第1話 破滅への狼煙
「人間種のくせに生意気なんだよ」
俺のことを醜い豚の頭の異種族が見下している。
「お前らは禁忌を犯したくせに!」
「てめぇらのせいで世界がどうなったと思ってんだよ!」
取り巻きがキーキーと喚いている。
馬頭に鹿頭の異種族共がそれらしい知識をひけらかして、俺を貶めようとしている。
人間が何をした。
俺が異種族《お前ら》に何かしたか。
なんでこんな扱いをうけなくちゃいけない。
何が悪い。
俺のどこが悪い。
「お前さ、死んじゃえよ。だって人間種に生きてる価値ないもん」
「そうだーそうだー!」
「死ね! 死ね!」
煩い。
俺は言ってやる。
証明してやる。
人間のために。
◆
遥か昔、人間種は禁忌を犯した。
一言で言い表すなら――生命への冒涜。
全異種族が声を揃えて反対した。それでも実験は止まらず、人類は『成れ果て』を生み出してしまった。
あれから幾星霜。
『成れ果て』は今なお世界を蝕み続け、各地では血を流す戦いが続いている。終わりの見えない消耗戦。誰もが疲弊し、誰もが怒りの矛先を求めていた。
向けられる先は、決まっている。
人間だ。
怪物を産み落とした種族。世界に呪いをばら撒いた罪人たち。あらゆる種族から蔑まれ、踏みにじられるのは――ある意味で、当然の報いなのかもしれなかった。
「以上が簡単な説明になります」
異種族が集められたクラスにて、教壇に立つ教官が授業をそう締めくくった。
「次回までにこの復習をしておくように、皆さんは兵士である前に一人の生徒ですから。訓練以外の勉学にも励むように」
ここ、エルバートン士官学校では『成り果て』や他国の脅威と戦うための優秀な兵士を日々育成していた。
教官が授業を終えて立ち去るとクラスは活気を取り戻す。
今日はこれで士官学校も終わり、後は家に帰るだけ。各々が友達と喋ったり帰りの仕度をしたり、授業から解放された喜びのまま笑顔で帰路につく――それよりも早く、授業が終わると共に一人の生徒が教室を飛び出していた。
幾人かの生徒がそれを見ると追いかけ、そして呼び止める。
「おいカリウス! 何勝手に帰ってんだ」
誰もいない屋内で教室から逃げるようにして立ち去ったカリウスは、クラスメートのダグラスという穢肉族に捕まった。
彼の見た目は豚の頭と太ったように見える体が特徴的で、一般的な穢肉族と比べてみても一層巨大な体躯をしていた。
するとその図体の後ろからひょこっと二人の取り巻きが現れる。
「てめぇ俺たちとの用事忘れたかぁ?」
「そもそもなんで人間種がここにいるんだよ」
ダグラスの取り巻きがカリウスを責め立てる。
しかし無理もないことだった。
穢肉族——つまり異種族の彼らが取り囲むカリウスは人間種だった。
過去、禁忌を冒したことにより人間は嫌われている。
特に、将来の士官候補を育てるエルバートン士官学校に人間がいるのはおかしなことであり、なぜ自らと同じ権利を持って学校に通っているのかと、快く思わない者も当然いる。
それがダグラスであり、その取り巻きであり……直接言ってこないだけで、おそらくほとんどの生徒がカリウスにいい感情は持っていない。
カリウスは特に動じることはなく三人の目を見て返す。
「用事があるので」
その人間の癖に媚びへつらおうとしないカリウスの態度が、ダグラスたちには気に入らなかった。
「生意気なんだよ」
ダグラスがカリウスに一歩近づいてそのまま巨体で跳ね飛ばす。
カリウスの軽い体は簡単に吹き飛ばされて後ろの壁に強く打ち付けられた。
「お前、なんで士官学校にいるんだよ。てめぇらが生んだ『成れ果て』のせいでこんなことになってるのによ。まさか士官になろうとしてるのか?」
壁に強く打ち付けられた衝撃で倒れながらも、すぐに頭をあげて怒りも憎悪もない純粋な視線で訴えかける。
「俺は軍部に入り今の人間の扱いを――」
「聞き飽きたんだよ!」
倒れたカリウスがダグラスに蹴られ、衝撃で体が壁に打ち付けられた。
