おまけ。留置所から始まる何かを期待するのは、いけないことだ。
デジデリウスの独白
ほんの数か月前まで。
俺は花形である王城勤務の騎士として、仕事も、私生活でも有意義な日々を送っていた。
『はぁ・・・朝か・・・』
起き抜けに、こうも憂鬱な溜息をつくことも無ければ、朝日を恨めしく思う事もなかった。重い気分そのままに、こちらも重く感じる体を起こし、のそのそと着替え始める。
気分は最悪でも、すでに習慣付いている朝の鍛錬を怠る気はない。それに無心で走り、剣を振れば、その間は何も考えずに済む。
そう考えつつ、詰所の2階にある自室を出て階下へ向かう間につい、今日も変わりなく始まるであろう『隣家の犬がうるさい』というような苦情相談や、夫婦げんかの仲裁、夜は酔っ払いの相手等の仕事内容を思い浮かべてしまって、さらに気分が落ち込んだ。
王城の優雅さや華やかさの欠片もない、この国境に近い片田舎。その小さな詰所へ移動になった原因が、物凄くくだらない理由なだけに腐りかけ、元凶を恨み、周囲を恨んで。挙句に、巻き込まれて巻き込んだ上司の左遷先と一緒だなんて、なんの因果だろうか。いや、ただの嫌がらせだろうな。
唯一のはけ口になってくれていた美貌の賢者様。は、「お前の愚痴にも飽きたし、そもそもお前たちと一緒にここまでやってきたのは、隣国にちょっとした用があるからだ。そういうわけで、じゃあな!」と、昨日あっさり旅立って行った。
何の用もないのにこの小さな町へ滞在していた齢150云歳の賢者様が、自分の境遇を酒の肴にして暇つぶししていたのは分かっていた。だがはっきり言葉にされてしまうと、まるで傷に塩を塗り込まれたようにして心が染みた。
だいたい、原因の根本の大元にあるのは、あの賢者様が非番の俺に、噴水広場の隅にあるベンチで深いため息を吐いていた娘へ声をかけて来いと発破をかけたからだ。1か月もった恋人にフラれたばかりで自棄になっていて、賢者様の口車に乗った俺の落ち度もあったのだけれども。
娘の悩みの種であった、接する男性すべてに喧嘩腰な父親と、喧嘩っ早い自分の上司が重なり、話が弾み、お互いに楽しくなって、はたから見たらいい雰囲気になっていたのもいけなかった。
急に影が差し、驚いて顔を上げたらそこには、件の「接する男性すべてに喧嘩腰な父親」がいた。
そして「お父様」という娘の言葉に驚いて、立ち上がった拍子に彼女の足を踏んでしまったのが、一番まずかった。
「きゃっ」という小さな悲鳴が耳に入るや否や、思いっきり顔を殴られた。
痛みより先に眩暈がして倒れ込み、その先で口の中の異物を吐きだした。その白い何かが自分の歯だと、気付くと同時に痛みが襲ってきて、殴られた場所を手で押さえ。かばおうとする娘の態度でさらに激高した父親が再び手を振り上げ、それが向かってくるのをただぼんやりと眺めていた。
そうしたら次の瞬間、その父親が吹っ飛んだ。非番で街を散策していた上司が偶然通りがかって、俺を助けてくれたのだ。
だが、これがまた最悪だった。
娘と接する男性すべてに喧嘩腰な父親と、口より先に手が出る上司。
その2人が出会ってしまった時。
当然のように乱闘が始まった。
どうやら2人は元々因縁があったらしい。王城勤務の上司と、王都警邏隊の分隊長な娘の父親の、不仲の原因は知らない。だがその鬱憤を晴らすように暴れまわった跡に、原形を留めないベンチや、ぐちゃぐちゃの屋台、水が漏れだしている噴水があったのは覚えている。
その壮絶な喧嘩の原因が、俺を取り合ってのものだという、馬鹿げた噂も含めて。
騒ぎを起こした当の本人たちは笑い飛ばし、『お前ちょっと顔がいいからって調子に乗りすぎたんだよ』と周囲のやっかみを露見させてくれた。
確かに顔が整っている方なのは自覚していたし、付き合っている女性がいない期間も短い方だと思う。だが言い寄ってきたのはほとんどが向こうからであるし、こちらが本気になりかけると去っていくのもあちらだ。
だいたいが『顔の割に重い』と言われてフラれるのだが、恋愛に順序を求めることの何がいけないのだろうか。結婚適齢期はもう過ぎてしまったが、俺だって結婚したい。
その理想も、男色の噂をたてられ、女性から好奇、または嫌悪の視線しか向けられなくなって、泡と消えてしまったがな。
居辛くなった王城に、未練はある。けれども居座る気力もなかった。
前歯が無くなったことに落ち込んだし、女性からの誘いが全くなくなったことにも落胆した。以前のように関係が続かなくとも誘いは多かった自分が懐かしく、眩しかった。そしてそんな自分を知らない、知られていないところへ行きたくなった。
まあ、つまり。逃げたわけだ。
変わりばえのない、単調な日々。
