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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~古代史の歴史書~
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古代史の歴史書~数千年のちから~

中国の歴史書の流れをみてみると、古来より「編年体」が通常のフォーマットであり、「春秋」や「竹書紀年」がそれにあたる。その後、司馬遷が「史記」を著したことにより「紀伝体」の書式が一気に隆盛を誇る事となる。これは「紀伝体」という書式に、著者の想いを乗せることができることが広まった理由ではなかろうか。そして「資治通鑑」によって「編年体」が見直され、近代に至っている。その間、1000年という人類にとって気が遠くなる年月が流れるのが、中国という国の大らかさであろう。

「編年体」も「紀伝体」も、どちらにも優劣はない。著す思想によって使い分けられるべきであるが、ただ「紀伝体」の方が人々の記憶には残りやすいと思われる。なぜなら、人は歴史や年号をみるより、「人生」の方がわかりやすいからだ。

私は「資治通鑑」の文字をみたとき、司馬遼太郎氏著の「龍馬がゆく」の一文を思い出した。

『龍馬は教科書的な勉強が大の苦手だった。漢文の読みも自己流の出鱈目な物だったので、塾生たちはからかうために龍馬に「資治通鑑」の一文を読んでもらう事とした。一度は断った龍馬だったが、皆に促され読むことになった。今だったらいじめ案件である。果たして龍馬が読んだ漢文は出鱈目もいいところであった。聞いた皆は爆笑したという。それを聞いた塾生たちは、これだけ出鱈目な漢文なら訳もさぞ楽しかろうと「龍馬、読んだ所を訳してみろ」と促した。読んだ一文を訳し始めた龍馬であったが、その訳はほぼ正確なものであったという。その訳の正確さに、今度は不気味さを覚えた塾生たちは龍馬になぜ読めないのに訳せるのか?と聞くと、龍馬答えて曰く「読んでるうちに、頭の中に絵が浮かんでくるんじゃ。それを語ってるだけにすぎん」と宣った。』

これを読んだ当時は気づかなかったが、今ならわかる。やはり龍馬は天才だ、と。文字の羅列だけで「イメージ」がわくとは、なんと凄いことか。しかし、ここは龍馬の紹介ではなく「イメージ」の大切さを述べるために紹介したのである。そう、小説家になろうでもお馴染み「魔法はイメージ」である。どんな小難しい講釈や詠唱より「イメージ」が大事なように、漢文の読み方にこだわったり、年号に血道をあげるより、誰が何をなしたか、戦争でなにが起きたかを「イメージ」する方が理解が深まり、歴史が楽しくなるのは自明の理だろう。

「紀伝体」の史書が人口に膾炙するのは、人の生きた様に共感を覚えたり、イベントを理解しやすいからだと思う。「竹書紀年」は「編年体」ゆえに人々に普及せずに散逸を繰り返したのではないか。「春秋」は儒教の教典というだけでなく、「左氏伝」や「公羊伝」の解説があって皆が読めるようになり広まったのではないか。「資治通鑑」は「編年体」でありながら、司馬光が「政治にも役立つよう」に編纂した事により、読みやすくなったからだろう。

数千年のときを経て残るものとは、専門家だけでなく大衆の支持がなければ、生き残れないと思う。今読まれているものが、2000年後の未来にどれだけ残るかを考えるとわかりやすいだろう。史書が、私たちにも何かを感じさせてくれる事は、数千年のちからがなせる技に違いない。



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