中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その四十三~
勾践は范蠡によって無事越に帰ることができた。場合によっては、亡骸が帰国する事態になった可能性もあったわけで、厳しい賭けであったことは確かであろう。勾践の身代わりとなった者についての詳細はないが、王の身代わりならばそれなりの地位の者がいったと思われる。ただし、勾践はそれなりに名君であったから、身代わりは名誉な物であったに違いない。
その間伍子胥はどうしていたのであろうか。伍子胥であれば、勾践を死ぬまで呉から出さないであろう。この後も度々諫言している事から、伍子胥が、引退したという事実はない。そこについて史書は詳らかにしてはいないが、おそらく夫差が、勾践は召使いなのだか国家の問題としてではなく、王家の問題として扱う、といった詭弁を弄したのではなかろうか。国家間の扱いならば、臣下に問う必要があったろうし、まず帰国に反対されたに違いない。夫差としては自尊心を満足できたし、勾践が従順な態度であったことから、帰国を赦したのであろう。
しかし人は、中途半端に虐げられると反発する性質を持つ。三月という期間は、余りに短い期間であった。夫差はどうせなら、諸侯並の扱いをし、緩やかに牙を抜くべきであったろう。相手のプライドを尊重しながら、呉の国内に留めておけば、越としては表だって取り戻す事は難しくなる。夫差は自分の欲求のみを追求し、国家百年の計を考慮できなかった。全くもって、張りぼての優等生というべきであろう。
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