第46話 ガチで真面目の本気の恋 【第一章〜高1編〜完】
その日から、新学期を迎えるまでに──
陽向をちゃんと日常へ引きずり戻すと、朔也は固く決意した。
「おい、お前レオの散歩何日サボってんだ?償いとして明日俺と朝からドッグランな。」
「お前、シフト飛ばして店長に迷惑かけたんだから、償いとして今週のシフト人手足りてない日の穴埋めお前がしろ。」
「出掛ける時くらい化粧しろ。」
「飯を食え。」
「風呂入れ。」
外に連れ出す。
身体を動かさせる。
生活リズムを整えさせる。
現実の匂いを、音を、光を、強制的に浴びさせる。
二次元の世界から、徹底的に現実へと引き留めた。
優しくなんかない。
荒っぽくて。
強引で。
不器用だけど。
それでも、手は離さない。
陽向がちゃんと、笑えてる。
それだけで、朔也の胸の奥が少し緩む。
やがて。
少しずつ。
朔也の献身的な支えが功を実り、陽向の元気と笑顔は、戻った。
そして迎えた、新学期────────。
桜は、満開だった。
校門をくぐると、風に煽られた花びらが一斉に舞い上がる。
薄桃色の雨が、制服の肩に静かに積もる。
新しいクラス。
新しい担任。
新しい一年。
昇降口の前は人で溢れ、ざわめきと期待が混ざった空気が渦巻いている。
張り出されたクラス編成票の前に、人の壁ができていた。
綾真は、流行る気持ちで正門を駆け抜けて、クラス編成票の前へ飛び込んだ。
(頼む…頼む…頼む…)
祈るように、目が文字を追う。
理系クラスは、一組、二組。
文系クラスは、三組、四組、五組。
綾真は固唾を飲んで、名前を探す。
二年三組──星野陽向。
その文字を見つけた瞬間、心臓が跳ねる。
(………え…………?)
視線が滑る。
二年四組──鷹井綾真。
……。
………。
……………。
チーーーーーーーーーン。
もう何度目かもわからない、いつもの乾いた鐘の音が頭の中で鳴り響いた。
嘘だろ………。
嘘だと言ってくれ。
文系クラスで。
星野との。
毎日のびのび青春ライフ………。
「なぜだああぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!!」
桜の花びらが、ひらりと頬に触れる。
それすら、今は鬱陶しい。
胸の奥で、何かがガラガラと崩れ落ちた。
「お、綾真、星野と別れたな」
「でも俺と一緒やん!」
「ごめん、俺が星野と同じクラスだわ」
綾真が絶望する横で茶化す友達の声は遠い。
笑い声も、軽口も、何も耳には届かない。
まだ咲いてもいない妄想の花が、音もなく散っていく。
春は残酷だ。
ちゃんと、平等に進んでいく。
足取りもおぼつかない綾真が、友達に引きずられながらクラスへ上がっていった数分後──
今日から高校二年生となった二人。
「あ!咲と同じクラスだーーー!!」
陽向の嬉しそうな声が弾む。
まるで、春の光そのものみたいに。
その声を聞いて、朔也の胸の奥がわずかに緩む。
「えガチ?良かったじゃん」
俺が理系に進んでも。
咲が一年間、陽向の横にいてくれる。
よかった。
それが、朔也の頭に最初に浮かんだ感情だった。
そして、続いて自分の名前を見つける。
「あー…俺、蒼太とクラス離れたわ」
「せっかく蒼太理系にしたのにねー。理系は2クラスだから、可能性2分の1だったのに…」
「文系3クラスあんのに、咲と別れなくてお前助かったな」
「私の日頃の行いが良いからだなっ!」
「どこがだよ!俺の方がよっぽどいいわ」
いつもの掛け合い。
いつもの距離。
いつもの空気。
「文理クラス違うけど、朔也と私、隣のクラスだね!」
嬉しそうに笑う、陽向の太陽みたいな笑顔が眩しくて。
「………っ」
朔也の胸がキュンと高鳴った瞬間。
桜の花びらが、二人の間をひらりと落ちる。
「陽向ー!朔也ー!おはよー!」
正門の方角から、弾けるような声が飛んできた。
聞き慣れた声は、やけに安心する。
「咲!あ、蒼太も一緒だ!おはよー!」
陽向は振り返り、ぱっと笑って明るい声を返した。
