リフレイン・キッス(本屋)
クリスマスからお正月に一夜で模様替えをしたと思えば、年明けて一週間も立てば気が早いところはもう次のイベント商戦に着替えているところを見たら「十二月から三月まで師走にしちゃえばいいのに」と思ってしまう。
おまけに今年は私自身の成人式まであったから例年以上に慌ただしい新年を迎えた現在一月の終盤某日、私は次なるイベントに頭を抱えていた。
「国生さゆりのバレンタインキッスが頭から離れない……」
「あー、そういやもうじきバレンタインか。鈴ノ木さんうきうきでしょ」
「浮き足立ち過ぎだよ。無意識でバレンタインキッス歌ってるんだもん」
「付き合い始たてかって浮かれ具合だな」
サトが呆れるのは最もだ。
私と鈴ノ木さんが正式に付き合い初めて約三年。三年立てば最初より熱も引いてもう少し落ち着いた空気があると思うのに、鈴ノ木さんの熱は未だ覚めやらない。
何かにつけて記念日を作りたがるし、私に対する態度も評価もいつだって甘い。バレンタインなんか無意識の鼻歌以外にも、カレンダーは予定日が塗りたくられているし、スマホにはカウントダウンが起動している。去年は当日に私の年齢の数になるように一日一本の薔薇の花を贈ってカウントダウンをやってたっけ。
付き合いたてでもこんなにベタベタしないんじゃないかって依存度を持って接する様はもう不治の病だ。
それが鈴ノ木さんなんだと半ば諦め、そこも好きになってしまった私は十分恋愛中毒者だろうから責められる立場でもないけれど。
「あまりに楽しみにしているから毎年プレッシャーだよ」
「鈴ノ木さんなら陽幸から貰える物はチロルでもブラックサンダーでも五体投地で受け取るから適当でいいだろうに」
「それが目に浮かぶだけに手を抜くと申し訳ないの!」
去年は確か濃厚なガトーショコラを作ったっけ。
「あんたの悩みはレシピ以前の問題だよね」
「……その古傷はえぐらないで」
料理はまだ勉強中なんだけどレシピを見れば食べれる物は作れる。だけどガトーショコラって手間のわりに見た目がシンプルで寂しいから、生クリームとフルーツでデコレーションを試みれば、あとで完成写メを見たサトに「汚物」と称された時の傷は未だ言えていない。
「見た目華やかでバレンタインらしいチョコ菓子を作るか、ランク上の既製チョコかで凄い悩む」
「既製チョコでお菓子以外の手作り加えたりとかは?」
「私はサトみたいに器用じゃないよ」
手先が器用なのに料理が苦手なサトのバレンタインは、市販のチョコレートをデコ盛りしたものに得意の裁縫で何か一品を加えて特別感を与えている。私には一芸に秀でたサトの才能がとても羨ましい。
「自分の不納得な物で喜ばれるって心苦しいなぁ」
「それすっごいノロケだから。あんたのその贅沢な悩み、爆破もんだからね」
そうは言われても鈴ノ木さんのソワソワした態度を見れば誰だってそんな気になるんじゃないかな。人一倍見目のいい彼の何気ない行動で籠絡される人は少なくない。あの人の魅力に強い抵抗力があるのは彼の担当女史くらいだ。
「サトはどうするか考えてる?」
去年は同居人で彼氏の芙蓉さんに向けて手編みの手袋作りに目を血走らせていたっけ。年末から冬コミやインテとやらの並行作業さえなければそんなに血走ることもなかっただろうにと思った記憶が蘇る。
……あれ、でもおかしいな。今年はサトからそんな焦りが見えない。
「今年は何か手作りとかしないの?」
「うん。さすがに余裕がなくて今年は無理って言ってる。だから普通に良いチョコ探すつもり」
「そっか。サトはもう卒業だもんね」
現在二年制のグラフィック系の専門大学に通っているサトは今が大詰だ。私だって春からはもっと将来を考えなきゃいけないのだけど、なかなか実感というものはまだ湧かない。
目先のバレンタインが悩みとか平和ボケよねと、サトの目の下の隈を見て少し反省。
「今日、無理して会わなくても良かったのに。サト、卒業研究で忙しいでしょ」
「んー……。そこはちょっと目処がついてきたからいいの。でも少しは息抜きしたくてファミレスでもいいからあんたに付き合って貰いたくてさー」
