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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その三「乗馬の道具」

 古代中国の馬は今のような体高の高い馬は少く、日本の在来馬に近い種であったろう。体高の高い馬は主にアラブ馬というから、中近東から輸入された種も希にいたと思われる。その馬たちが、1日千里を走る名馬と呼ばれた可能性が高い。

 馬に乗ることを考えるとき、背中に乗るだけというのは結構な難易度だと思う。当然馬の背中は湾曲しているし、馬の毛は滑りやすか

 

ったはずだ。しかも、馬は何かを載せるために生まれてきてないのだし、気位も高い生き物なので最初は嫌がった事だろう。蹴られて怪我した者も必ずいたはずだ。今でもサラブレッドではあるが、人を乗せるまでには大変な苦労が存在する。最初に乗ろうとした人々はそんなマニュアルのないなか、それでも馬に乗りたがった。そこには、男の子がなにも言わずとも乗り物を好きになったり、巨大ロボに憧れた事と同じようなメンタリティなのかもしれない。

 あそらく馬の方は何世代かかけて、少しずつ乗馬に適するように改良していったのだろう。乗る側の人間も落馬しないように、鍛練したり、馬の背中に布をのせて滑らないように工夫もしたはずだ。初めは乗って歩くだけであったろうが、この時に手綱が無ければ首にしがみつく事になる。こうして手綱ができたのではないか。そして少しずつスピードを出すようになると、馬の背中を足で押さえるスタイルではスピードも距離もでないはずだ。それを不便に思った時、鞍の発想がでたのであろう。「必要は発明の母」という通り、実践の中で色々な道具が開発されたのだと思う。

しかし、鞍の発明は古代中国では中々出来なかったようだ。これは、馬に乗る人々が比較的文化的に低い土地の人々だったからだと思われる。おそらく皮革や冶金の技術が足りず、馬に合わせた形状の鞍が作れなかったのではないか。また、匈奴とよばれる人々ののっていた馬は、欧州や中近東の馬と違い大きくなかっただろうから、鞍がなくとも慣れで乗れていた可能性はある。所謂中原の人々が重要だと思えば、簡単に出来たのであろうが、前述したように野蛮と思われていた行為に積極性を見せるはずもない。

 武霊王が「胡服騎射」を行って以降、乗馬の風習を卑しみつつも、古代中国の人々はうけいれていった。楚漢攻防の際、漢の将軍の率いる騎馬隊は5000に達したという。鞍の機能も大きく発展したに違いない。なお、鐙は更に三國時代を経た「晋」時代にならないと発明されない。鐙がない状態で「馬上矛を奮う」ができたのならば、古代中国の人々には超人がいたという事だろう。


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