史記~籠められた想い「天道是か否か」~
史記の「本紀」と「世家」は、大体王朝や国の興った順に整理されているが、「列傳」に関しては司馬遷の好みにより順番が整理されている。この順番が趣深い。8巻までの人物たちについて、有名な人物を採用はしているが、ほとんどが非業の死を遂げるか、罪を着せられた人物たちを選んでいるのである。ここにも史記に籠めた思いが感じられる。
「列傳」の最初の人物は「伯夷」と「叔斉」である。この二人はそれなりの歴史好きか、封神演技(小説版)が好きな人しか分からない人物であろう。君主の子でありながら二人揃ってその地位を放棄し、高名な周の文王に仕えようとしたところ、文王が亡くなった事を知る。そして、商から周への易姓革命のとき、武王姫発に対して「父の死も悼まず、戦をするとはなんという不孝者ですか。また、主たる王を討つは仁と言えますか!」と諌めた事で歴史に名を残し、儒教の聖人になった二人である。しかし、考や仁といった考えは儒学の根本であるから、この台詞そのものを言ったかどうかは怪しい。後に儒学の徒が被せた物としてもおかしくはない。ただし、この二人がとった行動は他の史書にもある事から、似たような台詞は発せられたのだろう。
その後周が革命を為し遂げたため、二人は「周の粟は食せぬ」と言って山に引きこもる。そしてある詩を残して餓死するのである。孔子はこの二人に武王に対する恨みはない、と書いているが、司馬遷はその詩に絡めて「恨みがあったのではないか」と史記にのこしている。司馬遷は孔子の見解にすら疑問を呈するほど、正しい行いをしたと思っている人が報われない想いを、共感していたのではないだろうか。




