中国古代の王朝~「夏」と「農業」~
帝時代から夏王朝の初代禹まで、黄河をいかに御したかの記述が多い。逆に禹の父親のように失敗したことも記されている。それだけ古代中国の人々にとって黄河とは重要だったのだろう。
元来古代中国は、植生も豊かで獣の類いも沢山いたはずなのに、なぜ古代中国の人々は犠牲を承知の上で、其れほどまにで黄河を御そうとしていたのか?それは定住地と農業のために、水と土地を手に入れるためであったにちがいない。
農業が軌道にのり安定した収穫が得られるようになれば、その土地を代々受け継ぐこととなる。世襲のはじまりである。また、物生りのよい土地は争奪戦となり、争い事も起きたことだろう。争い事には武器も必要になるし、殲滅戦をしない限りは調整者が必要になる。調整者にはそれなりに力と徳のあるものが選ばれるはずである。また生産が多くなれば、食料を得ること以外の余裕ができるようになる。諸侯と呼ばれる各部族が力を増した理由は、農業等の充実による食料の余裕があったのではないかと思う。
禹のとった政策をみると、倹約と食料の増産計画、そして武器の取り締まり、州の制定である。倹約はどの創始者もおこなう施策であるが(国庫に金がない場合も多い)、増産計画も武器の取り締まりも諸侯と協力しなければなし得ない政策だ。また、州を分けるということは、直轄地ではなく州毎の責任者をおくようになるはずで、このように諸侯を中心におこなう政治は今までの帝時代には書かれていない。
禹が行った「夏」の政治は、神のようなカリスマが行う「祭」から、人間が行う「政」になった証左なのかもしれない。




