春秋左氏伝~「春秋」と「孔子」~
「春秋」の成立に、孔子が関わっている可能性があることは以前にも書いた。ちなみに「孔子」の「子」は敬称であり、「先生」とか「師匠」とか尊敬を籠めた言葉なので、「孔子」先生は「孔子先生先生」とセンスがない言葉になることから、ここでは「孔子」と書くこととする。
ご存じの方もいると思うが、孔子は魯の国の生まれで、諱は「丘」字は「仲尼」という。ただ先程の「周公旦」とおなじく、「孔子」という言葉それ自体が広まっていて単語のようになっているため、諱等はあまり伝わってはいない。前話にも書いたが、この人は魯の国に生まれるべくして生まれたわけで、当然の如く周公旦を崇拝していた。夢に出てくるのが当たり前だったそうである。儒学は本来特別な学問ではない。「礼」と「仁」という二本柱があり、魯に伝わる周の礼法と、解釈や孔子との弟子との問答(論語)により、細かい思想となっていくのだ。孔子と儒学は、その当時受け入れられず不遇を囲う。そのためか、孔子は批判精神に富むこととなる。
春秋に孔子が関わっているとの事が、春秋の解釈に影響を与えた。後に春秋に註釈をいれる際に、儒学的な解釈を考えるようになったのである。いわゆる「行間を読む」というやつである。「この言い回しはこういう意味があったに違いない」とか、「この文字はこういう解釈になる」等の議論がしばしば起こったらしい。
しかし、中国の国教というべき儒教のおかげで、春秋左氏伝が現代まで伝わったのだとしたら、孔子の関わりは我々現代人にとってありがたいものである。