その後に何度も、ダグラスとその取り巻きに蹴られ、殴られる。
「危険思想じゃん」
「公安に言っちゃおうかなー」
これがカリウスの日常。
普通ならば心折れても仕方ない。
しかしカリウスにはやらねばならぬことがあった。
ここで折れるわけにはいかなかった。
(俺は……あいつらのために、人間の……権利を……)
もしここでダグラスたちにやり返せば、士官学校を退学になってしまうかもしれない。
目標は士官学校を卒業したその先にある。
つまらない感情に引っ張られて躓くわけにはいかない。
(耐えろ……)
そう今は耐えるだけ。
何年か、それとも何十年か……期間は分からない。
しかし今は耐えて努力し、あいつらとの約束を守らなければならない。
◆
「もうこんな時間か」
カリウスがとぼとぼと石畳の上を歩きながら呟く。
ダグラスに絡まれると決まって帰るのが遅くなる。
馬鹿みたいに高い制服は汚れるし、ところどころ破けてしまうし、今日家に帰ってから大変だ。
すぐに家へと直行できれば良いのだが、生憎、これから仕事だ。
士官学校に通うほとんどの生徒は仕事をしなくても良い身分だが、人間種であり、親も友人もいないマキアは学費や生活費を稼がなければならない。
その合間の時間に勉強をしたり……気が遠くなる。
「すいません、遅れました」
仕事場に辿り着くと、まず店主に一言謝罪した。
店主は花樹族という種族で、体中に根が張った人型の見た目をしている。
人間種のカリウスでも雇ってくれた恩人だ。
「おお、カリウスか。遅かったな。仕事が溜まってるから、着替えたらすぐにやってくれ」
「はい!」
カリウスは意気揚々と返事をして更衣室に向かう。
そこには士官学校とは違ってちゃんと自分のロッカーが用意されていて、中は誰にも荒らされていなかった。この『普通』でさえ貴重で、何にも代えがたい。
(あいつ上手くいかなかったらしいしな)
着替えながらダグラスたちのことを思い出す。
ダグラスは訓練の成績こそ良いものの座学は下から数えた方が早い程度の成績だ。
今日テストが返却されたが、おそらく結果が振るわなかったのだろう。そのせいで今日はいつもよりも絡まれた。
「はぁ……」
意味も無く今日のことを思い出しながら鏡を眺める。
カリウスの体は少し栄養失調気味で痩せていた。それと古傷だらけ。火傷の跡や裂傷の跡。すべてダグラスにやられた――ものではない。数年前、カリウスが兵士として最前線に送られ、『《《成り果て》》』と戦っていた時に負ったものだ。
ほとんどの人間は普通の仕事をすることができず、『成り果て』と戦うための兵士になるか、見世物になるかぐらいしか選択肢がない。まだ子供だったカリウスも同じだった。
(極致決戦と大規模掃討作戦……と……まあいいか)
傷跡を見る度にどこで負った負傷なのかを思い出す。
死傷者は数え切れないほどで、カリウスの仲間は皆死んだ。
それでも必ず生還し、『成り果て』の首を獲ってきた。
何が起きても自分だけが生還した。
いや、生還してしまった。
その度に人間がどう扱われているのか、どのような仕打ちを受けているのか、身を持って体感している。
だからこそ、軍の任期を五体満足で終えたからこそ、カリウスにはすべきことがった。
(変えてやるからな)
人間の権利のために。
あの戦場を、悲劇を二度と起こしてはならない。
暴力で訴えかけても、言葉で訴えかけても意味はない。
自らの力で、自らの体で、軍部に飛び込んで内部から変えていくしかない。
そのために、今は耐えなければならないのだ。
◆
その日の夜、仕事を終えたカリウスは巨大な塀に背を向けて座り込んでいた。もうすぐで冬が来ると言うこともあって少し肌寒い。すでに日は落ちて周りは暗い。街灯の明かりもほぼ無くて、唯一、カリウスのいる場所だけが明るく灯っていた。