「咲!うちら同じクラスだよっ!」
「えっ!!まじ!?嘘!!やばー!!」
咲は駆け寄る勢いのまま、陽向にぎゅっと抱きついた。
笑い声が弾む。
新しいクラスよりも、確かな安心。
その横で、クラス編成票を見上げながら蒼太が呟いた。
「え、俺1組で朔也2組じゃん。まじか。」
朔也は肩をすくめながら、わざとらしく笑う。
「俺を追って理系を選んだのに、詰んでるよな」
「別に追ってねぇよ!」
蒼太は即座に否定する。
言い合いのテンポは変わらない。
「またまたー寂しいくせにー」
「寂しいのはお前だろ」
「うん。寂しい。」
「きも。」
朔也の素直な言葉に、蒼太は照れ隠しのように吐き捨てた。
春は、何もなかった顔をして始まる。
けれど。
あの夜を知っているのは、二人だけ。
抱きしめ合った温もりも。
崩れた涙も。
あの夜の言葉も。
消えないまま、胸の奥に沈んでいる。
満開の桜の下で。
何も変わらないふりをしながら、確実に、少しだけ変わった関係のまま。
高校二年生の春が、静かに幕を開けた。
────────。
始業式の日は午前中で終わり、放課後はあっという間に訪れた。
春の光は柔らかいのに、教室の空気はどこか落ち着かない。
新しい名簿、新しい席、新しい担任。
ざわめきは次第に薄れ、椅子を引く音や笑い声が、ひとつ、またひとつと遠ざかっていく。
“明日の放課後、図書室に来て欲しい”
昨日、俊輔から入ってきたLINEに、既読をつけたまま陽向は返信していない。
「….はぁー……」
クラスメイトが教室から消えていく。
窓の外では、桜の花びらが風に煽られて、くるくると舞っている。
陽向は、席を立てない。
きっと、真面目な先輩の事だから。
あの日の事を酷く後悔している。
反省して。
自分を責めて。
心を痛めて。
理性で自分を叱りつけているはずだ。
(…ごめんって…言いたいんだろうな………)
“つい、うっかり”
“魔が刺して”
“無かったことにして欲しい”
“忘れて欲しい”
頭の中に浮かぶ言葉は、どれも先輩らしくて。
でも同時に、残酷だった。
もしそう言われたら。
私は──笑って頷ける?
「………………。」
陽向は、静かに席を立ち上がる。
教室の扉を出た足は、重たく昇降口へと向かっていた。
一歩。
一歩。
図書室とは、反対の方向へと遠ざかっていく。
それでも、生徒会役員である以上これからも顔を合わせる。
会議もあるし、行事もある。
このまま逃げ続ける事は出来ない。
このままで………いいのかな………。
陽向の足はピタリと止まった。
胸の奥で、何かが軋む。
私は──
無かった事になんて……出来ないよ………。
(…意表をつく子だなぁ……)
初めて聞いた先輩の声は、想像よりもずっと穏やかで、温かかった。
(…あー…堪えようと思ったけど無理だったなぁ〜…女の子に逃げたいなんて言われたの初めてだよ〜)
無邪気に笑った先輩は、意外と子供みたいな笑顔で驚いた。
(……僕と………デートして下さい……)
男の子にデートに誘われた事なんて一度もなくて、戸惑ったけど本当に嬉しかった。
(パスタ、“めっちゃ大好き”なんでしょ?お箸で食べられるなら、半分こしよ)
こんなに優しい世界があるって事を、先輩が教えてくれた。
(僕はこれから何があっても、君が嫌がるような事は絶対しない。)
その言葉を、心から信じたいと思った。
恋する勇気をくれたんだ。
(そうなったら…どこで何してたんだって…君がみんなに責められる…ごめんなんだけど…今日のところは頑張って戻って……)
私を守ろうとする真剣な目に、こんなに自分を想ってくれてる人がいるって実感できたんだ。
(………僕達は……逃げ込んだ場所が、同じだったんだね。)
理由は正反対なのに、同じ傷を持つ人に初めて出会えて、先輩に運命を感じた。
(……それで……また星野さんが……図書室に来られなくなったら……寂しい……し……)
今頃……誰もいない図書室で、一人で私を待ってるの?
