史記~司馬遷・「九牛の一毛」~
刑を受けた後の司馬遷は、史記だけのために生きていた。もう晩年という年齢になりながら、史記に自分の人生を注ぎ込んでいく。
数年の投獄の後、司馬遷は大赦により釈放された。投獄中の司馬遷の様子は詳述されてはないが、史記の構想を練っていた事はまちがいないだろう。恥辱に耐えながら、史記を書ける日を心待にしていたに違いない。
釈放されてから、史記の執筆活動に没頭したいところであったが、中書令という役職につくよう令が下る。これは皇帝に文書を奏上したり詔の取次をする等皇帝に近い事から、権力を振るったり賄賂などを要求するには格好のポジションである。しかし司馬遷は、宦官が行う仕事を割り振られ屈辱を感じていた。また、自分を貶めた武帝の側に仕える事に複雑な感情があったのではないか。青年時代とは違い、心休まることない日々であったにちがいない。
武帝は何を考え、この地位につけたのか?司馬遷の才を惜しむなら、もっと早く釈放できた筈である。また、温情ならば宦官を恥じている司馬遷にこの地位を与えたりはしないだろう。思うにこの人事は、自分に逆らった者に対する武帝の嫌がらせではないだろうか。前にも書いたが、治世後半の武帝は愚昧になっていく。司馬遷に対する扱い一つでもそれが分かるように思える。
武帝は巡幸にも司馬遷を同行させている。司馬遷は史記のためと割りきって同行した事だろう。
巡幸のさい、友が司馬遷へ向けて「有能な才能を推挙して欲しい」との手紙を預けてきた。その手紙への返信が司馬遷の偽らざる心境をあらわしている。司馬遷いわく
「自分は死を恐れない。あの事件のあと死ぬのは簡単だったが、自分の死など九頭の牛の一本の毛にもならない。死ぬのは簡単だが、死ぬことよりも史記が完成しないことを恥としたのだ。史記が完成すれば、この身が八つ裂きにされても悔いはない」
正に司馬遷は、史記だけのために生き続けたのだ。史記は130巻、50万を越える文字にて完成する。司馬遷は自分の死後50年後に史記を発表するように言い遺したという。




