第一話「幼馴染とバカ」
緩やかな坂の周囲を彩るように、爛漫と咲き乱れる桜達。
それらが、学校へ向かう者全員を迎え入れるかのごとくひしめき合っているこの道は桜ロードと呼ばれていて、辿っていくとそこには、『私立光誠学園』が待ち構えている。
俺は今その桜ロードを、白ワイシャツの上に紺のブレザーという制服に身を包みながら、ゆっくり歩いていた。
いや――
「この道を進めば、遂に光誠学園かー。楽しみだね、叡!」
俺達、が正しいか。
「んっ、ああ、まあ。少しな」
俺の制服を色そのままにフォルムチェンジさせたセーラー服を着こなす、抜群のプロポーションを誇るスタイル、腰まで伸びている、粒子が見えるような錯覚に陥る程きれいな髪と何故か小学生の時からずっと付けているヘアピン。どんな怒りも立ち所に静めてしまえそうな程の柔和な目、スッと通った鼻筋、触れればプルプルと良い感じに震えそうな、綺麗で湿潤感のある唇。
それらのパーツで作られた可憐で魅力的な顔を笑顔に変化させ、威力を何倍にもしながら俺の隣を歩いているこの女子は、俺の幼なじみ、夢美谷憧だ。
確か出会ったのは小学生低学年ぐらいだった筈だから、付き合いはもう十年ぐらいになる。
付き合いは長いが、正直この関係も中学までだと思っていたんだが……。
「こうやって一緒に登校するのって久しぶりだね! 確か中学入って最初の時以来じゃなかったっけ」
「ああ、えっと、そうだっけ」
そういえば、そうだな。昔はよく一緒に登校していた。ついでに下校も。でもあれは、二人の合意というよりあっちが勝手に着いてきたって感じだったんだよな。まあ、別に断る理由も無かったから良かったんだが。
しかし、中学生になるとそういうのに抵抗が出来てきた俺達は、というか俺が、あいつに言って登下校はおろか学校内での話もあまりしなくなった。まあそれは、こいつと一緒に歩く度に他人の嫉妬の目まで付属されてくるようになったから、というのも大きい理由の一つなのだが。
そんな訳で学校では大した関わりを持たなくなった俺らも、学校外では家が近いこともあって普通に会っていたから、未だに関係は続いている。 で、何故か高校でさえも縁を持ってしまった憧から昨日、明日一緒に学校に行こうという電話を頂き、多少不安のある初日ぐらいは良いだろうと思いオッケーを出した状況がこれだ。
「……システム、早く使いたいよねー!」
「ああ、まあ、そうだな。……って、うおっ! 何だよ、急に!?」
突然、横から顔を覗き込んでくる憧。
急にびっくりした。
って、んっ!? 何故だ。少し機嫌の悪そうな顔をしてる気がするぞ。
「……あのさ、叡。さっきから私が話かけてんのに、軽く流し過ぎじゃない? ちゃんと聞いてよ。いい加減怒るよ」
……怒るだと? そっ、それは困る。というか、面倒くさい。
「だっ、大丈夫だって。ちゃんと聞いてるよ」
「えー!? じゃあ、最初私何て言った?」
次の、一緒に登校するの久しぶりってのはちゃんと聞いてたが、最初のはマジで聞いてなかった。
ここは勘しかないか。
「えっと……あれだ! 渡瀬川君受かったかな、だろ?」
「いや、全く違うんだけど。ていうか、ごめん。まず、渡瀬川君を存じて無いんだけど、誰?」
「ほら、入試の時、カンニング疑惑で退席させられてた、あの渡瀬川だよ」
「いや、それ絶対受かってないよね!? ていうか、そんな人の話を私がする訳無いじゃん!」
「くっ、違ったか……」
「なんで本気で悔しがってんの!? まさか、さっきの回答に自信あったの!?」
いや、そういう訳では無く……。
「ていうか、やっぱり、話聞いて無かったんじゃん! もう、ちゃんと聞いてよ」
少し頬を膨らませながら憧が言う。
はぁ……面倒だ。
「はいはい。悪かったよ」
「もおっ! また、適当にあしらって! そんな態度じゃ、友達出来ないよ!」
はぁ……。出たか。
憧は顔も良ければ性格も基本的には良いんだが、機嫌が悪くなってくると少し口うるさくなるところがある。そこはどうも直して欲しいのだが……。
「はいはい。悪かったって。今後、気を付けるからさ」
「私、久しぶりに叡と登校出来るの、結構楽しみだったんだよ。なのに、叡は……」
「だから、悪かったって」
まあ、面倒と言っても、俺が悪かったのは事実だからな。楽しみにしてくれていたというのは、少しだが正直に嬉しいし、少しだが悪い気はする。
「今度、駅前の喫茶店にでも行って、パフェ奢らせて頂きますから」
だから、しょうがない。ここは、こいつの大好きなパフェを奢るという約束を呈して収めておくか。
「えっ、本当!?」
「ああっ、本当だ」
「そっか! それなら、まあ良いかな」
往復を終えて、憧の顔は笑顔に戻っていく。どうやら、成功したようだな。
「あっ、そういえば……それって勿論二人でって、ことだよね?」
と思ったら、今度は訝しげな顔をしながら質問してきた。
不意な質問だ。二人って、そりゃ俺がお前に奢る約束だからな。当然じゃないのか。
俺はその気だったが、それを敢えて聞くってことは、
「もしかして、二人は嫌なのか?」
「いや、うんうん! 二人が良い! 二人で行こう!」
三度顔を変化させたと思ったら、最早周囲の桜にも負けない元の魅力的な笑顔でそう言う憧。
しかし、何でそんなに二人を強調するんだ?
