中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 貴族 その二~
春秋時代においての主役は、どちらかといえば貴族であろう。前にも書いたが、この時代王と君主の力が衰え、国の実権は貴族が握るようになった。戦国時代になると、「法家」が国の中枢を占めるようにはり、貴族を罰する法も出来てくるが、春秋時代はまだ法家が生まれていないか発展していなかったのも、貴族の隆盛に一役買っていただろう。まあ、この場合は逆説的に、君主が貴族の専横をどう押さえるかを考えた末に、法家主義をとったともいえるが…。
貴族は自分を罰する法がないため、失態をおかした際は自分で処置をしなけれぱならない。一応、君主から沙汰を受ける形にはなるのだが、その沙汰は予め貴族当人と、執政クラスの貴族の間で決まっている事が多い。余程カリスマ性のある、それこそ覇者になるような君主ならば、君主自身の判断で沙汰をしても貴族は納得したであろうが。
貴族には様々な仕来たりがある。礼もその一つであり、特に現代にもつながる「冠婚葬祭」は重視された。その一つ、結婚の際には付添人たる「媒人」が大切であった。これは現代の「仲人」に通ずるものであろう。しかし、仲人と決定的に違い、媒人にはなすべき事がある。それは結婚の儀を済ませた夫婦が初夜を迎える際に、閨に一緒にはいり男女が本当に結ばれるかを確かめる事である。どちらかといえば老人が選ばれ、淫靡な目的ではもちろんない。これは、夫婦の契りが実際に結ばれたかを確認することで、貴族の家同士がきちんと結ばれたかと、子孫を作る意思を確認するためだ。偽装の結婚では、いざ何かあったときの担保にならないし、子孫を絶やすことは家を滅ぼす事になるのであるから、この時代最も思い罪であった。現在ではとても考えられない風習だが、中国ではこれから暫く庶民にまでこの風習は続いていく。




