第129話 麗子様は木枯しに抱かれてる。
あれ?っと、気がつけば夏休みが終わっていた。
……おかしい。
私の記憶は夏菊の会で止まってるってのに。
どうやら、時間泥棒がいるようだ。
まあ、その正体は分かってるけど。
……水無瀬冬馬様
あの方の甘い微笑みが頭に自然と浮かんでくる。
あゝ、その度に胸が苦しくなる。
そして、その苦しみが、否応なく思い知らせるのだ。
——私は恋をしたのだと。
前世を合わせて四十年余り。それほどの歳を費やして、初めて知った初恋の味。それは、ちょっぴり切なくて甘酸っぱい。
誰だろう……初恋はカルピスの味がすると言ったのは。
そんな物思いに耽る毎日を繰り返し、気がつけば夏休みも終わってたってわけだ。アンニュイじゃ。
「やあ麗子ちゃん、こんにちは」
「いらっしゃいませ、冬馬様」
あれ以来、冬馬様はちょくちょく我が家に遊びに来るようになった。どうなさったのですお兄様、そんなに疲れたような顔をされて?
「これ、お土産」
「まあ、ありがとうございます」
しかも、冬馬様はよくプレゼントをくださる。それはお菓子だったり、何気ない小物だったり。それほど高価ではない物を選んでくる。きっと、私が抵抗なく受け取れるよう配慮しているのだろう。
包装を開けてみたら中から出てきたのはアイボリーのリボンバレッタ。派手さはないけどセンスの良い形。子供っぽくない。だけど大人すぎない。
見た瞬間、これ好きだなって自然とそう思った。
「ちょうど目に止まってね。麗子ちゃんに似合いそうだって」
そんな何気ない一言が私の心を揺さぶる。
だって、それって、いつも私を……気にかけてるってことよね?
冬馬様は私のこと親友の妹としか思ってないって頭では理解してる。だけど、冬馬様のお言葉に、どうしても心が期待してしまう。
違う違うと否定しても、冬馬様の心遣いに胸が騒つくの。
いつもいつも冬馬様が帰られた後に、部屋で余韻に浸って悶えてしまう。私の頭の中は冬馬様で占領され、全てが手につかない。
さすがに前世三十年の経験がある私には、これが恋だと理解できている。理解はできていてもどうにもならない。恋心が完全制御不能。
自分の心でもままならないものらしい。
「それじゃあまたね」
パチンッとウィンク一つ残して冬馬様は帰られた。私の手に残ったのは冬馬様から頂いたアイボリーのリボンバレッタ。
この蝶結びの意味を冬馬様はご存知なのかしら?
――『想いを結ぶ』
きっと、それは単なる偶然。
私がそう思いたいだけなのだ。
冬馬様にそんな意図はないだろう。
だって、冬馬様は私をただの妹のようにしか思っていない。私の想いを言葉にすれば、きっと冬馬様を困らせてしまうだろう。
だけど、冬馬様……どうして、こんな勘違いしてしまいそうなプレゼントをするの?
手の中のリボンバレッタ。
ほどけるはずのないリボンが、今にもスルスルと解けそうな気がした。
「そのバレッタ、麗子によく似合うと思うよ」
「お兄様?」
ハッと顔を上げると、お兄様がジッと私を見ていた。
「冬馬のヤツ、センスは良いからね」
そう言う割に、お兄様の表情は険しかった。
――どうやら、お兄様は私の初恋に否定的らしい。
これもまた私が初恋に思い悩む原因の一つだ。
悶々としながらも、私は学生の本分を忘れはしない。夏期講習が終わっても、私の塾通いは続いている。
「麗子、あなた最近ちょっと変よ」
塾へ行くと眉間に皺を寄せて桔梗ちゃんが私の前に立った。相変わらず歯に衣着せぬ物言いをする子だ。麗子呼びも定着してるし。
私が桔梗ちゃんって呼んだら怒るくせに。
「いえ、ごめんなさい。麗子は元からおかしかったわね」
「桔梗ちゃん、それは麗子ちゃんに失礼よ」
「なによ、菫だって同じこと思ってるくせに」
「えっ……ううん、そ、そんなこと思ってない……こともないけど」
くっ、二人とも酷い!
まあ、そうやって私の気を引こうって魂胆でしょ。それは分かってる。
だが許せ。我は気持ちに余裕がなくて、二人に構ってはやれんのじゃ。
「まったく、張り合いがないわね」
「ホントに麗子ちゃん、どうしたの?」
――忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
そんなん我が身のこととして経験するとは思わなんだ。
「これはあれね」
「あれ?」
「恋煩いよ、恋煩い」
「えーーーっ、麗子ちゃんが!? まっさかー」
ちょっと菫ちゃん、どうして私が恋をしたらまさかなん!
「私もね、あの麗子がまさかとは思ってたのよ」
ホントに酷いわ二人とも。
「噂が本当だったなんて」
「噂?」
「ええ、麗子が大鳳学園のパーティーで歳上の男性に一目惚れしたって」
「まあ、そうなの、麗子ちゃん?」
バカな!?