それでもあの、針の筵のような王城よりはましだと、自分へ言い聞かせる。
騎士に憧れ、理想を描き、それに近付こうと努力し続けた結果がこれとは。気分が落ちていくのが止まらない。
あんなに焦がれて、なりたがった騎士と言う職業であるのに、すべてが色を失って見える。もういっそ、辞めてしまおうか。
そんな時、上司が手配中の連続窃盗犯を捕まえてきた。
影に生きる人間であるはずのその女は、とても身なりのいい服装をしていた。少女と女性の中間のような年齢と見受けられる、ぱっとしない女。顔も可愛らしい方だとは思うが印象に残りにくい顔をしているし、特に特徴もない茶の髪と、こちらは多少珍しい黒い瞳をしている。
なるほど、そうして周囲の目を欺いていたんだな。
上司に抱えられて留置場へ入れられた連続窃盗の容疑者は、信じられないくらいに大人しかった。最初こそ叫んで、鉄格子に頭を突っ込み笑わせてくれたが、その後は従順で捕らえた側であるはずの俺たち騎士にも丁寧に接してきた。
懐柔しようというのかと警戒したが、逃げようともせず危機感なく留置所内で過ごす姿は犯罪者にしては奇妙であるし、直ぐに言葉が全く通じていないと分かった。
それに気になったのは、素足で過ごす彼女の白い脚だ。長く歩いたことの無さそうな細い足首と、硬い地面を知らなさそうな柔らかいだろう華奢な足の指。そんなものを持つ窃盗犯など存在するのだろうか。
1週間もしないうちに、これは人違いではないかと思い始めた。
しかし捕まえた上司は国境の町へ出かけてしまっているし、唯一の目撃者である賢者様へ連絡が取れたものの、国境へ出没する盗賊団のせいで足止めを食らい、入国できずにいるらしい。
できる限り苦痛を取り除いてやりたいが、留置所内へ持ち込めるものには制限があるし、もしかして探している人間がいるかもと聞いて回ってみたがそれもない。徐々に痩せていく彼女に焦ったが、スープの具を多くする程度の事しかできない。
申し訳なく思いつつ日々の業務をこなす俺に、彼女が小さく頭を下げて、いつもの言葉を口にした。
何を言っているのかはわからない。
もしかしたら人違いだと信じたい自分の、思い込みかもしれない。
それでも確かめずにいられなかった。
『ありがとう』
『@?』
何を言われたのかわからなかったのだろう。彼女がこちらを見つめてきた。じっと目を合わせてくるとき、それがもう1度言って欲しいという意味であることはこの3週間で察した。
間違いであったならと思うととても恥ずかしかったが、知りたいという欲の方が勝った。
『ありがとう、と言っているんじゃないのか?』
目を見開いた彼女が、すぐにほんの少し微笑んで口を開いた。
『ありあとう』
『ありがとう、だ』
まずい。可愛い。
拙さにやられながらも訂正すれば、素直に言い直す彼女。
ますます可愛い。
久しぶりに気分が高揚したせいか、調子に乗った俺は、彼女に自分の名を呼んで欲しくなった。
『デジデリウス』
『%&?』
『俺の名前は、デジデリウスという』
ぱあっと周囲に明かりがさすように、満面の笑みを浮かべた彼女が、黒い瞳をほんの少し潤ませた。
『デジデリウス』
運命を感じた瞬間、教会の鐘が鳴る音がすると表現したのは誰だったか。
頭の中に鳴り響く鐘の音に茫然としていたら、先程の私を真似て、柔らかそうな胸を拳で叩いた。
『日和』
『ヒヨリ』
思わぬところで彼女の名を知ることができて、口角が上がってしまうのを止められなかった。
頭の中ではさらに大きく鐘の音が鳴り響き、意識していないとおぼつかなくなりそうな足を必死に動かして留置所を出る。
いつの間にか就業時間が過ぎ。
外へ夕食を摂りに行っただけのはずの帰りに、いつの間にか自分の髪と酷似した色の女性服を買っていて。
それをどうやって渡そうか考えては、笑みを浮かべる自分の気色悪さに、我に返った。
まずい。
これはかなりまずいぞ。
留置所内の容疑者相手に、恋に落ちてしまったなんて。
頭を抱えつつ、明日はどう接しようかと、胸を躍らせてしまう自分に飽きれる。
とりあえず、あと数日で帰る上司の許可を得るまでは、この服を渡すのを我慢しよう。
でも言葉を教えるのは構わないだろうか。もっとヒヨリの声が聞きたい。
あ、いや。尋問しても、自供の言葉がわからないのではお互い困るだろうし。言葉がわかれば、ヒヨリの無実も証明されるかもしれないだろう?
自分で自分に言い訳し、誰ともなしに同意を得ようと問いかける。
これは重症だと思いはしても、彼女を想う事は止められそうになかった。
その後あっさり騎士辞めるデジデリウス(笑)
お読みいただき、ありがとうございました。
「共同生活から始まる~」へ続きますので、よろしかったらそちらも読んでやってくださいませ。