番外編 毬つき
「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
無邪気に毬をつく少女がいる。年のころは十を少し過ぎたばかりだろうか。
ひとついしだん(石段)あがりゃ
ひとつまりつけ
ふたつあがりゃ
ふたつつけ
おてんとさま(お天道様)は
それみてわらへ(笑え)
みっつあがりゃ
みっつつけ
よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ
とう
とうあがりゃ
とうまりつけ
とうあがりゃ
そこはおじょうど(お浄土)
それ
おてんとさまが
わろうとる
おてんとさまも
つけや つけや
まりつけや
毬がはねるのに合わせてその小さくもやわらかな唇からうたごえが無邪気に流れ出て。それに合わせるように、無邪気な笑顔だった。
だがその瞳をよく見れば、いくらかでも涙にぬれているようにも見えた。
この少女の名はお雪という。
わずかここのつで大高家に嫁いで、共は乳母ひとり。
その乳母は風邪におかされて自室でふとんにくるまらざるをえなかった。お雪は乳母のお藤が心配でそばにいたかったが。
「お風邪をうつされてはいけません」
と、遠ざけられて。仕方がないのでひとり毬をついて気を紛らわせるしかなかった。
「よっつ、いつつ、むっつ……」
ひととおりうたって、毬をつく回数を数えていたが。毬をつく小さな手は徐々に動きを鈍らせて。毬もはねなくなってゆき。
ついには手が止まって、毬は床にころがるばかり。
その毬を拾い、胸に抱きしめると。
ぽろり、ぽろりと涙があふれ出てくる。どうにも止められなかった。
勝手知らぬ異郷の地に、自分ひとり放り出されたような寂寥を禁じ得なかった。
父はお雪に接することはほとんどなく、同じ城にいながらいつも遠くに離れていた。母は生まれて間もなく亡くなり。お雪は親の愛というものを知らぬ。
それを乳母のお藤がかろうじてささえていた。しかし今はそのお藤とも会えぬ。
ひとりぼっちの寂しさが、お雪の小さき身に容赦なく押し寄せる。
涙の粒が毬にあたってはじけた。次から次へと、涙は毬に当たってははじけてゆく。
それを、ひとりの少年が見つめていた。年のころはお雪とおなじくらい、十を少し過ぎたばかり。この少年こそ、お雪が嫁いだ夫、大高輝虎であった。
輝虎は少年らしい無邪気さで城外に出て木の枝を太刀がわりに郷のこどもたちとちゃんばら遊びに明け暮れていて、思う存分遊び心を満たして帰ってみれば。
お雪は毬を抱きしめて泣いているではないか。
「どうしたんだろう」
お雪の様子に不思議なものをおぼえて、そばまでゆき、肩に触れる。
「どうしたのだ。なぜ泣いている」
「輝虎さま……」
お雪はぬれた瞳で輝虎を見つめた。そのぬれた瞳に輝虎がうつし出される。
年端もゆかぬ幼い夫婦であった。
婚礼の儀のおり、人はこの幼い夫婦を「夫婦雛」と言って囃し立てた。
ともあれ、輝虎は妻のお雪が泣いている理由がわからぬ。ただ、
(かわいそうだ)
と思った。
胸が締め付けられるのを禁じ得なかった。
「輝虎さま」
「なんだ」
「一緒に、毬をついてくれませぬか」
お雪は毬を輝虎の前に差し出した。
「毬を……」
輝虎は小さな手につつまれる毬とお雪を交互に見つめた。お雪の頬には、涙のあと。
(そうか、おれと遊びたかったのか)
輝虎は無邪気に城外に遊びに出かけたが、もしかして、お雪も一緒に遊びたかったのかもしれない。それなのに、仲間外れにされてしまって、それが悲しくて泣いていたのか、と思った。
「よし、毬をつこう」
輝虎はお雪から毬を受け取ると、毬をつき始める。が、しくじって毬はあらぬ方向へと転がってしまった。
「おっとっと」
あわてて毬をとりにゆき、
「えへへ」
照れ笑いでごまかせば、
「うふふ」
と、お雪もつられて笑った。
「うーむ。調子がわるいな。そうだ、お雪、そなたがまず毬をつかないか」
「はい」
目にはまだ涙が残って瞳をぬらしていたが、お雪は笑顔になっていた。いつの間にか、寂寥はどこかへといっていた。
毬はお雪の手によって軽やかにはねる。
泣き止んで毬をつくお雪の姿を見て、
(よかった)
と、ほっとすると。
「どきり」
と、何かが胸の中で動いた。
(なんだろう、これは?)
わからない。
なぜかお雪の笑顔を見ていたら、そうなってしまった。
その不思議な感覚。なぜか心地よかった。
そして、
(ずっとこうしていたいな)
その気持ちが胸の奥からにじみ出る。
輝虎がそんな気持ちになったことなど知らず、お雪は軽やかに毬をつきながら手毬歌をうたう。
ひとついしだん(石段)あがりゃ
ひとつまりつけ
ふたつあがりゃ
ふたつつけ
おてんとさま(お天道様)は
それみてわらへ(笑え)
みっつあがりゃ
みっつつけ
よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ
とう
とうあがりゃ
とうまりつけ
とうあがりゃ
そこはおじょうど(お浄土)
それ
おてんとさまが
わろうとる
おてんとさまも
つけや つけや
まりつけや