今まで先輩が私にくれたもの。
あの時間も。
言葉も。
視線も。
全部………絶対、嘘じゃないから………
私の人生初めての、ガチで真面目の本気の恋。
無かった事になんて、出来ない。
「……………っ」
陽向は、踵を返した。
(逃げちゃだめだ。)
すぐ逃げる自分。
傷つく前に背を向ける自分。
殻に閉じこもる自分。
臆病だった自分。
弱かった自分。
もう私は、変わったんだ。
自信を持てた。
勇気を持てた。
強くなった。
どんな結果になってもいい。
傷ついてもいい。
ちゃんと向き合って、最後までケリをつけて、前に進むんだ。
私はもう──
逃げない!!
陽向は、胸の奥に決意を抱きしめたまま、図書室へと歩き出す。
廊下の先、曲がり角の向こう。
扉の向こうにあるのは、怖さと、真実と、きっと──
生まれ変わる自分。
足音が、静かな校舎にまっすぐ響いた。
────────。
ガラッ
図書室の重い引き戸が、静寂を裂いた。
長机に落ちていた午後の光が、わずかに揺れる。
「………っ!」
いつもの窓際の席。
白い光に縁取られた俊輔が、弾かれたように顔を上げた。
喉が、ひくりと動く。
「…………嘘………………来た…………………。」
掠れた声。
俊輔は、驚いた顔を見せた。
「………そんな…お化けがでたみたいな顔、しないでくださいよ」
陽向は、静かな声で唇だけ笑った。
頬は引きつり、指先は冷たい。
図書室の空気は、春なのにひんやりとしている。
一歩、足を踏み入れるたび、床がやけに大きく軋んだ。
「……LINEの返信が…………なかったから………」
俊輔の声は低く、気まずそうに呟いた。
「…来ないと思いました?」
作り笑い。
完璧な“平常”の仮面。
けれど、胸の奥では心臓が暴れている。
「………もうこの場所で……君に会えないかと……思った。」
消え入りそうな声で、伏せられる視線。
その言葉は、懺悔みたいだった。
苦しそうな顔。
まるで、“後悔してる”みたいな……そんな顔。
俊輔は立ち上がる。
椅子の脚が、静かに床を擦る。
一度、大きく息を吸って──頭を下げた。
「突然驚かせて本当にごめん。星野さんにあんな事して、心から申し訳ないと思ってる。」
ズキン。
胸の奥に、針が刺さる。
謝罪。
やっぱり。
やっぱり先輩は……思った通りだね。
「……藤崎先輩…………」
私は今からきっと傷つく。
でも、逃げない。
それでもちゃんと、勇気を出すんだ。
「……どうして………キスしたんですか……?」
震える声を絞り出した。
「……………。」
俊輔は、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、優等生でも、副会長でもない。
崩れそうな、ただの男子の顔だった。
今にも泣きそうなほどに切なくて。
優しい笑顔が似合うのに。
先輩のそんな顔は、見たくなかった。
「………最初に出会った頃は……不思議な子だなって思ってた。」
ゆっくりと静かに、言葉が落ちる。
「好意は伝えてくれるのに、こっちが近づくと逃げてくし…文化祭の日、好きって言ってくれたかと思ったら、“応援してます”で終わるし……」
俊輔の言葉は、次第に途切れ途切れになっていく。
「君が……何がしたいのか……何を考えてるのか……いつも……わからなくて………」
陽向は、固唾を飲んでじっと聞く。
「でも……そんなところが……たまらなく可愛くて……気づいたら……気になって…仕方なくなって……」
そして、ついに──
「君のことが、好きになった。」
真っ直ぐな視線を、陽向へ届けた。
空気が止まる。
(………………………………え………?)