どうして秘めた想いが噂になっとんねん。
――恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
くっ、まさかリアルの世界で実体験するなんて。
「麗子、ダメだからね」
「なにがですの?」
「相手の人って、水無瀬冬馬さんって聞いたわよ」
マジで我の個人情報はどこまで漏洩しとる。
「あの人、女性関係でかなり問題あるって噂よ」
「まあ、女性慣れしてそうな方ではありますけれど……」
お兄様の話では泣かせた女性は数知れず、相当なプレイボーイのよう。まさに現代版光源氏。もしかして、私ってば紫の上にされちゃう?
「ですが、どうして反対なさいますの?」
「なにかおかしい?」
「いえ、桔梗ちゃんにしてみれば、その方が都合がよろしいではありませんか」
桔梗ちゃんは滝川狙いだ。私が冬馬様とねんごろになれば、邪魔者が消えると喜ぶもんじゃない?
「ふふっ、桔梗ちゃんは麗子ちゃんが心配なのよね」
「なっ!?」
そっかそっか、桔梗ちゃんもいよいよデレたのね。
「違うわよ! 誰が麗子の心配なんて」
「もう、そんな恥ずかしがらなくてもよろしいですのに」
あらあら、ボンッて音が出そうなくらい桔梗ちゃんの顔が真っ赤っ赤よ。首も耳もあんなに赤くしちゃってかーいーなー。
「恥ずかしがってない!」
「そんな意固地にならず、素直になってもよろしいんですのよ」
「そうそう、桔梗ちゃんって麗子ちゃんのこと大好きだもんねぇ」
「違うって言ってるでしょ!」
私がニマニマ、菫ちゃんがくすくす笑うと、桔梗ちゃんがプイッとそっぽを向いちゃった。
「別に好きじゃないし」
「もう、桔梗ちゃんったら、て・れ・や・さ・ん、ですわね」
うりうりと桔梗ちゃんの膨れっ面を突いたら、「うざい!」ってペシッと叩き落とされた。痛い(泣)
「だいたい、麗子は桔梗ちゃんって呼ぶな!」
酷い。私限定で桔梗ちゃん呼びを許してくれないなんて。
桔梗ちゃんがデレ期に突入する日はまだまだ遠いようだ。
「とにかく麗子は水無瀬さんのことを諦める!」
桔梗ちゃんの命令口調にさすがの私もカチンときた。
「良いわね、麗子」
だけど、私は反論の言葉を飲み込む。
だって、桔梗ちゃんは私のことを思って言ってくれているのが分かるから。なんだかんだ、お節介な桔梗ちゃんはとっても良い子なのだ。
身体は子供、頭脳はアラサー。この場は大人な私の方が折れるべきだろう。
だけど、冬馬様への恋心、反対するお兄様、桔梗ちゃん……それらが私の頭でぐるぐるして、胸の中がもやもやして、どうしたって気分は沈んでしまう。
塾の帰り。宇喜田さんの運転する車の中で、ふと窓の外をみれば既に傾いていた陽の光が私を照らした。
――赤い夕暮れ
ちょっと前までは、この時間はまだ明るかったのに……
窓を開ければ、少しだけ涼しくなった風と共に虫の音が入り込んでくる。季節は確実に進んでいるようだ。だけど、私の心は、あの夏の途中で止まったままなのかもしれない。
翌朝、いつもの制服に袖を通し、私はドレッサーの前に座った。鏡に映る私の姿に違和感を感じる。
うーん……心なしか自慢の縦巻きロールに元気がない。
ふと、思い立ったように引き出しを開ける。
どうしようか……
――冬馬様から頂いたアイボリーのリボンバレッタ。
ずっと使おうと思いながら、まだ使えないでいる。冬馬様のセンスは良いし、私もとても気に入ってはいるのだ。
けれど、これを髪に留めるのになんとなく気が乗らず、引き出しの肥やしとなっている。
着けてみようか?
そんな考えも浮かんだ。だけど、どうにも身に着けてはいけないような気がしてならない。
結局、私はバレッタを引き出しに戻し、いつもの髪型で登校することにした。
大鳳学園はいつも通り……ではなかった。
「麗子様……いえ、何でもありません」
廊下を歩いていると、楓ちゃんが何か言いたげにしていたが、すぐに口を噤んでしまった。
「そう言えば、カフェテラスに新作のスイーツが入ったそうですわ」
「それは是非、みんなで食べに参りましょう」
楓ちゃんも椿ちゃんも私に気を使っているような素振りが見える。
いや、いつも通りでないのは私の方か……二人は私の異変に気付いて、そっとしてくれているのだろう。
「ごめんなさい。これからサロンへ顔を出さねばなりませんの」
だけど、食べる意欲もなく、適当な理由を付けて二人と別れた。背中に気づかわし気な二人の視線を感じながら、私は心の中で謝った。
二人とも、こんな私のために申し訳ない。
言い訳ではあったが、口にした以上は菊花会のサロンへと行かねばなるまい。
あー、なんか気が乗らん。
「清涼院さん、ちょっといいかな?」
重い足を引きずってサロンへ行くと、早見が険しい顔で私を出迎えた。




