第117話 麗子様は人生の師匠を見つける。
早見ママの案内で居間に入ると、そこには天使がいた。
「麗子様、こんにちは」
ペコリと挨拶して天使ちゃん二号がにっこり微笑む。
「こんにちは、真琴君」
この見るからに美少女な天使ちゃんは美咲お姉様の従弟、西遠寺真琴君。れっきとした男の娘……じゃなかった男の子なのだ。
本人は別に女装しているつもりはないのよ。服装もシャツと短パンという小さな男の子にありがちなスタイルだし。
だけど、あまりに線の細い美形すぎて女の子にしか見えんのよ。仕草もどことなく女性的だし。なんなら私より女子力が高そうだ。
「今日は麗子様が料理を作ってくれるんですよね。とっても楽しみです」
かーいーなー。マコちゃんマジ天使。
「うふふ、真琴君のご期待に添えるよう頑張りますわ」
よーし、お姉さん張り切っちゃうぞぉ!
「麗子お姉様なら大丈夫。あのブタのクッキーを作る腕前ですもの」
「うん、ブタのクッキー美味しかったよね」
それはクマさん……いや、もう何も言うまい。
水面ちゃんとマコちゃんの期待を背に、いざ我が戦場キッチンへ。
二人の腹ペコ天使ちゃんのためにも腕によりをかけて作んなきゃ。失敗したら持参した銀座仟疋屋の夏限定フルーツゼリーで許してちょ。
あれ、間違いなく美味しいから。
さーて、早見家のキッチン訪問といきますか。
他人の家の台所ってちょっと気になるのよね。
私の知る台所って、前世の実家と今世の清涼院家の二つだけ。
前世の実家はまさにザ・庶民な台所だった。その中をお母さんが所狭しと縦横無尽に動き回って毎日ご飯を作ってくれたんだよねぇ。狭かったけど、あれはあれで機能美だったのかもしれん。
清涼院家の台所の方は完全プロ仕様。調理器具の数々も実際に店で使用されている本格的なものだし、最新冷暖房完備で徹底した環境維持もされている。
三つ星級の腕前を持つ飯田さんが存分に腕を振るえるように整えられた環境なのだ。
それに対して早見家のキッチンは面積こそ広いが、一般家庭のような温かみのある作りとなっている。とても明るく清潔感があって、どこか可愛らしい。
早見ママのセンスの良さが窺い知れる。むむむっ、やりおるな早見ママ。
そんなファンシーでキュートなキッチンに、品の良い初老のマダムがニコニコ笑って待っていた。
「それじゃあ、先生を紹介するわね」
あっ、こちらが料理の先生だったのね。焦った。台所の妖精かと思ったぞ。
「こちら庫裡原るみ先生よ」
——庫裡原るみ先生
早見ママの説明によると、本格的ながら家庭の味を大事にすることで有名な料理研究家なんだって。
日本各地に家庭的な飲食店やオリジナルブランドショップを展開している、『ゆったり時間』という会社の創設者でもあるらしい。
「私もいい歳でしょ。だから会社はもう息子と娘に任せているのよ」
いえいえ、まだまだお若いですよぉ、と思ったら。
なんと御年六十八歳!
驚いた。五十前後くらいかと思ったのに、なんとも若々しい。たおやかな佇まいで、とっても優しそうなお婆様よね。
「うふふ、おかげで今は楽隠居させてもらってるのよ」
一生分どころか孫の代まで稼いでいるそうで、るみ先生はもう働く必要もないのだそうな。
ほうほう、時間を持て余しているから、早見ママのグループで好きな料理を趣味で教えたりしているんですか。それはそれは悠々自適な暮らしで羨ましい。
まさに我が目指している好き勝手人生そのものではありませんか。素敵です。これから師匠と呼ばせてください。
「清涼院麗子と申します」
自然に下へ伸ばした右手の上に左手を重ね、ピシッと背筋を伸ばして軽くお辞儀。時々、何を勘違いしたのか、おへそで両手を重ねてお腹から前に礼をする者がいる。
腹抱えてうずくまるみたいに、ポンポン痛いんかい。両肘張って腹押さえて、はっきり言って所作が美しくない。優美さに欠ける。これ、着物でやったら一目瞭然。
京都の本家でそれやったら「あんさんどこから来はったん?」(意訳:行儀の悪いやっちゃ。お里が知れるぞ)って言われること請け合いや。
それに真面目に「関東からです」なんて答えようものなら「えらい遠くから来はったんやねぇ」(意訳:物もマナーも知らん田舎もんがぁ)と返されることだろう。
さっきも早見ママがおっしゃっていたが、こういった細やかな礼儀作法は相手に見せるためのものだ。煩わしいと思われるかもしれないが、きちんと身に付けておくと相手の心象がとても良くなる。
「まあ、麗子さんはとってもしっかりした娘さんなのね」
「ええ、下手な大人よりよっぽど出来た子なんですのよ」
こんな風にな。
「清涼院さんもさぞかし鼻が高いことでしょう」
「そんな、私なんて……」
めっちゃ自慢の娘ですけどぉ。ドヤッ!
「奥様を中心としたこの教室に早見様がこれほど若い子を招こうとなさっているのか疑問でしたが納得いきました」
「麗子さんは先生のお眼鏡にもかないまして?」
「ええ、素晴らしい娘さんだわ」
にっこり微笑まれたところを見るに、師匠の覚えもめでたいようやな。
「麗子さんに瑞樹さんの花嫁修行を施されたいお気持ちも良く理解できます」
なぬっ!?
「ふふっ、いつもラブコールは送っているのですが、色良い返事を頂けないんですの」
まずい。これは嫌な流れだ。
「本日教えていただけるのはこちらのナスを使った料理ですの?」
私はテーブルの上に置かれた丸々太ったナスを持って強引に話題をそらす。
「ナスは体を冷やしてくれる夏野菜の定番ですものね」
ここはさっさと料理教室を始めて、この不穏な流れを断ち切らねば。
「ご覧の通り、中々に強敵なんですのよ」
「あらあら、これは瑞樹さんも大変ねぇ」
大きなナスを両手で抱えたら、二人にクスクス笑われてしまった。しかし、我は腹黒眼鏡のお嫁さんはごめんなんじゃ。でも、花嫁修行には興味ありありでしてよ。
「るみ先生、本日はご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」
それにしても、ナス料理かぁ。
今日は何を作るのかしら?
「麗子さん、ナスはお好きかしら?」
「はい、好きですわ」
控えめに言って、めっちゃ大好きです。お浸しも良いし、麻婆ナスや天麩羅なんかも美味しいわよね。じゅるり。
「そう……それは良かったわ」
ん? なんだろう、今の間は?
やっぱり、早見ママ、なーんか企んでない?