そこから始まるサトの愚痴の半分は専門の話で殆どが理解出来ないものだったけど、それでも彼女が充実している様子は受け取れて安心もする。
だけど二年の間に勉強して資格取って就活までこなすのは大変だろうに。
「そう言えばサト、就職はどうするの? ずっと小野原プランニングを希望してたけど……」
すっかり話題が私の小さな悩みから様変わりしたところでサトが「それなんだけど」と声を落とした。
「今日呼び出したのもその話がしたかったんだよ」
注文したサラダを食欲なさげにフォークで遊びながらサトは顔色を窺わせないように早口で言った。
* * *
「サトちゃん、ニューヨークに行くの!?」
サトとファミレスで別れたあと、真っ直ぐ鈴ノ木さんの部屋に向かった私はさっきの出来事をすぐ報告する。
「うん。サトが敬愛する小野原先生がそこにオフィスを新たに開設するみたいで、助手しながら暫く勉強しないかって」
新人で、実績もないサトにこの誘いはまたとないチャンス。
マンハッタンの広告業界を見たいと常々口にしていたサトには大層魅力的なお誘いだっただろう。
早くて一年、長くても三年は学びたいと言っているサトの笑顔は輝いていた。
「よく決意したねぇ。ニューヨークにもあるんだっけ、ジャンプ……」
「鈴ノ木さん、そこが問題点じゃない」
深夜アニメがリアタイで観れないとか嘆いてはいたけどね。そこじゃない。そこじゃないんだ。
「芙蓉君はどうするのかなぁ」
やっと出たまともな指摘に私も頷く。
「芙蓉さんも一緒に行くみたい。語学も堪能だし、大学辞めても向こうで家庭教師の仕事とか紹介して貰えるみたいだから心強いみたいだよ」
「それだけ有能なのにサトちゃんに着いていくんだから愛だよねぇ」
関心する鈴ノ木さんに相槌打って、もう一つ大事な話を打ち明ける。
「それでこの機会にけじめとして、籍を入れて渡米するんだって」
「籍……って、えぇー……そう……」
急だねと言って鈴ノ木さんは実感が湧かないのか気の抜けた返事。私も同じで、何から驚いたらいいか混乱している。
「籍入れって結婚だよね? 式は?」
「日本に戻ってからするんだって。その時は私も鈴ノ木さんも招待してくれるらしいけど……」
遠い未来の話に聞こえる。
私はまだ学生で、将来のぼんやりとした展望はあってもサトのように突き進んでいるかは自信はない。その上結婚も同時だとか自分に置き換えて考えると現実味は到底ない。
覚悟の問題かな。ううん、自分自身の覚悟だけの話じゃない。
俯いているとぽんぽんと、鈴ノ木さんの手が私の頭を撫でる。
黙って顔を上げたら鈴ノ木さんは両手を広げて「おいで」なんて私を招く。お言葉に甘えて開かれた胸に飛び込むと、鈴ノ木さんは私を優しく包み込んで抱き締める。温かくて毛布にくるまれているみたい。鈴ノ木さんの長い指が私の髪を梳る。
猫になった気分で私は鼻先を鈴ノ木さんの胸に擦り付ければ、無言で享受した。
「親友が遠くに行くだけじゃなく誰かのものになるとか淋しいね」
「……芙蓉さんならいいんだもん」
「だからサトちゃんのいない場所で俺に甘えるんだね」
その通りだ。
私は淋しいのだ。自分に置き換えて気を紛らわせようとしたけど、淋しさが先立つ。祝福の気持ちだってちゃんとあるのに喪失感ばかりが前を行く。
毎年のこの時期のくだらないおのろけお悩み相談もなくなっちゃうのかな。
淋しくて淋しくて、鈴ノ木さんの胸にしがみついて私はひっそりと泣いた。今度会う時は笑ってサトを見送れるように。
* * *
サトの突然の報告で喜び以上に落ち込んで弱ってしまっていたのか、人生で初めてのインフルエンザに罹ってしまったのはバレンタインデー五日前の事だった。
「――そんな訳でヒイはうちで預かった。残念だが暫くは連絡するんじゃねぇぞ。……ん、ああ決まってるだろ。無理だし、お前の声聞いたら悪化するからだボケ」
用件だけ伝えるとあからさまに個人的な理由をこじつけて桐吾君は言い逃げのように通話を切ると、足りないように電源まで落としたスマホを私に返した。
ベッドで寝込んだ私は枕元に置く様子を見上げ、注視する垂れがちな目を見つめた。
