転生少女の行方
かつて将軍の地位にあったルセディは、今や副将軍へと降格されていた。
ルミティ王女のやり方に対し、彼は何度も異議を唱え続けた。
そのたびに反感を買い、一時は本当に騎士団から追放されかけたほどである。
だが、さすがに処分が過ぎるという声も多く、辛うじて副将軍の地位に留まっていた。
その一方で、ロムテスは逆だった。
余計な騒ぎを起こさず、命令にも表立って逆らわなかったことで、かえってルミティの評価を上げていた。
同じ騎士団にありながら、二人はまるで正反対の道を辿っていたのである。
そんなルセディに、今度は新たな命令が下った。
魔族の村の偵察。
大軍を動かすほどではない、だが放置もできない――そう判断されたのだろう。
彼は少数の兵だけを伴い、村へと向かった。
道中、兵たちの口数は少なかった。
魔の森に近づくにつれ、風は重く、土の匂いにも焦げたような異臭が混じり始める。
嫌でも、ただ事ではないと分かった。
やがて一行は、魔族の村の入口へと辿り着く。
そこで彼らを待っていたのは、戦場などという言葉では到底片付けられない、凄惨な破壊の跡だった。
「……何だ、これは」
先頭にいた兵が、思わず足を止める。
村のあちこちには、巨大な石像の残骸が無惨に転がっていた。
原形を留めていない腕。砕けた胴。地面に半ば埋まった頭部。
まるで山一つ分の質量が、力任せに叩き壊されたかのようだった。
さらに、その周辺の地面には巨大な穴がいくつも穿たれている。
ただ陥没したのではない。
抉り取られ、焼かれ、吹き飛ばされた跡が幾重にも重なっていた。
建物だったものも、ほとんど残っていない。
壁は崩れ、柱は折れ、黒く焼け焦げた木片が風に転がっている。
ここで行われたのは、通常の討伐などではない。
ルセディは荒れ果てた村を見渡し、低く呟いた。
「……まるで、国家規模の激しい攻防戦みたいだな」
それは、率直な実感だった。
ギルドの討伐隊が魔物を狩った程度で、ここまで地形が変わるはずがない。
何か桁違いの力が、ここで正面からぶつかったのだ。
彼は馬を下り、ゆっくりと歩き出す。
砕けた石材の脇、焼けた土の縁、崩れた家屋の陰――視線を動かすたびに、破壊の痕跡ばかりが目についた。
城を出る前、彼は報告を受けていた。
神官剣士たちの大半は、巨大な火の玉が落下した地点から離れた場所にいたため無事だったという。
だが彼ら自身も、遠くから爆発を見ただけで、村の中心で何が起きたのかまでは把握していなかった。
だからこそ、こうして自分の目で確かめに来たのだ。
ルセディは足元に転がる亡骸へ視線を落とす。
魔族だ。
焼け焦げたもの、斬り裂かれたもの、押し潰されたもの――死に方も一つではない。
だが、数歩進んだところで、彼の足が止まった。
「……妙だな」
後ろにいた兵が顔を上げる。
「副将軍?」
「よく見ろ」
ルセディは周囲を指で示した。
「魔族の無惨な亡骸はあるのに。だが……騎士団の死体が何処にもない」
兵たちは息を呑み、あらためて周囲を見回した。
たしかにそうだった。
これほどの戦闘跡があるにもかかわらず、見つかるのは魔族の亡骸ばかり。
ギルドの討伐者や騎士団員と思われる遺体、砕けた鎧、折れた制式武器の類がほとんど見当たらない。
「そんな、馬鹿な……」
若い兵が乾いた声を漏らす。
「これだけの戦いがあって、人の死体が一つも無いなんて……」
ルセディは答えず、地面に残る痕を見つめた。
深く刻まれた溝。
吹き飛ばされた瓦礫。
そして、何かが一斉に消えたような、不自然な空白。
戦って、勝った。
それならまだ分かる。
だが、この場には、その「あと」が抜け落ちていた。
ルセディは目を細める。
「全員、周辺を調べろ。建物の下、村の外れ、森の境目までだ」
「はっ!」
兵たちが慌ただしく散っていく。
その背を見送りながら、ルセディは再び惨状へと視線を戻した。
巨人像の残骸。巨大な穴。焼けた大地。
それらは確かに、ここで激しい戦闘があったことを示している。
だが、本当に異様なのは、破壊の激しさではない。
これほどの戦いの跡を残しながら、戦ったはずの人間たちが、まるで最初から存在しなかったかのように消えていることだった。
ルセディは荒れ果てた地面を見つめたまま、低く呟いた。
「転移石なら、数人程度の移動は可能だ。国境付近からでも、純白城……あるいはマネニーゼまで飛ぶことはできる」
副官が息を呑む。
「では、やはり生存者は転移で……?」
「いや、数が合わん」
ルセディは首を振った。