「そうか。じゃあ、二人で行くか」
「うん! ……って、あっ!」
急に大声を出す憧。
「今度は何だよ!?」
「いっ、いや。……こっ、これってデートなんじゃ……」
小さくてよく聞こえなかったが、何か言いながら顔を赤らめ始める憧。
「今何て言ったんだ?」
「なっ、何でも無い!」
んー。今一よく分からん反応だ。しかも立ち止まってモジモジし出すし。
周囲からは色々な意味の眼差しを感じるし、関係者と思われたくないから先に行こう。
ということで、先行していたらどうやら正気に戻ったらしい憧が、
「ちょっと、待ってよ!」
と言いながら、後ろから追いかけて来た。
そして、そのまま俺を抜いて前に来、振り返る。
「約束、絶対忘れないでよね!」
憧はまだ顔を赤らめながら、そう言った。
☆★☆★☆★☆
目の前に聳え立つ、白を基調とした校舎。大半は五年前に改装・増築されている為、なかなかの歴史を持っていながら真新しさを感じさせるその校舎は、私立光誠学園のものだ。
校門をくぐった俺達は一旦足を止め、これから三年間通う校舎をひとしきり見回していた。
「うわっ! 何度見てもでかいなー!」
隣で校舎を見つめながら感嘆している憧。確かに、と俺も同意する。
入試の時も見たこの学校の校舎は、高さは一般の高校と大して変わらないのだが、横幅がとにかく広い。四百メートルぐらいはあるのでは無いだろうか。部屋を行き来するだけで大変そうだ。と最初は思ったが、実は中は二分されていて、実際教室が設置されているのは校舎三分の一程だけで、残りは八割がシステム用の施設というのをニュースで見た気がする。だから、普通の授業をするうえにおいては、他の学校と大差ないことになる。
「さて、じゃあ行くか、憧」
「うん」
俺達は再び歩を進め、校舎の中に入っていく。
入ってから玄関で上靴に履き替え、そこから少し進んだところにあった掲示板に貼られている紙を見ると、新入生の所属クラスが書かれていた。
「俺は……」
右端のAクラスから、クラス毎に羅列されている名前を流すように見ていたら、すぐに目が止まった。
あった。Bクラスだ。 さて、俺は見つけたが、
「お前は見つけたか、憧?」
「うんうん。まだ。叡は?」
「見つけた。Bクラスだったわ」
「えっ、Bクラス!? ……って、あっ、あった! 私もBクラスだった! やったー! また一緒だね、叡!」
「そうか。また、それは何の縁だか」
また、というのも実は俺の記憶では、小三で初めて一緒になって以来クラス替えで憧と離れた記憶が無いからだ。AからFまでの六クラスがあるこの高校でもその縁が続くとはな。
まあ、とは言っても、初対面の奴ばかりの中で一人でも知り合いがいるという事実には案外安堵させられるものがあるのだが。
「まあともかく、またよろしくね」
それにしても、嬉しそうだな、憧の奴。
その気持ちは分からなくは無いのだが、そこまで喜べるもんか。たった一人知り合いがいただけだぞ。
まあ、本人が喜んでる訳だし、どうでも良いか。
「そうだな。よろしく」
改めて挨拶を交わした俺達は、入学案内の紙に書いている地図を元に、四階にある一年B組の教室を目指して歩き出した。
☆★☆★☆★☆
「よし、着いたな」
地図に沿って目的地に向かうと、ある教室の前に着いた。
扉の上に貼られているプレートには一年B組の文字が刻まれている。ここで、間違いなさそうだ。
「ここが一年間、通うことになるクラスかー」
期待。緊張。そして不安。そんな様々な感情を一手に引き受けたような目をしながら憧が、隣で扉を見つめている。
