神剣の結末
……勝負が終わった後、王と細やかな取り決めを交わして俺は、談話室へと向かった。
「三人とも。ルシアスはどんな具合だ」
俺は、フランシア姫に付いて王と話をした後……談話室に席をうつしていた弟子たちに声を掛ける。
「ルシアスは今は少し落ち着いています」
アレキサンドラが三人を代表して答えれば、俺は、そうか、と頷いて――適当に壁に背を預けた。
目の前にはしょんぼりとした様子のルシアスがいる。先ほどとは打って変わって打ち沈んでいた。
「アレキサンドラ、ノイエ、セリカ。……それとルシアス」
「……はい」
師である自分に逆らい、人々の平和を守るためにのみ奮われるべき神剣を私利私欲のために使ったルシアスに、じっと視線を向ける。
俺は、この僅かな時間で大きく変わってしまった関係にどう答えるべきか考えあぐねていた。
「とりあえず、ルシアスを除く三人に答えておく」
女弟子たちは俺の言葉に、自然を居住まいを正して傾聴する姿勢になった。
弟子四名のうち、三名は女である。
幼かった弟子たち、最初の頃は子供としか見ていなかった子らが次第に女になっていくのを俺は一番近くで見続けていた。
けども……俺は、あの子らを女とは見なかった。
俺にとってあの子らは可愛い弟子であったけど――それ以上に重荷でもあったのだ。
「俺は……ある日天啓を受けた」
そうとしか言いようがない。前世でこの世界を、この世界が辿る戦いを物語として仮想体験したといって誰が信じてくれようか。
「遠い異国の地で泣いている子供達がいる。お前はこの子らを育て上げなければならない」
本当は少し違う。
俺はゲームの中で、弟子たちの命が風前の灯火である事を知っていた。
ゲームの記憶を通して、俺は未来を予知していた。
それは、プレイヤー(俺)にとってはまさしく呪いに等しい知識だった。
世界を救えるのは勇者。そしてその勇者を救えるのは俺しかいない。ゲームの予備知識はあったから、ルシアスを初めとする弟子たちが大人によって死ぬ事を望まれていることは分かっていた。
俺にとっては……先代の勇者として魔王討伐を行った最初の戦いのほうが気楽だった。
何せ勇者であった頃の戦いはゲームにはなかった。そもそもここがゲームの世界であるという認識さえなかった。
ただがむしゃらに頑張ればいい。
その戦いの中で俺が武運つたなく死んでしまったとしても、それはそれで運命だ。
だけど弟子たちは違う。
俺の勇者パーティーの屈強で頼もしい一癖二癖もある仲間達とはまるで違う。
俺より弱く、俺の庇護がなければ死んでしまうだろう、俺の指導が間違えてしまえばやはり死んでしまうだろう。
「俺は……その託宣を聞いた時、とても大変なことになったと思った。
この子らの命運は俺の決断と行動にかかっている。俺が何かしくじりをすれば……その代償は、俺自身の命ではなく、お前達の命で購われるだろう――そんな内容だった」
弟子たちはまんじりともせずに言葉を聞いていた。
昔は、こんな事など言えなかった。あの時のこの子らは親族に捨てられ、何もかもに見捨てられた哀れな身の上で。
ようやく出会えた信頼できる、愛してくれる大人など俺しかいなかった。
だから俺は空元気を振り絞ってきた。
「本当は胃に穴が開く気分だった。俺はこんな可愛らしい子供達の人生を平和に導けるのか?
