中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その四「槍」
周王朝時代の戦闘の主力が馬を使った物であるなら、人側はそれに対する武器が必要となる。馬を使った最大の攻撃は、その突進力による突撃である。対する人間、特に歩兵はその突撃をかわしながら、攻撃を考える必要がある。
石器時代より、狩りの道具として斧や槍、小刀は作られたが、当然石製である。それから人類が金属を得ると殺傷力が格段に増した。更に対人用の武器が必要となると、より武器は複雑化していく。
まず使われたのは槍のような刺突武器(以降槍)であったろう。斧は片刃のうえ遠心力で攻撃を仕掛けなければならず、技量が必要になる。その点槍は突き、払い、薙ぎと使い勝手がよく、長い柄があるため反撃が届きにくい。しかし、動物相手であれば通じた攻撃も、人間相手となると変わってくる。槍の柄を切断する、柄と穂の部分を狙う、槍の間合いに入り込み無力化する、鎧を着るなど、当然作戦をこうじてくる。こうなるとそういった事に対応するため、槍も進化することとなる。柄はより丈夫に、穂と柄のつなぎは紐からソケット、嵌め込み式へと様々な機能を改良していったであろう。
槍はまず矛から始まったとされる。これはまだ冶金技術が足りず、槍のように硬い金属を尖らす事が出来なかったのではないか。柔らかい金属では貫通力が弱い以上、叩いて鍛える刃物の方が費用面でも、メンテナンス性でも都合がよかったであろう。そして、実戦でも薙ぎや払いを使えて敵を倒しやすかったはずだ。矛は長い間、主力の武器として活躍する。「矛を収める」や「矛盾」等の言葉に使われているという事は、それだけ人々に馴染んでいた証左であろう。