「数十名を一度に移動させるとなれば、通常の転移石では不可能だ。必要になるのは、時空の門に匹敵するほどの巨大な魔力……それこそ、この惨状にも説明がつく規模の力だ」
彼はそう言って、地面を抉った巨大な穴と、砕け散った巨人像の残骸へ視線を向ける。
「だが、だとしたら余計に妙だ」
「……何がでしょう」
ルセディの目が細くなった。
「もし本当に、それほどの魔力で転移したのなら――なぜ、アスレイウ様やリーミア様は城へ戻らない?」
その一言に、周囲の兵たちは顔を見合わせた。
純白城へ戻っていれば、すぐに報せが届くはずだ。
マネニーゼへ出たなら、あれほどの人数が動けば痕跡くらい残るはずだ。
だが、どちらの報もない。
ルセディは焼けた大地を見渡しながら、静かに続けた。
「戻れなかったのか。戻らなかったのか。それとも……転移先そのものが、こちらの想定とは違ったのか」
その時だった。
不意に、近くの茂みががさりと揺れた。
ルセディの目が鋭くなる。
彼は即座に剣の柄へ手をかけ、低く命じた。
「誰だ。出てこい」
周囲の兵たちも一斉に身構える。
張りつめた空気の中、茂みの奥で何かが小さく身じろぎした。
「ひっ……!」
怯えたような声が漏れる。
「聞こえなかったのか」
ルセディの声が一段低くなる。
「姿を見せろ」
しばしの沈黙のあと、茂みをかき分けるようにして、数人の小柄な者たちがそろそろと姿を現した。
「なっ……?」
兵のひとりが目を見張る。
それは人間の子どもにも見えたが、明らかに違っていた。
全身は柔らかな毛に覆われ、頭の上には大きな耳が左右に立っている。
くりくりとした大きな目が落ち着きなく揺れ、その背後では細長い尻尾が警戒するようにぴんと張っていた。
ルセディは眉をひそめる。
こんな種族は、少なくとも地上では見た記憶がない。
「お前たちは何者だ」
小柄な者たちは顔を見合わせる。
その中で一歩前に出たのは、他の者よりわずかに落ち着いた目をした一人だった。
「……オイラ達は、地底世界の住人だ」
「地底世界だと?」
兵たちの間にざわめきが走る。
ルセディは相手から視線を外さなかった。
「そんな者たちが、なぜ地上にいる」
問われた小柄な者――サティラは、ふんと鼻を鳴らした。
「貴様らなんかに、言うもんか」
「そうだ、そうだ!」
後ろにいた仲間のひとりが、勢いよく頷く。
そして次の瞬間、胸を張って叫んだ。
「絶対にリーミアちゃんのことは、口が裂けても言わんぞ!」
空気が凍った。
「おい、馬鹿っ!?」
サティラが振り向いて叫ぶ。
言ってしまった本人は、はっと口を押さえた。
「…………」
ルセディの目が細くなる。
今この場で、もっとも聞き逃してはならない名だった。
「今、誰の名を言った?」
低い声だった。
怒鳴り声でもないのに、その場の全員がびくりと肩を震わせる。
サティラは悔しそうに耳を伏せた。
仲間たちも、しまった、という顔で後ずさる。
ルセディは一歩、前へ出る。
「リーミア様を知っているのか」
返事はない。
だが、沈黙そのものが答えになっていた。
ルセディはサティラたちを真っ直ぐ見据える。
この惨状の跡地に潜み、地底世界から現れ、そしてリーミアの名に反応した。
もはや無関係で済むはずがない。
「話してもらおうか」
彼は静かに言った。
「お前たちは、ここで何を見た」
サティラたちは顔を見合わせた。
誰もすぐには口を開かない。
兵たちの間に、ぴりついた沈黙が落ちる。
「……言え」
ルセディの声は低かった。
「リーミア様のことを知っているのなら、なおさらだ」
サティラは耳をぴくりと動かし、しばらく逡巡したあと、ようやく口を開いた。
「……あの子は、戦ってた」
「誰とだ」
「ヴォグルって奴だよ」
その名に、ルセディの表情がわずかに険しくなる。
後ろの兵たちも息を呑んだ。
サティラは警戒を解かないまま、言葉を続ける。彼は地底世界にリーミアが落ちて来た事からの一部始終を交えて説明した。
「ずっとだ。かなり長い間、あの子はそいつと激しくやり合ってた。村の中も外も、もう滅茶苦茶だった」
仲間のひとりが慌てて口を挟む。
「本当なんだぞ! 剣の光が何度も走って、地面も揺れて……オイラ達、ずっと隠れて見てたんだ!」
「おい、余計なことまで喋るな!」
サティラが小声で怒鳴る。
だが、もう止まらなかった。
「それで、戦いが終わったと思ったら、今度は変な奴が出てきたんだ!」
別の小柄な者が、身振りを交えて叫ぶ。
「気味の悪い魔術師みたいな奴でさ、いきなり空にでっかい火の玉を作って――」
