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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
100/246

中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 貴族 その三~

おかげさまで100話を迎えることができました。これも見ている皆さまのおかげです。ありがとうございます。これからもゆるくいきたいと思っておりますので、お付き合いの程よろしくお願いいたします。

春秋時代の貴族も、ずっと同じ貴族が政治の中心に居れた訳ではなく、栄枯盛衰があった。また、この頃からは、庶民から取り立てられたり、貴族の下の「士」から貴族にあがる者もでてくる。

斉の国は春秋時代には「国」氏と「高」氏の二家が国政を握っていた。そこに、前にも書いた崔杼が二家を分断し、没落させようと企んだ。その企みは効を奏し国氏と高氏の権勢は衰えたが、自身も政権を握った後没落してしまう。次に出てくるのは、陳の公子から亡命してきた「陳」氏であった。徐々に頭角のを表し、氏を「田」と替え、最終的には斉の「姜」氏を追い出して、君主の座を乗っとることとなる。

ここで、斉の国の根幹を作り、春秋時代の最初の宰相と言ってよい「菅仲」の子孫が全く出てこないことに気付く。菅氏は菅仲以外に史書にはほぼ出てこない。菅仲は庶民の出であり、賢明な人であったから、子孫を高い地位につける危険性を思っていたのであろう。

また、春秋時代の主役と言える「晋」の国は、元々分家が本家を滅ぼして、国を作ったものである。そのような出自のせいか、この国は貴族の重鎮が少なく、人材を積極的に登用できる環境にあった。その結果、この国は後の戦国七雄の「魏」「韓」「趙」の三氏と、晋の史上最高の宰相と言われる「士会」の子孫「士」氏、元々「荀」氏から分かれた「中行」氏と「知」氏の、所謂「六卿」が国を動かす事となるが、

このほとんどが元々晋にはいなかった氏である。そして、知氏が国を乗っ取りかけたとき、魏・韓・趙の三氏が協力して知氏を滅ぼし、戦国時代が始まる。

春秋時代より、所謂「下克上」が起きてくるようになる。周王朝が諸侯に倒されたという事は、諸侯もまた貴族に倒される可能性に気づかされる事となる。諸侯の君主は貴族とうまくやっていくか、その下の士や庶民と手を結ぶかのどちらかを選ぶこととなる。

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