165/246
中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その四十二~
結局夫差は伍子胥の言をとらず勾践の投降を受入れた。結局はハクヒの進言を採ったわけだが、これはハクヒが優遇されたというだけではないと思う。おそらく夫差は勾践を従えて、これを虐げることで、闔閭に対するコンプレックスを払拭したかったのではなかろうか。闔閭の生前良い評価をもらえず、いわば伍子胥のおかげで王となれた夫差は、なにかと闔閭と比べられた筈だ。自己顕示欲の強い夫差にしてみれば、到底我慢できる状況ではなかったに違いない。その評価を覆し、王としての自尊心を満たすためには、勾践を殺さず自分の奴隷のような扱いにすることで、周囲に闔閭を越えたことを印象付けたかったのではないか。
更に周王朝の開祖が行ったように、投降して自らを戒めたものには、厳罰を処さない思いがあったのかもしれない。呉は伝説とはいえ、祖先をたどれば、周王朝に直につながる家系であると自負している。武王が敵対していないとはいえ、微子啓が自らを縛して投降したさいに無罪放免としたように、見栄っ張りな夫差はその故事に倣って、勾践を赦すことで、器の大きさをアピールしたかったのではなかろうか。
読んで頂きありがとうございました。




