨術の残滓ざんしはなかったのだ」

 沈黙が、集会所を包みこむ。外の篝火の燃える音すら、誰の耳にも届かないほどに。緊張と静けさの壁が、外界と集会所とを隔てていた。

「それでは、義成殿を殺したヨミダマリさえ退治できれば、村は、いつも通りになると?」

「依然、脅威の拭えない世界ではあるが、如何にも」

 村長は、大きく息を吐いた。一縷の迷いも、体内に残さないよう、吐き出したようでもあった。

「しばらくの間、不要、不急の外出を控えるように。でき得る限り、子供も一人で外へ出さないようにそれぞれ近所に通達しなさい」

 村長の判断を受け、集会所にいた村民たちは一斉に立ち上がる。外に出るなり、家中を巡って村長の言葉を届けていく。

「これで、よかったのですね」

「ええ。ありがとうございます」

 最後に残った村長も、やがてその場を後にした。こうして集会所に残ったのは、宗雲と、楓のみとなった。

 立ち上がろうとする宗雲に、楓が声をかける。

「本当によかったのでしょうか」

「…………」

「おじいちゃん」

「わかっておる」

 義成を殺害したのは、間違いなくヨミダマリである。

 しかし、怨術はヨミダマリを操ることもできるのである。

 殺害の場に、怨術を扱う第三者がいた可能性は、否定できないのだ。

 そして――。

「これも、悩みの種か……」

 宗雲が懐から取り出したのは、長方形の、筆入れ程度の大きさの木箱だ。何重にもお札の貼られたこの木箱は、殺された義成の所持品であり、中に強力な怨念が封じてあることがわかっていた。宗雲の力をもってしてもすぐには取り祓えないほどの強力な怨念。持っているだけで、痺れるような感覚すらあった。

「楓、戻ったら伝達符でんたつふに念を。いつでも佐佐群に繋がるようにしておきなさい」

「……はい」

 夜は、これから一層に深くなっていく。

 夕凪村に舞い込んだ、暗雲めいた状況も、これから更けていくのか、明けていくのか。その行方は、未だ誰にもわからなかった。

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