光の発生源はカリウスが背中を預けている塀の――さらにその向こう。内側から漏れ出している。左右を見渡してみれば二メートルはある塀がずらりと並ぶ。中が一切見えないように扉一つない設計だが、唯一、カリウスのいる場所だけが網目状で、中の様子が見えるようになっていた。
淡い光を背中に浴びながらしばらく待っていると、塀の内側から聞こえた。
その足音を聞いてカリウスが振り返る。
「ミカエル」
塀の隙間から中を見て、そこに立っている同年代の少年——ミカエルに声をかけた。声を聞いたミカエルも同じように中を覗き込んでカリウスと目があうと、笑顔を浮かべる。
「久しぶりっ、カリウス」
声を高鳴らせてミカエルが挨拶を返すと、カリウスも笑って返事した。
「久しぶりってほどでもないだろ」
カリウスとミカエルはこの塀越しに一週間に一回話し合うだけの関係。
ただ、それだけの相手。
「あれ……ミカエル、その怪我は」
塀越しに見えたミカエルの体には包帯が巻かれ、血が滲んでいた。なぜミカエルがその状態なのか察しつつも、カリウスは敢えて訊いた。
ミカエルは一度自らの体を見て、それから包帯の部分を軽く摩りながら苦笑交じりに説明する。
「今日の試合相手が強くて……掠っただけなんだけどね」
「またか」
「また、だね」
二人は軽く笑い合う。
ミカエルはこの壁の内側で剣闘士をしている。中には巨大なコロシアムがあり、そこがミカエルの仕事場所だ。
「あとどのくらいなんだ」
カリウスが塀に背を預けてミカエルに尋ねる。
奴隷だったミカエルは買われて剣闘士になった。借金を返済し終わるまで剣闘士の生活が続く。しかし終わりが来ない……ということでもない。
「あと二年」
いつ辞められるのかを常に考えていたミカエルはすぐに答えられた。
「もうここから逃げたいよ」
そしてすぐに弱音を吐いた。常に死の危険性が伴う剣闘士と差別されども命の危険はないカリウスでは状況が違う。それに実際にコロシアムで戦った姿を見たことがないカリウスは勝手なことが言えない。
しかし一つだけ知っていることがあった。
「でも、できないんだろ」
「まあね」
ミカエルが首の後ろの辺りを摩りながら苦笑する。
「縛環族の刻印だったっけ」
「そう、合ってる」
ミカエルの首筋には縛環族の民が刻んだ奴隷契約の刻印がある。
この刻印のせいでミカエルは塀の外に出ることができない。この時間に監視も無しで塀の傍まで来ているのは刻印が関係しているところが大きい。ただ自由に動き回れるというわけではなく、試合の日だけ特別に自由時間が伸びているだけだ。
少し陰鬱な無駄話をしていてもいいが、ミカエルとしては別の話題に移りたかった。
「あ、それよりも。早く聞かせてよ」
「そう急かすなよ。まだ時間はあるだろ」
カリウスが苦笑する。
苦笑しながら、カリウスもミカエルも塀に背中を預けて座り込んだ。
「何度も言ってるが、俺の立場じゃ、あんまり面白いことは話せないぞ」
「いいんだよ、僕はカリウスが話す『外のこと』が好きなんだから」
「物好きというか……何というか……」
ミカエルは物心つく時からコロシアムにいた。当然、外のことは何も知らない。客席で騒ぎ立てる異種族共や対戦相手だけが情報源。殺し合いをしてきたミカエルにとって同じ人間種であるカリウスだけが、外のことを教えてくれるただ唯一の友人だった。
「そうだな……」
二人して手の届かない場所で鬱陶しく光り輝いている星々を見上げながら、カリウスはゆっくりと語り始める。
話し飽きた解体工場のこと。
最近できた店のこと。
差別されてご飯が買えなかったこと。
家に勝手に誰かが入ってきたこと。
家に帰ったら玄関扉が無くなっていたこと。
『成り果て』から出て来た寄生虫のこと。
クソ野郎のこと。
悪口、珍事件、笑い話……週に一度だけ何時間とカリウスは語り紡ぐ。夜が深まるにつれてより冷えてくるのを体感しながら、塀に背を預けて星を見上げて、苦笑交じりに……あるいは思い出し笑いをしながら、カリウスは話し続けた。
