中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 諸氏百家 儒家と兵家~
儒学は、孔子自身不遇に終わったように、春秋時代には日の目を見なかった。というより、春秋戦国時代を通して、学徒は多けれど後の世ほど目立った学問ではなかった。孟子や荀子といった碩学家は出てきたが、彼らは儒家の考えをベースにしていたが、その本質は個人の哲学家に近い。その他の学派、墨子や農家等に比べれば目立っていたが、儒学が今のように表舞台にでてくるのは、漢時代以降である。
それに対して、兵家は春秋から戦国が一番華やかかりし時代であったであろう。何と言っても、戦争が実際に行われていたのだから、論旨と実践を証明できる貴重な学問である。春秋時代はまだ戦争に神の領域があり、戦う場所や時間、軍の規模などは人間の思うままには出来なかったが、兵家の軍律や兵科、戦場での兵の進退等は、諸侯も取り入れやすい要素であった。
しかし、兵家は決して戦争を賛美したものではない。孫子の兵法の有名な一説に「兵は跪道なり」とあるように、戦争は最後の手段とするように書かれた物が多い。戦争はどんなに準備を周到にしても、「百戦百勝」とはいかないものなのである。
また、この頃の兵科は、歩兵、戦車、弓か弩ぐらいである。騎馬もまだなく、武器も槍状の物なのだから、戦いが始まったら中々奇襲をしかけにくい時代であった。よって戦争前の準備や戦場での心理戦を中心に書くことになる。その事が戦場のみならず、時代をこえて様々な場面で使われるようになるのである。書を著す者は、自分の思想や考えを永く伝えたいものではあると思う。しかし、兵家の人たちも、自分の著が2000年を越えて異国の人々に愛されるとは思わなかったことであろう。




