史記~司馬遷・究極の選択~
究極の三択を突きつけられた司馬遷は、どれを選択するかで襖脳する。やがて出した結論について、司馬遷はどのように悩み決断したのか。それはこれから著述される史記に色濃く反映される事となる。
武帝からの通達を聞いて、司馬遷はあまりの理不尽さに「ちょっと待ってくれ!」と叫びたくなったのではなかろうか。ただ言葉で庇っただけで死罪とは、到底納得できるものではない。しかし、皇帝の命令は絶対である。司馬遷にはこれを拒否する事は出来ないのだから、選択するしかなかった。まず、50万銭は不可能だった。それなりに高官ではあったが、そこまでの蓄えはない。武帝もそれは分かっていたに違いない。いかに銭で罪を購えるとしても、この額をみると武帝の怒りが窺える。残るは「死罪」か「宮刑」である。
そもそも「宮刑」とはなにか?「宮刑」とは男性のシンボルを切り落とす刑である。なぜこれが処刑となるかは、いくつかの理由がある。一つは単純に、「男」でなくなることでアイデンティティを喪失し、誇りを無くす事である。また、この時代は男でも女でもない存在は「人でないもの」の扱いを受けていた。立派な成人と自負する士大夫(知識人)にとっては大変な恥辱であった。次に儒学の教えがある。儒学では祖先を敬う事を重要視している。後嗣が存在しないということは、祖先を祀る事もできなくなってしまい、結果的に教えに背く事になるのだ。敬虔な儒学の徒にはまたまた耐え難い屈辱を味わうのだ。更に歴史上、宦官(宮刑をうけて宮仕えしている者)がちょくちょく悪事をやらかす事が史書に載っており、周りからの冷眼にも耐えなければならないのである。
敬虔な儒学の徒であり、歴史家でもある司馬遷なら、「宮刑をうけるぐらいなら死を選ぶ」と思っていただろう。しかし、司馬遷には半ば天命のような父司馬談からの遺言があった。死を選び誇りを全うするか、恥辱にまみれても生きて歴史書の著述を行うか。正にシェイクスピアの名台詞
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題である」
実際決断を下す際には大変苦悩する司馬遷であったが、同じ命を賭けるなら遺言を全うする事に、命をかける決断をする。「史記」が単なる歴史書に終わらず人の心をゆるがす物になっていくのは、司馬遷がうけた数々の仕打ちが影響している事はまちがいない。司馬遷は「李陵の禍」によって、人の内奥を見据える眼を備えたのではなかろうか。同時にそれは、武帝への復讐にもつながっていくのである。小説家になろうでおなじみの「ざまぁ」展開が開始されるのであった。