「言わなくても分かるだろうが今の状態で電話もメールも厳禁だかんな。手元に返して貰えるだけ有り難く思え」
「うん、桐吾君ありがと……」
体を起こすこともままならず、枕に顔を埋めたまま答えれば桐吾君が優しく頭を撫でてくれる。
「しかし姉さんはヒイを放任し過ぎやしないか」
ボヤく気持ちは分かる。
娘がインフルエンザと知るや、まず弟に移るのを心配した母が私を桐吾君宅に隔離させたのだ。
やがて修学旅行でシンガポールに行くという弟に移してはいけない配慮らしいけど、放任と言われたら否定出来ない。
別にいいんだけどね。自宅だと鈴ノ木さんが見舞いに来やすいから移す心配もある分、桐吾君家ならさぞ来にくいだろうし。私も私で半分桐吾君に面倒を見て貰って育ったから、気兼ねないし。
きっと最初の子供がまず一番に桐吾君に懐いてしまったから母さんは拗ねて弟優先になったんじゃないかなって思う。
「でもこれが安全策かなって思うよ。桐吾君には悪いけど」
「俺は予防接種受けてるし、身内の面倒くらいかまわねぇよ」
くしゃくしゃと頭を撫でると、桐吾君は「どっこいせ」なんて口にしてベッドから立ち上がる。若作りの見た目に対してこんな所で年を食ってるなぁとぼんやり。
薬が効いてきたのかふわふわした頭で桐吾君がベッドサイドを指さす先を見ようとするが首が上手く回らない。
「子機にかけろ」
そう聞こえた。何かあればサイドボードにある子機で事務所にかけろって事だろうか。
三階建ての戸建て住宅を自宅兼オフィスに使っているのでその階下は桐吾君の職場だ。女性スタッフもいるから安心して託児所代わりになるのかもと母さんの気持ちを思う。
かちゃんと扉の閉まる音がして人気の消えた部屋に空気清浄機の小さな音さえ響く。
関節はおろか筋肉が痛い。腕や腿が怠くて重くて痛い。頭は痛いを通り越してふわふわするし、目が熱い。そのくせ背中からぞくぞく寒くてこれが噂のインフルエンザなのかと実感する。
うん、これは辛くてキツい。来年からはしっかり受けよう予防接種ってなるよ。
少なくとも五日は保菌扱いなんだっけ。解熱から二日が保菌扱いどっちだっけかな。
思い出そうにも頭が上手く働かない。病院で治療薬を吸引したけれどこの熱はいつ下がるのだろう。
五日って長い。
五日も寝込んだらバレンタインデーが終わってしまうじゃないか。
私が落ち込んでいたから最近の鈴ノ木さん、私にバレンタインを意識させないようにしてたのに。あんなに楽しみにしていたバレンタインをサトとの残りの時間に気を回してくれたのに。
会いたいなぁ。
病に伏せると気も弱るからいけない。我慢しなくちゃいけないのについ枕元のスマホに手が行きそうになる。
メールだけでも。でも余計に会いたい気持ちが募りそうで手が出せない。気持ち以上に体力的にもそろそろ限界だ。
瞼が熱くて重くて目を閉じる。すると不思議なことに耳に鈴ノ木さんの歌うバレンタインキスが聞こえた。
涙が出たのは熱に浮かされた所為だ……。
* * *
「ならぬものはならん」
どこぞの会津藩士だという言葉を吐いて私のお願いは棄却される。
インフルエンザ発症から三日。薬が効いてすっかり熱も下がったのに私は現在も桐吾君住まいにお世話になっていた。
「チョコ作るだけだから! 買い物だけ桐吾君にお願いしたいの。それも駄目?」
「黙れ保菌者。ウイルス兵器をあいつに贈るのは反対せんが手作りチョコはならん。バレンタインに手作りチョコはお前にまだ早い!」
「早いって……私もう二十歳だよ」
「とにかくならぬものはならんのだ」
四十も半ばを行くと頑固になるのかな。
過保護な叔父を持つと苦労する。おまけに恋人まで過保護なのだから心労はいくばくか。
不満たらたらに無言で睨んでも桐吾君は折れてくれなかった。
熱は下がったから強引に外に出るのは簡単だけど、桐吾君はわざわざ私を預かってくれているのに此処で迷惑をかけてはいけない。
寝込んだ私が悪かったんだ。
今年は遅れて渡してしまおう。その分お詫びを込めて何かもっと特別に。
「んな顔すんな。熱がぶり返さなけりゃ十四日には帰してやるからよ」
気持ちを切り替えようとしていた所で桐吾君が優しく頭を撫でてくれる。
