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中国古代の王朝~「周王朝」 「春秋と戦国 その違い 戦争」~
申し訳ありません。今日は短いです。
前周とは違い、後周はあまり「後周」と言われず、東周といわれる。理由は前話の通り、一諸侯とされているからではないかと思う。実際史書にも、周の軍が加わった「連合軍」扱いであり、周王朝が「率いた」とは書かれなくなってくるのである。
さて、後周はおおよそ「春秋」と「戦国」に別れると書いたが、両者の違いはなんだろうか。色々と違いがあるなかで、ひとつ違うのは戦争の形であろう。春秋時代はまだ諸侯が多く、諸侯一人が数千人から数万人を動員はできるが、生産能力がそこまで高くないので遠征は難しく、時期も農閑期に行われていた。また春秋時代くらいまでは、戦の趨勢を神に占いで伺っていた。余りにひどい占いが出たときは戦をやめる場合もあり、戦の時期や軍隊の規模、戦に至るまでの禊まで占いに従う事もあった。周王朝は神の軛は逃れたが、神自体を否定してはいない。文王が八卦を好んだように、占いの効用は認めていた部族なのであろう。春秋時代の戦はまだ牧歌的な雰囲気を残したものであったのだ。




