5. 姫君は思案中
やっぱり完結。しちゃいます!
パリックスの当主であり、フレンド共和国の元首である父から親書を受け取ると、レックスはインと共に一足先に煌々姫様を追った。地上からは外務大臣はじめ、外交のプロ達が馬車で追い掛ける形となった。インの背に乗れるのはレックスだけであるため、こればかりは致し方ない。
『何が起こったのだ? 煌々姫が帰ってしまうとは、余程の事だと思うが?』
インがレックスに念話で話しかけてくる。
「煌々姫様との婚約を、ハインツが公衆の面前で破棄したんだ。それも自分の不貞を棚に上げて、煌々姫様を非難したらしい。それに愛想を尽かせた彼女が、璃国に帰ってしまったんだ。土産を置いてね」
『土産?』
「開戦すると言い残してね。煌々姫様、彼女はこのフレンド共和国と戦争をしようとしている。本気かどうかは判らないけど……」
『あの煌々姫が、冗談や酔狂を言うようには思えんが?』
銀色にたなびく鬣が、月の光を浴びて美しく輝く。
インは元々璃国に縁があったらしい。らしいというのは本人がそう言っているからで、レックスにも真実は確かめようも無かった。人型をとる時のインは、14、5歳の美しい少年の姿になるが、一度竜の姿になればその姿は銀色の鱗に、銀色の鬣、琥珀色の目を持つ大きな翼竜になる。自称、齢千年にもなる高位の竜人であり、現在はレックスの神獣として付き従っていた。
何が気に入ったのか、物心ついた時にはインはレックスの身近にいたのだった。ある時は水槽の中の魚だったり、銀色のカナリアであったり、銀色の長毛猫の時もあった。レックスが神職に就き、神殿で生活するようになると、神官付きの従者として現れた。
そして、現在に至っている。因みにレックスがインの本当の姿を初めて見たのは、自身の魔力開放が出来た3歳の時だった。
「そうなんだけど、こと戦争についてはどうかな。璃国が武力を以て戦争を起こすのは得策じゃないね? だって、魔力に差がありすぎる。わざわざ武力なんて必要ないよ。璃国の魔術師と煌々姫様の魔力があれば共和国なんて一溜りも無い」
煌々姫が璃国に戻り、自国の魔術師と力を合わせれば、共和国など赤子の手を捻るようなものだ。いや、煌々姫一人の力でも足りるかもしれない。
『それでお前に煌々姫を止めろと言うのか。随分と父君は無理を言うな』
「まあそうだね。でも、弟がやらかした事だからね、パリックス家としても責任を取らないと、国民に顔向けできないよ。幾らハインツが煌々姫様との事を知らされていなかったとはいえ、公衆の面前で婚約者の少女にやって良い事では無いからね」
レックスは、たった一度だけ見たことがある煌々姫の姿を思い出した。初めて見た煌々姫は、璃国の衣装を着ていた。正装に当たる真っ白な上着に、緋色の袴。頭には金環の不思議な音色の鈴が付いた簪を着けていた。
そこだけ夢の様だった。黒く艶やかに光る髪と、大きな黒い宝石の様な瞳。伏せられた長い睫毛が白い頬に影を作った。美しい姿と、不思議な音色の響く空間はそこにいる全ての者を魅了した様に感じられた。
多分、自分も。
残念ながら、不肖の弟はその場には居なかった。もしその時の事を見ていたら、今回の様にはならなかったかもしれないが、今となってはもう遅い。
『しかし、煌々姫も随分と温い決め事をしていたな? 自分の事を教えるなと、婚約破棄を言われなければそれだけで良いなどと』
「確かにね。自分を受け入れてくれれば、それだけで良いという事だった。でも、ハインツにとってはそれすらも受け入れられない事だった。酷く煌々姫様を傷つけてしまっただろうね」
首都を離れて随分経った。しかし、国境まではまだ随分ある。インに乗っているレックスは振り返って暗い夜空の向こうにある都の方を見た。僅かに光が見えるが、さすがに後発隊の連中も出発しただろう。
『やはりお前が跡を継ぐべきだったか。我のせいかもしれんな。お前は我の犠牲になった』
いつになく弱気な声でインが言った。
「そんなことは無いよ。インのお陰で私は生きていられる。君のお陰でこうして生活が出来ているんだ。君がいなければ、私は暴走する魔力に飲み込まれて、生まれてすぐに命を落としていただろう。君が私の存在に気付いて、魔力の受容体になってくれたから、生きて聖魔術師になる事も出来た。何とか並みの聖魔術師として、暮らせているのも君のお陰だよ。父上だって感謝している。勿論私も感謝しているよ」
レックスがそう答えてインの首筋を優しく撫でた。
インは目を細めると、真っ直ぐ前を見詰めたまま小さな声で答えた。
『私は、私の為にお前の魔力を奪ったのだ。感謝される謂れなど無い』
それでもだよ。と、レックスは小さく呟いた。
◇◇◇◇◇◇
