人工天使、起動
北方大教会枢機卿、エルフォリア・ベネディクトが九十六年の人生を閉じた。
人生の終盤、ナセルバという巨大迷宮が管轄内で見つかるという強運。
有り余る財力を武器に挑んだ教皇争奪戦。
だが、希代の天才ショット・ワイズリートが、北の巨人の野望を打ち砕き新教皇となった。
三十年以上もの間、枢機卿として君臨したベネディクトの失敗。
それは自分の欲のみを追求するあまり、後継者を残さなかったことだ。
今、北方大教会では、新枢機卿の椅子で争いが起きようとしている。
次席繰上りであれば、現在、大司教の地位にあるロザリー・イグシエンヌが、新たな枢機卿となる。
だが、ロザリーはまだ二十四歳、しかも女性。
ドラゴンスレイヤー、そして迷宮踏破者という戦歴があっても、周囲は首を縦に振り辛い。
ロザリーに対抗するのは司教の位階にある一人の男、名はスラッシュ・ロデム。
反ロザリー派の者達は、ロデムを枢機卿候補として担ぎ出し、四割近い聖職者がロデム擁立に賛同した。
それはロザリー派に肉薄する数字。
一割程の閑職者は態度保留のまま、現在に至る。
教皇選抜の規定はあっても、枢機卿選抜の規定はない。
このままでは、北方大教会は分裂の危機にある。
「ベネディクトには借りがある」
「我が北方辺境は、ロザリー・イグシエンヌに助力しよう」
「ロザリーは、ザグレブホーン迷宮の踏破者でもあるのだからね」
キュリアス・カッサーニ北方辺境枢機卿。
その一声は大きく、新たな枢機卿はロザリーに傾いた。
「このままでは北方の権威が地に落ちる」
そう嘆いたロデム支持者たちは、ベネディクトの遺産たる禁忌の匣に手を伸ばす。
主を失った枢機卿管理区画の一室。
ロデムを先頭に、二十名程の聖職者の集団が踏み入る。
消毒と金属、そして血の匂いの漂う真っ白な施設の中にある幾つもの作業台。
そこに横たわっているのは、ヒト型の機械。
或いは機械で作られたヒト型。
あの『受難の聖女』を思わせる鋼鉄製の四肢。
まるで複製体のように酷似している女性の頭部。
『人工天使』
教皇争奪戦に向けた最終兵器でありながら、間に合わず、頓挫したはずの計画。
それが水面下で進行していたのだ。
だが、ベネディクトが死去したことにより、開発関係者の手を離れた。
「ふっ、まさか、こんな人形に命運を掛けることになるとはね」
ロデムが、並べられた人工天使の一体、その前髪を掻き分け、額を撫でる。
それは偶然か、必然か、唇を動かすこともなく、人工天使が起動する。
「御標番号をお聞かせ下さい」
「マスター登録を開始します・・・」
「御標番号をお聞かせ下さい」
「マスター登録を開始します・・・」
「御標番号をお聞かせ下さい」
「マスター登録を開始します・・・」
抑揚のない澄んだ声は、まるで命令のようにロデムには聞こえた。
「二・八・九・八・七・六・八・八」
己の銀枠純金十字に刻印された番号をロデムは一文字づつ発音する。
きゅるる、という奇妙な音がした直後、
「階級司教、所属北方大教会、スラッシュ・ロデム、様」
「マスターとして、当機、個体名称プリシラを起動しますか?」
機械に問われているという非常識にロデムは恐怖する。
だが、その澄んだ声は既にロデムの心を掴んで離さない。
「起動しろ」
震える声で承認する以外、選択肢はない。
何かを予測する、想像するという思考はロデムの頭にはなかった。
人工天使の起動が何を意味するかなど、どうでもよく、ただ興味だけに取り憑かれていた。
「起動承認」
「初期設定は非戦闘モード、スロットに接続されたモジュールはありません」
「精霊密度の判定が終了しました」
「プリシラは、大気中の氷結精霊を動力源に設定しました」
「オペレーションは、取扱説明書を参照の上、コマンドを入力してください」
「・・・スタンバイ」
聞き慣れない言葉の連続に戸惑うロデム。
マニュアル?
「皆、この機械の取り扱い説明書を探せ」
「こいつは、動く!」
「だが、未完成かもしれん」
「ここにある機材全てを二十二番教会へ運んでくれ」
プリシラを運ぼうとして修道士が手を伸ばした瞬間、事件は起きた。
「えっ?」
自分の身体が宙に舞うなど、予測不能。
プリシラが、修道士の伸ばした手を掴み投げ飛ばしたのだ。
その様を見て、他の司祭、修道士たちも臨戦態勢に入る。
「待て、壊すな」
「先に取説を探せ」
「恐らくは自衛機構が働いているのだ」
ロデムに同行していたもう一人の司教、デニーロが戦闘を止める。
「マニュアル、ありました」
この日、人工天使という禁忌の匣が開けられた。