俺も同じようなもんだ。
俺は一回深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「よし、んじゃ、入るぜ」
意を決して、スライド式のそのドアを開ける。
……第一印象、静かだ。
席はまだ所々で空いているのだが、それにしても静か過ぎる。緊張と不安が入り交じった新入生特有であろう静寂が教室内に充満している。
そんなサイレントフィールドに足を踏み入れた俺は、少し進み教室最前線に設置されている黒板に目をやる。そこには机配置等を含めた簡略的な教室図と、その図内のそれぞれの席に女らしい丸っぽい字で名前が書かれていた。まあ、普通に考えて自分の名前が書いている席に座れってことだろうな。
俺の名前は……窓側一番後ろか。どうやら、俺が出席番号最後らしい。
まあでも、ベストな席だな。少しラッキーだ。
という訳で、位置も分かったことだし早速移動するか、と群衆もといクラスメイト達が座っている席の方に目をやった時にあることに気付いた。
全員の目が、一点に集中していた。俺の左手にある、先程通ったドアの方向。
俺もそっちに目をやると、そこには俺に少し遅れて入って来ていた、憧が立っていた。注目されて少し戸惑っている。
高校でもか。あいつも大変だな。っと、少し同情する。
あいつは人の目を惹く容姿してるからな。昔から何かと注目されてきた。異性からは好意の目を、同性からは興味や憧れ、そして時には嫉妬の目も向けられ、苦労してきたようだ。俺には今一縁遠い話だが、注目されてばっかってのは辛そうだなっと、想像くらいは出来る。
憧は、そそくさっと逃げるように俺の隣に移動してきて、そのまま黒板を一瞥する。俺ももう一度、だが今度は違う目的で黒板を見る。
憧の席は、俺の隣か。とりあえず重要な入学最初の席は、騒がしそうだな。
なんて考察をしていたら、突然憧が軽い力で俺の腰を押してきた。無言でだが、早くしてと言っているのが聞こえるようだ。
俺は溜め息を一つ吐いてから、要求通りに自分の席目指してさっさと歩いていく。
その所為で憧の受けてる視線を幾分か頂くことになってしまった訳だが、まあ我慢しておこう。
「吉野、ちょっと待て!」
中央右側の列の横を歩き始めたところで不意に名前が呼ばれた。今のは最前列から一つ下がったすぐ左の席から聞こえた気がする。しかも、聞き覚えがあったような……誰だ?
俺は疑問を解決する為に、声の元に顔を向ける。
「おおっ、やっぱり! そのクセのある短髪に全くやる気を感じられない顔! 間違いない! 久しぶりだなー、吉野っ! それから夢美谷も!」
「うわっ、瀬良!?」
「あっ、瀬良君! 久しぶり!」
それぞれ全く異なる反応を返す俺と憧。
その辛口評価による判断基準にツッコミたい気持ちは山々なのだが、それよりも驚きが隠せない。
「おいっ! 吉野、お前、うわって何だよ! ちょっと驚き過ぎだろ!」
いやいや、驚き過ぎって、そりゃ驚くわ!
こいつは俺の中学時代の級友、瀬良疾太だ。
いや実際は、クラスではよく話す程度で、プライベートではあまり関わりを持たなかった為友人と言う程の関係では無かったが、ただのクラスメイトというのも違うなんとも微妙な間柄だった。だから、こいつがこの学校に行くことを知らなかったんだが……何故こいつがこんなところにいるというんだ!? ここはこいつが来て良い場所ではない筈なのに! 来れる場所では無い筈なのに!
