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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」と「天子」~

中国の支配者を長らく「天子」とよぶ習慣があった。おそらく最後の王朝「清」までは使っていたと思われる。この呼び名は周王朝から始まったと伝わっており、周公旦が書いたとされる書に「天帝の子が命ぜられて天下を治める。徳を失えば王位は遷る」という説が書かれており、この説が元だといわれている。

商王朝では「天子」とは呼ばれなかった。商王朝の王は天界と人界を往き来できる存在とされており、夏王朝の「帝」を打倒した関係もあって、おそらく天帝とは同格と思っていた可能性が高い。また、商王朝は神やそれと同格の存在が霊廟の中に非常に多いのも特徴であった。これは、討伐した異民族の神を奪ったためとの説がある。

この時代の戦争は、人と人だけで争うのではなかった。占いで戦の行方を問うたりすることもあるなど、神やそれと同格の存在は戦と不可分だった。そういう意味では、周と商王朝では神の数も格も違いすぎる。時代と人々が信じている以上、この壁を越えなければ商王朝の打倒はできない。「そうであるならば、次元の違う存在を創り出せば対抗することができる。」周公旦はそのように考えたのではないか。前にも書いたが周公旦は、シャーマンの素質を持っていた可能性が高い。そちらの鋭敏な感覚がこのような考えを齎したのでないだろうか。

事実、商王朝の呪いも神への祈りも通じず、周は商王朝を打倒する事に成功する。周王朝では、商王朝と違い「神や天帝」と「人」がほぼ分離する政治体制となった。「神や天帝」は「天」と呼ばれるようになり、新しく「人」が支配する体制が確立された。だが同時に「天」の「声」は絶対になり、この後の支配者たちはこの対処に苦慮することとなる。



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