1-5
「本日をもって、聖都を離れることを許可します」
(ベルナレニス教会で秘密の仕事でも押し付けられるのかと思っていたアイリスは、自分の耳を疑い、思考が一瞬停止した。)
「……はえ?」
「おや、かねてより聖都の外に出ることを希望していませんでしたか?」
見習い聖女は、正式な聖女にならなければ聖都の外に出ることを許されない。元々田舎の村で育ったアイリスにとって、聖都を離れることは、ずっと心のどこかで望んでいたことだった。
「いいんですか、私、他人を回復させる魔法は使えないですけど」
「ええ、聖女なのにまともな回復魔法を発現できないというのは、あまりに滑稽ですからね。あなたのためにも、教会の威厳のためにも、あなたを聖都の外に出すつもりはなかったのですが……。昨日、あなたの能力を目にして、少し考えを改めたのですよ」
(このおばさん、何考えてんのか分からないけど、マジで聖都から出れるなら自由になれて結構ラッキーなんじゃ……)
アイリスが内心でそう思ったと同時に、ファリスがゴホンと咳払いをした。
「お、ラッキー! これで自由になれるじゃんっ!……などと愚かなことを考えているわけはないかと思いますが」
図星をつかれてギクリとしたアイリスは、「……もちろんです」と小さく呟いた。
「あなたに与える猶予は三年間です。この間に、ベルナレニス教会があなたに投資した金額の全て……三億レニスを返済してもらいます」
「ハァーッ? さ、三億って……」
アイリスが甲高い声を上げてあたふたしている間に、ファリスはどんどん話を進めていく。
「あなたを両親から引き取るときに支払った金額と、あなたを引き取ってから今日にいたるまで与えてきた食料と教育、その全ての対価ですよ」
「……」
不意に家族の話を持ち出されたアイリスが、明確な敵意を持って大司教を睨みつける。だがファリスは気に留めることなく、話を進めていく。
「全額の返済ができなかった時には、この者たちと結婚し、次代の聖女候補を産んでもらいます。聖女であるあなたにできる、最後の仕事です」
「三年……。ハゲたオッサンたちとの結婚までの執行猶予ってことですか」
「全く、聖純な結婚を犯罪のように言うのは感心しませんよ?」
「くっ……そ……」
冗談じゃないと叫びたくなる衝動をぐっとこらえた。三年で三億レニスを稼ぐ手段など、アイリスには皆目見当もついていない。一億レニスですら、王都に豪邸が建つほどの大金だ。最高位の冒険者でも、命がけの依頼を何年も重ねてようやく届くかどうかという話だろう。
「さあ、選びなさい。今すぐこの中の誰かと結婚するか、三年間死に物狂いでどんな手段を使ってでも借金を返済するか」
「聖都を出ます」
選択を迫られたアイリスだったが、悩む時間は全くなかった。下卑た笑顔を浮かべている貴族に嫁入りするくらいなら、外の世界で一か八かの賭けに出る方がまだマシだ。
アイリスとファリスのやり取りを黙って見ていたユフィリアが、ようやく口を開いた。
「ちょっと、待ちなさいよ! あんた、ろくに魔法も使えないのにどうやってお金なんか……」
「でも、ここにいても結末は最悪でしょ」
冷たく言い放つと、ユフィリアは何も答えることなく黙り込んでしまった。
「では、今すぐあなたを転移させます。期待していますよ、アイリス」
「えっ、いや、ちょっと待って……!」
アイリスの足元に魔法陣が展開され、目の前が急激に白光し始める。
「荷物だけでも……!」
懇願するように叫ぶ欠陥聖女に大司教が微笑みかける。次の瞬間、アイリスの視界からベルナレニス教会の司教たちの姿は、一瞬にして消え去った。
* * * * *
その頃、ファリスの執務室では。
部屋に残されたユフィリアが、一度だけ深呼吸をしてから口を開いた。
「大司教様……!」
「どうしましたか、聖女ユフィリア」
「私の言いつけを、よく守ってくれました」
ファリスが静かに言う。ユフィリアは伏せた目を上げなかった。
「聖女の昇格の儀で、あなたが回復魔法を使っていれば……あの子の真の能力を、私たちは見落としていたことでしょう」
「……さあ、どうでしょうね」
「さて、聖女ユフィリア。先ほど伝えた通り、あなたにはラスガルド王都へ向かってもらいます。そこで世界最高の聖女としての評判を獲得してください」ファリスが滑らかに続ける。「聖女アイリスは、ラスガルド王国南西の地方都市に転移させました。あの子の情報をキャッチしたら、教会に逐一共有してもらいます」
「……かしこまりました」
短く答えたユフィリアは、しかし踏み出しかけた足を止めた。
「あ、あの……!」
「まだ何か?」
「三億レニス……。もしアイリスが返済できたら、あの子はどうなるんですか」
ファリスが、柔和な笑みのまま振り返る。
「返済しようとしなかろうと」
窓の外、夕日の中に聖都の白い尖塔が光っている。
「あの子は私たちのものですよ?」
ユフィリアは、それ以上何も聞かなかった。聖杖を握り直す乾いた音だけが、静まり返った執務室にひっそりと響いた。