「煌々姫様、本当にフレンドと戦をするおつもりか?」
紅が頬杖を突きながら煌々姫に向かって問うた。新しい杯に今度は琥珀色の酒を満たし、カラカラと氷の珠を弄んでいる。
「紅、お行儀が悪いですわよ? まあ、いいですけど。開戦するって言い残してきましたもの。そのつもりでいますわ。最低限の条件すら守れない、とんだ阿呆に2年間も付き合わされたのですから。あっ違うわね、足掛け5年? 7年? まあ、とにかく随分な時間を掛けましたわ」
食後のお茶を飲みながら、大分リラックスした様子に見える。
「でも、煌々姫様。先程おっしゃった様に、フレンドも姫様を追って開戦回避のため動いていますでしょう? 私といたしましては、まずは元婚約者の馬鹿息子を血祭りにあげてから、一気に首都への攻撃をするというのをご提案いたしますわ」
六鯉夫人がうっとりした表情で言う。言っている事と見えている姿にギャップがあり過ぎる。煌々姫は優雅にティーカップを持った。
「それでも良いですけど、折角ですから色んなものを炙り出しましょう。共和国の最奥には何やら気になるものが隠されている様ですし?」
とにかく今はゆっくりと身体を休める事。璃国に戻る前にひと暴れしたいところだが、派手に動くと本国への言い訳もできない。あくまでも、理不尽な振る舞いをされて傷付いた姫君の体を取っておきたいところだ。
「煌々姫様、何やら気配を感じるが……」
白が、杯をクイっと飲み干すと窓の外に眼を向けた。
「あら? 何やら覚えのある気配ですわ。随分と懐かしい……」
六鯉夫人も目を細めて同じように窓の方に顔を向けた。
「まあ、ようやく出ていらしたのね。でも、思ったより随分お早いお出ましですけど、どなたかのご指示かしら」
煌々姫は席を立つと、皆の目線の先にある大きく開かれた窓辺に近づいた。
「ふふふ。ここまでしないとお出にならないなんて、どんなに人見知りで恥ずかしがりやなのだか。きっとオーエン様辺りから泣きつかれたのね」
「どうするつもりだ。あちらは2人で来るようだが?」
紅がそう言って夜空の一点を見詰めている。何の音もしてないし、何も見えないはずだったが竜人である彼等には何か伝わるモノがあるようだ。
「六鯉夫人。あの方がいらしたのだったら、お願いしたいことがあるわ。私達の時の様に、光の狼煙を上げて下さらないかしら? お迎えして差し上げましょう」
両目を細めて煌々姫は微笑んだ。まるで懐かしい者を迎えるかのように。
「姫様、姫様は誰がいらっしゃるのかお判りですか?」
六鯉夫人はメイド達に合図を送りながら、煌々姫に尋ねた。
「ええ。多分あの方々よ」
夢見る様な口調で、微笑みながら煌々姫は答えた。
「まさか、銀が彼の傍にいるなんて思いませんでしたわ。数百年前に共和国の内戦に巻き込まれて、竜体を保てなくなる程の痛手を負ってしまったらしいですわ。それから20年前までこの地で眠り込んでいたみたいよ」
「銀様はこの地にいらしたのですか!? 随分お噂もお姿も見ておりませんでしたけど、そんな事になっていたのですか!? 何てお労しい……」
六鯉夫人が、目元を拭う仕草をして懐かしそうに呟いた。
「でも、今では人型も取れているわ。そこまで回復したのは、彼のお陰かもしれませんわ」
歌うように言葉を続ける煌々姫に、白と紅も驚いた顔のままで固まっている。
「白も紅も会うのは初めてかしら? 私も銀に会うのは初めてよ。嬉しいわね、幻の銀竜よ?」
「初めて聞きました。噂では聞いていましたが、こんなに近くにいらしたのに気が付きませんでした」
白が少しだけ悔しそうに呟いた。
「そうでしょうね。私だって最近になって漸く感じられましたもの。全く気が付きませんでしたわ。
銀は気配を消していたのですわ。いえ、消していたというより、あの方から得た魔力が特別なモノだったのでしょう。人の気配が強かったのよ。さすがに今は竜体に戻っているから判るでしょう?」
「……」
話を聞いていた白と紅が顔を見合わせていた。確かに今ははっきりと銀の気配を感じられた。
「もう一人は?」
紅が口を開いて尋ねた。もう一人分、今まで感じた事が無い魔力の気配を感じている。
煌々姫は、するりと窓枠に腰を掛けると、柔らかく吹く風に流れる、長い髪に細い指を通す。
白い貌は、うっすらと朱が差したように染まり、瞳は潤んでいる。まるで、夢見る乙女が愛おしい者を待ちわびている様な表情を浮かべている。
「レックス様です。私の、本当の旦那様」
引き籠りの箱入り息子は、やんごとなき姫君の策略に堕ちた。
ブックマーク、誤字脱字報告、評価ボタンの★も
ありがとうございました。感謝です!
はい。煌々姫の狙いは、レックスさんです。
何も知らないのは彼だけかな?
楽しんで頂けたら嬉しいです。