ミカエルはそんなカリウスの話に相槌を打ちながら、時より自分も剣闘士としてコロシアムの中で起きたことを少しだけ話す。大きな笑いが起きるわけでもないし、これといった変化が訪れることもない。
しかし彼らは毎週のように集まって、ここで背を預け合って話しをするのだ。
「……もう夜遅いんじゃないか」
時計が無いため正確な時間は分からない。しかし何年と同じことをしてきたこともあって、体感でどの程度時間が経過したか分かる。
ミカエルも「そうだね」と言って話しを切り上げた。
そして二人して立ち上がると最後に塀の隙間から互いに目を合わせる。
「それ、いつも付けてるよね」
ミカエルが塀の隙間から向こう側を見た時、月明かりに反射してカリウスの指にはめられた指輪が輝くのが見えた。
「ああ、これな」
カリウスは右手にはめられた指輪を軽く左手で触る。
「これは兵士時代の仲間から貰った形見だ。これがあるおかげで、見るたびに『あいつらのために頑張らなくちゃな』って思えんだ」
指輪を一度見た後に、カリウスは改めてミカエルを見た。
「あと何年かかるか分からないけど、俺は人間の立場を変えてみせる」
ミカエルはパン一つ買う金で親に売られて剣闘士になった。『成れ果て』と戦う人もみな同じだ。売られたり食べる物が無いから仕方なく兵士になっているだけ。他の選択肢があるのならばそうしている。
「でも、無理はしないでね」
カリウスは目標を宣言すると、ミカエルは決まって困り顔を浮かべる。
剣闘士には人間種以外にも借金で墜ちて来た異種族が多数在籍している。実力主義の環境が幸いしてか、人間でも実力さえあれば仲間として迎え入れられるし、美味いものも食べられる。
物心ついた時からコロシアムの外に出たことがないミカエルには、カリウスの価値観が完全には共有できずにいた。
「分かった。でも俺はやるよ」
カリウスはミカエルの境遇を分かった上で、『それでも』と改めて立場と意思を伝えた。
「じゃあ、また来週」
「うん、待ってる」
別れを告げあうと、二人はそれぞれ歩み出す。
◆
(頭が痛いな……)
家へと帰る道のりの中で、暗い街中を歩きながらカリウスは頭を軽く押さえていた。
最近はなぜかよく頭が痛む。
勉学のことだけでなく、仕事のことやダグラスのこと、それから自らが歩むことになる茨の道のことを思い浮かべて、かなり精神的な負荷がかかっているせいだろう。
(……まだやれるな)
疲労から来る頭痛ならば『気のせい』で済ませることができる。
何日も寝ないなんてことは兵士時代にはありふれていた。
随分と軟弱者になった。
自らを罵倒して自戒して、気を引き締めなければ。
「……ふぅ」
早朝から夕方までの労働で体は死にそうなほど疲れている。ミカエルと話すのは楽しいけれど、寒い中でずっと会話するのは疲れてしまう。
もうへとへとだ。
さっさと家に帰って……今日はすぐに眠れるかもしれない。
そうして体を右に左にふらふらと揺らしながら歩いていると前から一人の異種族が歩いて来るのが見えた。今歩いている道はあまり幅がなくて、彼が横に広がって歩いているとどうしてもぶつかってしまう。
カリウスは一度立ち止まって、壁が少しだけ窪んだところに体を押し当てて彼を先に通してから通ることにした。
もし人間が我先に通ろうとすれば、すれ違いようなものならばいちゃもんをつけられる。
だから端で物のように固まってやりすごす。
見たところ穢肉族だ。手に持った酒瓶や千鳥足で歩いているのを見るに、相当酔っている。ああいう輩には近づかないが吉だ。
端によって彼らが通り過ぎるのを待つ。
「――ッチ。ったくためぇなにぶつかってきてんだぁ?」
カリウスは一歩も動いていない。しかし彼らがわざとカリウスのいる方へと寄って来て体をぶつけた。
「……すいません」
カリウスは内心で苛立ちながらもすぐに頭を下げた。
「すいません……? そうじゃねえだろうがよ。穢肉族様にぶつかっておいて謝っただけで許されるわけねぇだろが!」
頭を下げたカリウスの頭に衝撃が走る。直後、酒瓶が砕け散る音が鳴った。