俺はある程度の未来を読むことができた。けれども未来の分岐は多数存在していて、その予知の中には……お前達が死ぬ未来もあった」
幾度も悪夢という形で蘇る前世の記憶。
おどろおどろしいBGMと共に表示される『GAME OVER』『DEAD END』
「ルシアス……」
「は、はい」
自分に声が掛けられるとは思っていなかったのだろう。ルシアスは目を見開いて、俺を見つめた。
「お前に神剣を手渡したあの時……俺は――ほっとしたんだ」
前世でグローアップファンタジアを遊んでいた俺だが……実は一つ、特殊なエンディングが存在している。
それは――プレイヤーの分身である主人公が戦死した場合にのみ見れるものだ。
最終面にまで弟子たちを育成していれば、主人公の支援はなくとも魔王は十分倒せる。そして弟子たちは師の戦死に涙しながらも新しい人生を歩む……そんな最後だ。
「あの時点で、ルシアス。お前の能力は、かつての全盛期の俺に匹敵か、凌駕していただろう。
……これで大丈夫。もし俺が武運拙くどこかで戦死しようと後は任せる事ができる。そう思っていた」
「せ……先生っ!」「そんな……」「ふ、不吉な事言わないでよぉ……」
弟子たちは……俺の言葉に、思わず目を見開き、声を奮わせる。
十年近く面倒を見てくれた相手が……あの時、自分自身の死を考えていたと聞けば驚きもするだろう。
だが、俺は――きっちりと言わなければならない。
「お前達を大事な弟子だと思っている。だが同時に重荷にも思っていた。
……お前達が徐々に女の人になる事を意識する余裕なんか、俺にはなかった」
今まで俺の事を敬愛してくれたのだろう。俺の言葉は……弟子たちの心を傷つける刃のような惨さが含まれていた。
彼女達は顔を青褪めさせ、震える瞳で俺を見つめていた。
ここが……グローアップファンタジアの世界だと気づかなければ良かった。弟子たちの命が、俺の行動に掛かっているなどと知らなければ良かった。
ああ、だが。
「本当の事を言うとな。……お前達の人生で、俺の役割は……きっと結婚式で、新婦を式場に連れていく父親役だとずっと思っていた。
だが、お前達は、それは嫌だという」
気持ちに答えることはできない。少なくとも今はまだ。
俺は少し笑いながら答える。
「俺は、今回の魔王討伐と同時に、未来予知の力を失った」
正確には……これより先のエンディングを、前世の俺はプレイしていない。
ここから先、どのようなイベントや人生が待ち受けているのか……すべては未確定だった。
だから、俺はこれから先、ゲーム知識を元に戦う事ができない。
明日がわからない。
だがそれが――なんだかとても、自由で素晴らしいことのように思える。
俺は、弟子たちに言う。
「お前達は俺にとって重荷だった……が、もう重荷でも何でもない。お前達は俺の庇護を必要としない立派な大人だ。自分で決めて、自分で進め。
どのような人生を歩もうと祝福しようと思っている。
ああ。俺はお前達を弟子としてしか見たことがない。……それでも俺の残りの人生に付いてきたいというなら……それを尊重しよう。
これから先はお前達の人生だ。好きにしな」
「「「はいっ!!」」」
彼女達は俺の言葉に答え、喜色を浮かべて頷いた。
「ルシアス。王とフランシア様に話を聞いた。お前は……つまるところお前は、フランシア姫が俺を侮辱した事に腹を立てていたのか?」
僕、ルシアスは……先生の言葉に、俯いたまま、こくん、と頷いた。
みんなが先生のお婿さんになりたいなどと言い出した時は頭に血が昇って、神剣を抜くだなんて軽はずみな事をしてしまったけど。……けども、これはこれで良かったかもしれない。
少なくとも、フランシア様は先生を愛していなかった。
先生が誰を選ぶかはわからないけど……少なくとも、先生と初めて出会ったあの夜から苦楽を共にしてきた、先生の事が大好きな仲間の誰かが幸せになってくれるのだから、暴挙に出た甲斐もある。
だけども先生は、僕の眼をじっと見つめる。
「……ルシアス」
「……はい」
「お前は……お前も……俺の事が?」
僕は、かっと、火のように熱くなる頬を自覚する。
先生の顔を直視する事ができなくて思わず目を背けた。それで十分なのか、先生は頷いた。
「……そうか。すまない。俺の中にはお前の気持ちに答えるものがないんだ」
僕は……はらわたが捻れるようなもどかしさ、悔しさが胸の中で渦巻くのを感じた。
先生は、男という事になっている僕の気持ちを否定する事はなく……そしてきちんと断りの返事をした。それ自体は誠実なことだろう。
けど……僕は、本当は×なのに……!