「火の玉……?」
ルセディが眉をひそめる。
サティラは悔しそうに頷いた。
「そうだ。あんなの、普通の魔法じゃない。空が赤く染まるくらい大きかった」
仲間たちも青ざめた顔で頷く。
「村ごと焼き払う気だったんだ……」
「オイラ達、もう駄目だと思った……」
ルセディは黙って先を促す。
「その直後だ」
サティラの声が少しだけ低くなる。
「リーミアちゃんから……変な光が出た」
「光?」
「白くて、でもただ明るいだけじゃない。目がくらむような光だった。あの子の周りから一気に広がって……その場にいた連中を、まとめて包み込んだんだ」
兵のひとりが思わず前へ出る。
「その場にいた連中とは、誰だ」
「騎士団の奴らとか、あの子の近くにいた人間達だよ」
サティラは即座に答えた。
「オイラ達は少し離れた場所にいたから無事だった。けど、あの光に包まれた連中は――」
そこで言葉を切る。
ルセディの目が細くなった。
「消えたのか」
サティラは、こくりと頷いた。
「……消えた。次の瞬間には、もういなかった」
誰も声を出せなかった。
風が、焼け跡の上を吹き抜ける。
砕けた石と灰が、かすかに転がった。
「残ったのは、これだけだ」
サティラが周囲の惨状へ視線を向ける。
「壊れた村と、魔族の死体だけだよ」
ルセディはしばらく無言のまま、サティラたちを見つめていた。
ヴォグルとの戦闘。
奇怪な魔術師。
巨大な火球。
そして、リーミアを中心に広がった光。
報告として並べれば荒唐無稽だ。
だが、目の前にある惨状が、その話を笑い飛ばすことを許さなかった。
「……なるほどな」
ルセディは低く呟く。
「少なくとも、ただの撤退ではないらしい」
ルセディはしばらく無言のまま、サティラたちを見つめていた。
ヴォグルとの激戦。
突如現れた奇怪な魔術師。
村ごと焼き払わんとする巨大な火球。
そして、リーミアを中心に広がった不可思議な光。
どれも俄かには信じがたい話だった。
だが、目の前に広がる破壊の跡が、それをただの作り話だと切り捨てることを許さなかった。
「……分かった」
低くそう言って、ルセディは剣から手を離した。
「貴重な情報だ。感謝する」
その言葉に、サティラたちは目を瞬かせる。
まさか礼を言われるとは思っていなかったのだろう。
ルセディは彼らを見下ろしながら、静かに続けた。
「お前たちを追うつもりはない。好きに去れ」
「ただし、この地はまだ危険だ。長く留まらぬ方がいい」
サティラは耳をぴくりと動かしたあと、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「……言われなくても分かってる」
だが、その声には先ほどまでの剥き出しの敵意はなかった。
仲間たちも警戒しつつ、どこか安堵したような顔を見せている。
ルセディはそれ以上何も言わず、背後の兵たちへ振り返った。
「撤退する」
「はっ!」
短い返答が返る。
兵たちは周囲を警戒しながら、速やかに隊列を整え始めた。
焼け跡を離れる直前、ルセディは一度だけ魔族の村を振り返る。
アスレイウも、リーミアも、生きている可能性はある。
だが、どこへ飛ばされたのかは分からない。
純白城にも、マネニーゼにも戻っていない以上、現時点で追跡は不可能だった。
手掛かりは足りない。
断定できることは、まだ何一つない。
「……当面は、行方不明として扱うしかないか」
その呟きは、誰に向けたものでもなかった。
ルセディは外套を翻し、部下たちとともにその場を後にする。
後にはただ、崩れた村と、朝の冷えた風だけが残された。
不気味な魔界の門の出現。
ノディムと言う謎の人物。
行方の知れぬアスレイウとリーミア。
そして、ルミティの王位を巡る問題――。
ルセディの前には、ひとつ片づければ済むような話ではない厄介事が、いくつも積み上がっていた。
魔族の村で得られたのは、断片的な証言だけだ。
アスレイウとリーミアが不可思議な光に包まれて消えたことは分かっても、その先までは何一つ見えてこない。
純白城にも戻っていない。
マネニーゼにも現れていない。
飛ばされた先も、生死さえも、確かなことは何もなかった。
その一方で、王都ではルミティの王位を巡る火種が燻り続けている。
下手に動けば、国内の均衡すら崩れかねない。
ルセディは何度も報告書へ目を通し、各地から上がる情報を洗い直した。
だが、求める手掛かりは最後まで見つからなかった。
そうして、何も掴めぬまま時間だけが過ぎていく。
やがて――約束の一ヶ月が訪れた。