「お前、本当に瀬良か?」
「お前、なに言ってんだ?」
「叡、疲れてんの……?」
こいつ大丈夫か、と言わんばかりの訝しげな顔で言う瀬良と心配そうに見つめる憧。
確かに、年相応の少し低めな声、輝きを纏った眩しい眼差し、全体的に爽やかな顔立ち、そして何より俺とは真逆の明朗なオーラは俺の知っている瀬良の物で間違いない。
だが、やはりまだ信じられない。
「いや、だって……じゃあ、何で、お前がここにいるんだよ!?」
「何でってそりゃ、『魔法』使いたいからだろ! 普通皆そうじゃねえの?」
魔法使いたいから? ああ、そうだ。俺もそれに惹かれた。
だが、
「そんなことを聞いてるんじゃねえ!」
「じゃあ、何だよ、一体!?」
「だから、何でお前いんのかって話だよ! だって、お前は……」
「だって、お前は……?」
「……バカなのに」
暫しの間。ポカンとする瀬良だが、対照的に憧はなるほどと納得のいった顔をしている。
そう、こいつは……
「なっ、なに急に言ってんだ、お前! ――ちなみにそれ、褒めてんのか!?」
この発言から分かる通り、バカなんだ。しかも、どうしようも無い程の。
中学ではこいつを知らぬ者は誰一人としていなかった程で、その明らかなバカっぷりから、一周りして実は天才じゃ無いかと畏怖された程だ。
他にも、バカと呼ばれ過ぎて下の名前が本当にバカだと勘違いしてしまう生徒が続出、テスト後教師に「おおっ! 瀬良、今回はお前十教科中赤点七個だけだったな」と言わせたという伝説も持っていると言えば、もう充分伝わっただろうか。
「どう転換させたら、さっきの言葉が褒めてることになんだよ」
「なっ、違うのか!?」
「ああっ、馬鹿にしたんだよ、バカ」
「なんだとー! 俺がバカな訳ねえだろ! 俺がバカならこの世全員バカだよ!」
「じゃあ、1+1は?」
「21!」
「2だよ、バカ」
「ちっ、引っ掛けかよ!」
「そんな要素がどこにあんだよ……」
ヤバい。バカ度が中学の頃より上がっている気がする。
「でっ、でもさ、よく瀬良君この高校入れたよね!」
憧が相変わらず眩しい笑顔を放ちながら話題転換をしてくる。
聞こえようによってはなかなか瀬良をバカにしたこのセリフだが、多分こいつは並の高校より高い偏差値のこの学校にって意味で言ったんだろうな。
だが、瀬良はやはり勘違いをしているようで「夢美谷までバカにすんのかよ」と少し落ち込んでしまった。
「あっ、ごめんね、瀬良君。別にバカにした訳じゃなくて……ほらっ、この高校入るの少し難しいからさ」
「あっ、そういうことか!」
態度を一変させて、満面の笑みを掲げる瀬良。ったく、げんきんな奴だ。
「それな、俺は推薦でここに入ったからだよ!」
「「推薦!?」」
「ああっ! 野球のな!」
あー、なるほどな。これでようやく合点がいった。確かに野球の推薦なら学力試験無いからバカなこいつでも入れるって訳だ。入試の時に見かけなかったのも説明が付く。
中学時代のこいつの蔑称、バカというのは野球バカという意味も含まれていたと俺は思っている。そのぐらいこいつは、野球の才能、そして情熱は人一倍だったのだ。バカな代わりに。そんな、中学ではエースで四番をやって活躍していたバカが推薦されてたとしても何もおかしくないだろう。
しかし、この高校、野球で推薦取るなんて、スポーツにも力入れてたんだな。知らなかった。それとも、創設して間もないし、今年からだろうか。
「なるほど。推薦かー! でも、瀬良君なら他の高校からも誘いあったよね? その中でここを選んだのって、やっぱり……」
「ああっ! さっき言った通り『魔法』使いたいからだな! それと、野球じゃ有名じゃないこの高校を、俺の力で有名にするのも良いかなって思ったからな」
なるほど。根っからの野球バカって訳だ。……でも、楽しそうだな。そういうのも。
「あれっ、でも……。そういえばさ、何で夢美谷いるんだ? 俺、中学の時担任にここ希望してる人聞いた時に、お前のこと言ってなかったんだけど」
「ああっ。私、急遽ここに決めたから」
「そうそう。こいつ、最初神山行くって言ってたのに突然、ここに変更したんだよ」
憧の説明に補足する形で割り込む。
確か、去年の秋ぐらいに急に言い出したんだっけな。
「なっ、それは叡もでしょ!」
「俺はお前と違って、進路活動が本格的になる前だ。お前、もう神山で希望用紙出した後だったじゃねえか」
「だっ、だって……叡がそれまで行くって教えてくれなかったから……」
「えっ、何だって? 俺がどうかしたのか?」
だっての後、声が小さくてよく聞こえなかった。俺がなんとかってのは聞こえた気がしたんだが……。
「だから、叡に聞いてこの学校初めて知ったからって言ったの! 別に叡が行くからとか関係ないから」
「はっ、はあ……」
何を急に興奮しながら言ってんだ、こいつは……。
「ふーん! まあ、つまりは皆色々な事情があるってことなんだな!」
「まあ、そういうことだ」
そこでキンコンカンコンと甲高いチャイムの音が鳴り響く。
「あっ、チャイム! 私達座った方がいいみたいだね」
周りを見ればいつの間にやら、俺達以外の席は埋まっていた。
「そうだな。じゃあ、戻るか」
「じゃあ、また後でね、瀬良君!」
「ああっ、また後でな、夢美谷!」
「じゃあ、また来世でな、瀬良」
「ああっ、また来世で、吉野!」
「……やっぱ、バカだ」
俺と憧は急いで自分の席に座る。
それとほぼ同時、ガラっという乾いた音と共に、ドアが開かれた。
目をやると、一人の女性が立っていた。