どうして急に譲歩してくれたのだろうと首を傾げれば、桐吾君は「泣きそうな顔するんじゃねぇ」と笑った。
そうか、私はそんな顔をしていたのかと気付いて頬を手で押さえて笑顔を形作ると今度は額を指先で弾かれる。
「物分かりが良いのも美点だが、月並みに男は好きな女の我が儘を言っちまっていいんだよ」
「じゃあ、チョコ作らせて?」
可愛くおねだりをしたけど「それは駄目」と棄却された。
桐吾君の愛はほろ苦いようだ。
* * *
温かい車から一歩出れば冷たい外気に耳がピリッと痛くなる。
特に冷え込む日になったバレンタインデーの夜。
桐吾君はバレンタインデーには家に帰すと言ってはくれたものの、仕事が終わってからと夕方まで待たされ、夕飯を食べるぞとどこぞのレストランの個室に連れられて高くて美味しいフランス料理のコースを頂いて、自宅マンションに着いたのは二十三時を回っていた。
意地悪だね。これ絶対鈴ノ木さんに対する嫌がらせだと思うんだ。
でも私では入れないような老舗高級チョコレート店に連れて行ってくれたのは有り難いんだけどね。
手作りは叶わなかったけど、満足行くチョコを手に、自分の家を飛ばして鈴ノ木さんの部屋のある階のボタンを押し、持ち上がるエレベーターの数字を数える。
熱が引いてからの数日は鈴ノ木さんとメールのやり取りもしていて、今日帰る事はもう知らせてある。
『待ち遠しい。早く会いたいよ』
鈴ノ木さんからの返信を何度も読み返しては落ち着かない。
そんなわけがないのにチョコレートが溶けてしまいそうで気持ちが逸る。エレベーターなんてやめて階段を駆け上がれば良かったなんて思っている。
そわそわする。
少し前にバレンタインを前にそわそわする鈴ノ木さんについて愚痴ってた自分がなんだか恥ずかしい。
そっか。
普段言葉にし難い気持ちをはっきりと表示が出来るから嬉しいんだと気付いた。
私は今、たまらなく「好き」だと伝えたい。
想いなんていつだって伝えられるけど、普段の私は滅多に口にしないからこんなイベントに合わせなきゃ勇気が出ない。
イベント化してはいるけれど特別な日に特別な気持ちを伝えるのはなんて緊張するのだろう。
いてもたってもいられない。
会えなかった時間がより想いを強くする。
鈴ノ木さん。鈴ノ木さん鈴ノ木さん。
サトは一生友達でいてくれるだろうけど、私以上に大切な人を選んでしまう。
桐吾君は一生私の味方でいてくれるだろうけど、その気持ちは絶対別の方へと向いている。
最後の最期に私の隣にいてくれるのは鈴ノ木さんしか考えられないんだ。
会えない時間が想いを強くするなんてよく言ったものだね。
甲高い音を立て、目的のフロアに着いたエレベーターから飛び出す。目指す先を迷わずひたすら真っ直ぐに早足で向かう。突き当たりの扉のチャイムを押して高鳴る心臓を頑張って押さえる。
まずは落ち着いてチョコを渡して、それから一息入れて気持ちを改めて伝える。うん、ばっちり!
頭の中でそんな予定を立てながら、扉の向こうでバタバタと駆け寄る足音を聞いたら、開いた扉の隙間から同じように再会を待ち遠しく餌を貰った犬のように笑われたら冷静だとか平静だとか我慢だとか全部吹っ飛んで私は鈴ノ木さんの胸に飛び込んで玄関に崩れ落ちる。
今年は最初から段取り通りに行かないバレンタインだったけど、そんな年もあっていいよね。
凹んで落ち込んで病に伏せって減るに減った鈴ノ木さんエネルギーを欲するんだ。
だから柄になくデれる。
「鈴ノ木さん、ただいま会いたかった。大好き」
「おかえり。俺も――ん……」
それ以上は分かっているから返事を聞かずに口を塞ぐ。
だって早くキスしたくて仕方なかったんだ。
ずっとバレンタインキッスが脳内リフレインしてたから。
さいかわさんからお題を頂き、また作者様繋がりでちょっとした方がコラボ的に名前を出させてもらいました。未読の方がいらっしゃいましたらエタニティから刊行の「恋するデザイン」をよろしくお願いします!(笑)
本来はそわそわするお兄さんが始まりだったのに何故か逆の立場になってたり、管理人のその後的なネタにも繋がっているのでこちらのシリーズもよろしくお願いします。
2013/2/6