陽向の思考は、停止した。
「………先輩が………私を………好き………?」
口にした瞬間、陽向の指先が震えた。
「うん…でも…それを君に伝えるつもりはなかったし、態度に出すつもりも…なかった。」
俊輔は、唇を噛む。
「君への想いを、隠し通せるものなら、隠しておきたかった。」
間も、照れも、逃げもない。
「でも無理だった。抑えきれなかった。それで、この前は、つい気持ちが溢れちゃったんだ。」
一拍。
「ちょ、え?ちょっと待ってください…」
陽向は自分が何を言われているのか、理解が追いつかない。
「…私と……先輩が……両想いって……ことですか?」
「うん。まぁ……そういう事だね。」
その言葉に、陽向の心臓が乱れる。
「だって…!!先輩は彼女を作らないって…!!
空気が、震えた。
そして陽向は、覚悟を決めた。
「あ…すみません。私、前に聞いちゃったんです…聞くつもりは無かったんですけど……先輩が、朝比奈副会長に……“僕は誰も好きにならない”って………言ってたから………」
陽向は状況が読み込めずに、混乱する。
「…………………。」
図書室に、静寂が落ちた。
俊輔の表情が、静かに変わる。
なにかを諦めたかのように、切ない表情を浮かべた。
「……海外の大学に……進学するんだ。」
ドクンッ──
陽向の目は、見開いた。
「両親の都合で…そのままずっと海外で暮らすと思う。」
暴れ出す鼓動。
全身から吹き出す汗。
競り上がる焦燥。
「だから、君には……この気持ちを気づかれたく…なかった。」
嘘。
嘘だよ。
絶対、嘘。
「…そんな…じゃあ……1年後には……先輩はもう…」
無理。
お願い。
嫌だ嫌だ嫌だ。
それだけは、嫌。
「……そう………もう……二度と……会えなくなる…」
俊輔は、泣きそうに笑った。
「…期間限定の彼女なんて…誰もがなりたくないでしょ?最初から…別れが決まってる関係なんて」
せっかく初めて人を好きになれたのに。
恋人になれなくても。
大人になっても、この先の未来も。
先輩の優しい笑顔が見られるだけで──
生きていけると………思ってた。
世界が遠くなる。
息が、浅くなる。
陽向の瞳からは、勢いよく涙が溢れた。
心臓が、一気に跳ね上がる。
「それでも先輩の彼女になりたいですっっっ!!!!!」
彼女になりたいなんて思ってなかった。
見てるだけでいいと思ってた。
笑い合えればそれで良かった。
先輩の事を……好きでいられるだけで幸せだったから。
俊輔の胸は、ぎゅうぅぅ…っと締め付けられた。
「…僕はヤキモチ妬きだし…寂しがりやだし……独占欲も強いから…….遠距離は出来ないよ…?」
胸が張り裂ける。
息も出来ないほどの、心臓の痛みに襲われる。
「………海外へ行ったら……その関係は続けられないよ?」
陽向は俊輔に駆け寄り、腹部の裾を縋るように両手で握り締めた。
「会えなくなるなら……っせめて1年間だけでも、先輩の隣で、1秒でも一緒に時間を過ごしたいです!!」
止めどなく流れる涙。
「ここから先の1年間を、毎日先輩でいっぱいにしたいです!!」
陽向は縋りつくように、叫んだ。
「…先輩の今を…っ全部私にくださいっっっ!!!」
俊輔の胸が、限界まで締め付けられる。
理性の堰が崩壊する。
そして──
もう堪えきれず、陽向をぎゅっと抱きしめた。
「……わかった………約束しよう…………」
強く。
離したくないように。
声が震える。
「……1年後に……必ず別れるって…………」
それは、呪いみたいな約束だった。
この選択が、1年後の自分を更に苦しめる事をわかってる。
彼女を更に傷つける事もわかってる。
それでも、陽向を更にきつく抱きしめた。
「1年間………僕の彼女に……なって下さい…」
陽向は、泣きながら頷いた。
腕の中の温もりが、確かで。
抱きしめられる先輩の温もりに、大好きな先輩の香りに、縋りつくようにぎゅっと抱きしめ返した。
窓の外では、満開の桜が風に揺れている。
咲いてしまったものは、もう止められない。
最後の花びらが舞い散るのときまで、その短い生涯を必死に綺麗に咲き誇るように。
こうして陽向は満開の桜と共に──
人生初彼氏との、一年間限定の恋人関係はスタートした。
第一章〜高1編〜・完
※第二章〜高2編〜は毎日連載公開中!
セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜
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