母親のかけた呪いが憎い。僕の人生をゆがめた託宣が憎い。こんなものがなければ僕は――こんな不利な恋をせずに済んだのに。
喉奥から言葉が競りあがる。もう我慢できない、言ってしまえばいい!
その直後に臓腑が張り裂けようとかまうものか!!
「先生っ……僕は女ですっ!!」
「………………」
「え? ……あれ?」
「いや、ルシアス。なぜお前が自分で言った台詞に驚く。驚くのは俺の仕事だ」
いや……そうじゃない、僕は自分の喉を抑えてみたりする。
今まで僕の人生を縛り付けてきた母の呪詛が……発動しない?
そんな風に考えていると……先生は、なんだか納得したような表情で、僕の腰に下げている神剣を見た。
「……女である事を隠すような呪詛を受けていたのか、ルシアス」
「は。はい……その。母でなければ絶対に解呪できない呪いを受けていました。でも……どうして」
僕は突然のことに、半信半疑ながらも喜びが湧き上がってくるのを実感する。
え? どうして? もう一生付き合っていかなければいけない呪いが、どうしてなくなっているの?
僕の疑問に答えるように先生は神剣を指差す。
「それだ」
「神剣が……なにか?」
「いくら呪いが強力だったとしても、所詮は人の技だ。神の手によって鋳造された、ありとあらゆる害意から使い手を守る神剣が、俺もお前も、知らぬうちに呪いを断ち切ったんだろうよ。
……って事は、神剣を譲った時点でお前の呪いは解かれていたわけか。……俺は、なんで気づかなかったんだろうかな」
先生は自分自身にあきれ返ったように自分の頭を拳骨で叩いている。
「ルシアスッ、その……驚いているが、そうか、女だったか」
アレクサンドラは素直に驚きを浮かべていたけど……小さくうなずいた。
「じゃあ、あの日のみんなが、みんな、おんなじだったんですねぇ」
ノイエは糸目を開いて、にっこりほほえんで。
「そ、そういう事はもうちょっと早く言って……ああでも、でも、ま……いいか。
これからみんな一緒なんだし」
セリカは照れくさそうに頬を掻いた後、にぱっと頬を緩めた。
そんな僕らを見つめながら先生は頬を掻く。
「……こんな形に収まるとは思いもしなかったよ」
確かに今から思うと、ルシアスの設定だけは、前世のゲームでは全て開示された訳ではなかった。
あるいは、作中でプレイヤーの行動次第によっては男のままという形になるのか、女性であることが明かされるか、分岐があったかも知れない。
……ああ、いや。
俺は思考を止める。もうルシアスが女性であったという秘密は分かった。過去のことより今の事を考えるべきだろう。
「それじゃ……そうだな。……魔王も倒した。やるべき危急の用事もない。日々の鍛錬を怠ることは駄目だが、生死の瀬戸際を掻い潜るような鍛錬ももう必要はない。
お前達で適当に行き先でも決めてくれ」
「え? いいんですか、イーズィー先生」
「ああ。それと、先生はよせ。俺はもうお前たちの師ではなく、普通の仲間だ。それとイーズィーという名前も止めよう。それは実は偽名だ」
ええっ?! と弟子たち全員が驚きで目を見開く。
そういえば、前世のプレイヤーネームをそのまま自分の名前として名乗っていたのだった。
『簡単(easy)』に勝ちたい、とそう思っていたのだし。
「そ、それじゃ、先生の本当の名前は?」
「ああ」
ルシアスの質問に俺は頷く。
ひさしく口にしなかった――俺の、本当の名前を答える。
「俺の名前は……」
期間が開いて申し訳ありません。自分でも最後の締めをどうするかいろいろと迷いましたが。こうして区切りをつける事にしました。
本当は姫様の裏にかつての勇者パーティーの仲間が糸を引いていたり、とかいう展開も考えていたのですが、話が脇に逸れるという判断からこういう形になりました。
ここまでお読みくださり。まことにありがとうございます。