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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~序 中国古代史へのいざない~
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名前とことば

さて、前話では名前について書いたが、今回も名前についてのお話を。

字には名前と関係があるものが成人後につけられる。たとえば趙盾の父趙衰(ちょうし)の字は余と反対の意味だ。また宮城谷昌光氏の小説で有名な重耳(ちょうじ)の重臣狐偃(こえん)の字は「子犯」である。これは偃がうずくまるのに対して、犯は耳が立った犬、すなわち背筋が伸びていることから逆の意味だ。ちなみにこの狐偃は狐犯となった後、重耳の舅になると舅犯(きゅうはん)と呼ばれるようになり、舅の字を咎に改めて、咎犯(きゅうはん)と名乗るようになる。しかもこの咎犯が史書に記載されるのだから、自由すぎるのもいい加減にしろ!訳わかんねぇ!と言いたくなってしまう。

なお周王朝では、長男や次男などがわかるための字も存在する。封神演技で有名な文王の長男は「伯邑孝(はくゆうこう)」であるが、この伯が長男を表す字である。また、三男の「管叔鮮(かんしゅくせん)」は、叔が三男を表す字で、管という国を治めた諱が鮮、字が叔という人物ということになる。長男の字は伯や孟、次男は仲、三男は叔、四男か末っ子は季などとなっている。また、孟は一族の長者の意味も持つため、一族からは字替わりに呼ばれることもある。

次に史書の中で、周王朝時代の王や諸侯の名前を見ると、同じ名前があることに混乱することがある。文王、武公、霊公、平侯などである。この王や公や候の前についているものを、諡号(諡)という。生前の功績に応じて、最高は文から最低は幽まで評価がつけられるのだ。この時代は、霊魂の存在や死後の世界が信じられており、時には実際に霊魂が起こした事件も史書に記載されていることから、あんまり無茶苦茶すると死後にろくでもない目にあうぞ、という生者への戒めでもあったのだろう。ただ、無茶苦茶したあげく、逆効果を狙って文とつけられた人もいたようではあるが…。最初は王のみの諡号であったが、諸侯に広がり、貴族と徐々に下に拡がっていった。

何度も登場させている趙盾は、諡号に宣が贈られている。よって趙盾の死後は、趙宣に敬称の子をつけて趙宣子と呼ばれることもある。更に先ほどの一族の長者としての孟も使われる事があるので、趙盾=趙孟=趙宣子は同一人物で史書の年代や史書を書いた立場で、どれが使われてもおかしくない。このあたりは、中国古代史を読むときの難解さになりそうだ。



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