「っが」
後頭部を酒瓶で殴られたカリウスは意識を一瞬手放して地面に倒れた。だがすぐに意識を戻して、地面に這いつくばりながら謝罪の言を口にする。
「すいません……ごめんなさい……」
「何言ってんだぁ? 聞こえねぇなぁ!」
髪を掴まれ引っ張られ、頭が持ち上がる。そして穢肉族は手元のナイフをカリウスの喉元に押し当てた。
「俺は別によぉ。謝罪が欲しいんじゃ、ないんだわ。何か分かるか?」
「……お、おかね……」
「そうッ! 金だ金。ちと今日使い過ぎちまってよ。このままじゃ嫁さんに怒られちまう。だからちょっとぴり、いや、今持っている分全部でいいから、俺に貸してくれよ」
「……は、い」
「そう、それでいいんだよ」
「で、でも。もってな――」
「でもぉっ?!」
ナイフの刃が今度は強く押し当てられた。
「ねえんなら服でもなんでもよぉ! 代わりになるモン寄越せってんだよ!」
唾をまき散らしながら叫ぶ穢肉族はカリウスの指に煌めくものを見つける。
「お、なんだこれ」
穢肉族がカリウスの右手の指にはめられた指輪をまじまじと見る。
「綺麗だなぁ……なんで人間のお前がこんな高級そうなモン持ってんだ?」
「……」
「あ、そうだ! 嫁さんの土産にしよう! そうすれば怒られねぇ。ってことで」
穢肉族がゆっくりと指輪に手を伸ばす。カリウスは喉元にナイフが押し当てられながらその光景を見ていた。
黒く汚れた爪が、太った指先が、薄っすらと輝く指輪を触ろうとしている。
(こい……つ)
頭痛が酷くなった。
痛い。
頭が押しつぶされて弾けそうだ。
痛い。
痛い。
——もう楽になりなよ。
声が聞こえた気がした。
(いや、これは幻聴……)
カリウスはすぐに否定するが声は大きくなる。
——内部から変えようなんて無理だって。
人間種であるカリウスが人間のために軍部に入り、内部から変えていく。
理想は立派だ。
しかし理想でしかない。
もしカリウスがエルバートン士官学校を卒業できたとしても、さらに厳しい世界が待っている。
軍部が果たしてカリウスを受け入れてくれるのか。
内部から変えられるだけの権力が付与されるのか。
否。
どれだけ頑張ったところで、軍部に入ったところで、何も変えられはしない――
——だからさ、もうやめようよ。そんなまどろっこしい方法じゃなくてさ。君にはあるじゃん。簡単で気持ちい方法がさ。ほら、凶器はすぐそこだよ。隠すのは私が手伝ってあげる。
「やめ……う」
その瞬間、穢肉族が指輪に触れた。
指輪は戦友との約束の証でもあり、自らが活きる道しるべ。
到底、誰かに盗まれることは許容できない。
「やめろ!」
全身が業火に包まれたかのように熱くなったような気がした。
「あれ……」
気が付くとカリウスは穢肉族からナイフを奪い取って後頭部に突き刺していた。
無意識の行動だった。
気が付くと、穢肉族が後頭部から血を流していて死んでいる。
「あ……あ」
握り締めた血だらけのナイフを見て、自分が何をしたのか……何をしてしまったのかにカリウスが気が付いた。
人間種だとか穢肉族だとか以前に、殺しはまずい。
「おれは、だって」
あの状況ではこうするしかなかったと、自分を無理矢理にでも納得させようとする。しかし、目の前で起きた事態をすべて飲み込むことは当然できなかった。
「ど、どうしよ」
自首……という言葉が浮かんだ瞬間に、カリウスは自分でそれを否定した。当然だ。もしかしたら自分が殺されるかもしれなかったのだ。これは正当防衛だし、仕方のないことだ。
しかし法は許してくれない。
「……あ、ああ」
状況を受け入れることができるはずもなく、自らの生を諦めることができるはずもなく、カリウスは駆け出した。
誰かが来る前に、誰かに気が付かれる前に。
逃げて、逃げて。
それから……。
「なんで、なんでだよ!」
逃げたところでどうすればいいのかなんて、カリウスに分かるはずがなかった。
第一話 破滅への狼煙




