史記~史書の限界~
史記が優れた物であるのは疑いないところであるが、齟齬がないわけではない。まずは、長い年月による亡逸の問題である。指摘されているだけで、項目が殖えていたり、司馬遷と思われない記述だったりする部分があるのは確かだ。しかし、史記が著述されて2000年以上たち、これだけの年数がたてばオリジナルは間違いなく無くなっている。この書を後世に遺すために、活版印刷が発明されるまで、多くの人たちが写本をしたことだろう。途中に誤字や脱字がないように気を使っただろうし、130巻、50万字以上の写本はかなりの労力だったはずた。また、中国大陸は二世紀後半、所謂三國志の時代から隋が統一するまで、乱世が続く。この間に失われた物もあろうが、それでもオリジナルの大半が残った事を考えると、歴史を守ろうとした昔の方たちの努力に頭が下がる思いである。私としては読めることに感謝したい。
次に年表の齟齬である。この問題は史記が世に顕された頃からある話である。これについてはまず第一に、チェック機能がなかったからであろう。史記は司馬遷1人の著述で、内容が時の政権にとって都合が悪いだろう事から、誰にもチェックを頼めない代物であったろう。その当時「君の書いているものは史記ではなく、私記ではないか」と突っ込まれた、との説もあるくらいである。
第二に、司馬遷は史家であるとともに、現地取材を積極的に試みるジャーナリストでもあった事があげられる。司馬遷にとって、現場での説話、寓話、噂話等は、多少の齟齬はあっても無視できないものであったに違いない。
第三に、司馬遷は焦っていたのではないだろうか。当時からすれば晩年に向かう年齢に、数年の獄中生活を強いられた。体に無理が効く年齢でもないなか、それでも自分に鞭うって誰にも後を継げない大プロジェクトを完成させねばならないのだ。「明らかな間違いや嘘でない限り、とにかく書けるだけ書いてしまおう」との心境に至っても仕方ないと思う。
司馬遷は確証がない部分には、断りをいれている。これが司馬遷にとって、最大限の努力だったのだろう。自分か、他の信頼できる人物かが検証出来ないことに、忸怩たる思いであったに違いない。それでも、出来る限りの史実を伝える事を使命として、史記の執筆を続けていたのではないだろうか。




