きっかけ
夜空に咲く花火を見ると、ぼくはいつでも思い出す。
無数の提灯で彩られた夜の暗がりに浮かぶ、あの子の華奢な後ろ姿を。
その姿は、網膜に鮮明なまでに焼き付いて、ぼくの視界から離れなかった。
◆
日が落ちて夜になっても、遠目には雲が重なり合って浮かんでいた。
豪雨になるかもしれない。
そんな嫌な予感を抱かせるような雲の下で、祭りが行われようとしていた。
雨天決行なのが恨めしい。
大雨洪水警報でも発令されてしまえば、後々起こるべくして起こるだろう種々雑多な面倒事のあれこれに関わらずに済んだのに。そう思うとやりきれない気持ちだった。
そんな乗り気でなかったぼくの気持ちを一八〇度変えさせたのは、瀬奈さんの姿だった。
「こんばんは」
最初、その女性が瀬奈さんだと、ぼくは気付かなかった。
普段は下ろしている髪をゆるく結って、菫色の帯に大人びた濃紺の浴衣を着ていたからだ。
前々から容姿の整った素敵な人だとは思っていたけれど。
彼女の浴衣姿には正直なところ、度肝を抜かれた。
ぼくよりもずっと年上の人のように見えるその姿は一見すると清楚でありながら、どこか妖艶さが漂っていた。
「ご苦労様です」
「いえ。ぼくはまだ何も……やってませんよ」
ぼくは一言、似合ってますよ、という言葉を彼女に送りたかった。だけど、残念なことにぼくは奥手だったからそんな気の利いたことは言えなかった。
いや、違う。きっと、人と本気で向き合えないのだ。いつも、肝心なところでぼくは背を向けて逃げてしまう。
「今日は見回り、頑張って下さいね」
「ええ」
「では、また後で」
ぼくの瞳をしっかりと捉えた瀬奈さんは、笑みを湛えながら言った。
その背中にぼくは何か問いかけようとした。しかし、彼女の姿はすっかり色褪せてしまった年代物の仮設テントのなかに入っていって、消えてしまった。
ぼくは、もう少し彼女と話したかった。
それを思うと歯痒かった。
彼女の慎ましい笑い声が、微かにだけどテントの奥の方から聞こえてくるような気がした。
ぼくは目を瞑って、彼女の後ろ姿を目の奥で再現しようとする。
濃紺の浴衣から垣間見える項の白さが、ぼうっと浮かび上がってすぐに曖昧に滲んだ。