第一話 好きすぎて――わたくしは、滅した
「ラミア・エーデルシュタイン!貴様との婚約を、今この場で破棄する!」
王立学院の卒業夜会。シャンデリアの真下で、第二王子エドガー殿下が高らかに宣言した。
音楽が止まる。数百の視線が、わたくしに突き刺さる。
殿下の腕には、ふわふわの桃色の髪をした男爵令嬢ミナ・ローレル様がしがみついていた。彼女の胸元では、聖女の証とされる淡い光がちらちらと瞬いている。
「貴様はいつも無表情で、笑いもしない。婚約者の私にすら心を開かない冷たい女だ。あげく、聖女であるミナに嫉妬して嫌がらせを繰り返したそうだな!」
「エドガー様ぁ、わたし、怖かったですぅ……」
ミナ様が涙目で殿下の胸に顔を埋める。なお、わたくしが彼女にしたことといえば、廊下で落としたハンカチを拾って差し出したくらいである。あのとき彼女は「ひっ」と悲鳴を上げて逃げていった。
わたくしは扇を閉じ、静かに一礼した。
「承知いたしました。婚約破棄、お受けいたします」
「……は?」
殿下がぽかんと口を開けた。泣いて縋るとでも思っていたのだろう。
申し訳ないが、わたくしの心は凪いでいた。いや、正直に言おう。少しだけ、浮かれていた。
なぜなら――殿下に対して、わたくしは十年間、一度たりとも「滅」しなかったのだから。
「ふ、ふん。強がりを。ならばついでに言い渡す。貴様のような女は王国にふさわしくない。国外へ出ていけ!」
ざわ、と会場が揺れた。さすがに公爵家の娘を国外追放とは、第二王子の権限を越えている。けれど殿下は気づかない。ミナ様は殿下の陰で、勝ち誇ったように唇の端を上げていた。
そのときだった。
「――失礼。発言をお許しいただけるだろうか」
よく通る声に、人垣が海が割れるように左右へ退いた。
夜色の髪。氷の湖のような青い瞳。隣国ヴァルトシュタイン帝国の皇太子、セヴェリン・ヴァルトシュタイン殿下が、こちらへ歩いてくる。
あ……
わたくしの心臓が、大きく跳ねた。
あ、あ、あ、待って。待ってくださいまし。本物。本物のセヴェリン殿下が。こちらへ。わたくしの方へ。
五年前、国際親善の茶会で、わたくしは庭の隅で一人、刺繍をしていた。
誰にも話しかけられず、話しかける勇気もなく。
そこへ通りかかった少年が、わたくしの拙い刺繍を見て笑ったのだ。
「綺麗だね。この鳥、今にも飛びそうだ」
それが、セヴェリン殿下だった。
以来五年、わたくしは殿下の肖像画を集め、新聞の切り抜きを集め、帝国の公報を取り寄せ、殿下の誕生日には自室でこっそりケーキを焼いて一人で祝ってきた。いわゆる、推しである。
「エドガー殿下。帝国の者として、ひとつ確認したい。エーデルシュタイン嬢がミナ嬢に嫌がらせをしたという証拠はあるのだろうか」
「ミナがそう言っている!」
「なるほど。当事者の訴えだけで、公爵令嬢を断罪するのか。しかも、国外追放まで言い渡すとは」
「ぐっ……!」
エドガー殿下が言葉に詰まる。セヴェリン殿下はそれ以上追及せず、わたくしへと向き直った。
「それに、あなたは冷たい人などではない。私は知っている」
そう言って、殿下は少しだけ、目を細めて微笑んだ。
――あ、だめ。
胸の奥で、何かが弾けた。
指先が、きらきらと光の粒になってほどけていく。腕が、肩が、ドレスの裾が、まばゆい光になって舞い上がる。
「ラ、ラミア嬢?」
セヴェリン殿下が目を見開く。
ああ、やってしまいました。お父様、お母様、ごめんなさい。
好きすぎて――わたくしは、滅した。
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