2.妙な乗客
アルモが機関室に戻ると、うねりを上げる動力機関の前で仲間たちが声をひそめて話しをしていた。
「お、アルモ! ルーティンはどうした?」
声をかけてきたのは同期の仲間であるキッシュだ。
どうにも金持ちという生き物が好きになれないらしく、いつもは動力機関の調整や倉庫整理ばかりしている男で、そのせいか余り日に焼けていない。
機関部は防音性が高いため、普通に話しをしていても声が外に漏れない。なので、ここには主にキッシュのような、客嫌いばかりが集まって愚痴を零す恰好のたまり場なのだ。
アルモは客嫌いというわけではなかったが、キッシュたちの話題作りになればと、仕事のローテーションが回ってきては新しい情報を落としていく。
「あー、それがさ。なんか客と一緒にぼんやり廊下で突っ立ってたから声かけたら、例の角部屋を指さしてぶっ倒れた」
「倒れたー?!」
これには他の仲間たちの声もハモる。
忙しくなるというこの時期に欠員が出るのはかなりの痛手だ。その分の負担は計り知れない。
「なんで倒れたりすんだよ!」
「それが船医に見て貰ったら……のぼせてるって」
「のぼせたー?!」
再び全員の声がハモった。それから、許すまじ、後でシメる、いや寝込みを……と物騒なことを言い合う。アルモもつい先ほど彼らと同じような気持ちになったので、特に仲間たちの闇討ち計画を止めようとはしなかった。ただ、心の中でルーティンに合掌しておく。
「つか、角部屋やっぱりなんかあったのか?」
問われてアルモは動力機関の燃料となる鉱石の、使い終わった屑石を空き箱に詰めながら首をかしげた。今回の航海はどうにも妙な客が多いというのが、彼らの共通した見解だ。
その筆頭が、あの角部屋の客である。
「それが、ルーティンに聞いても要領をえないっつーか。なんか奇跡がどうとか妙なことぶつぶつ言っててさ」
「大丈夫かそれ。やっぱあれ、怪しげな魔法使いとかが乗ってたりすんじゃねーの?」
「かもなー」
なにせこの六日間ほど、あの角部屋から客が出てきたことがないのだ。声をかければ確かに、男が一人いるのは間違いがない。乗客名簿によるとスーニという名の若い男らしい。食事や飲み物を運んでも、部屋の前に置いておくよう指示が出され、いつのまにか皿もボトルも空になって廊下に出されているのだ。
心配なので朝晩かならず一度は声をかけるようにしている。が、今のところ部屋からまったく出てこない以外で、おかしなことはなかった。いったいどんな客が乗っているのやら、みな興味津々である。そんな中でのこの騒動で、いよいよもってキッシュたちのテンションも上がってきた。
「他になんかあったか?」
「そういやルーティンと一緒に居たのが例の、アトリョーシャ家のご令嬢と騎士様だったな」
おお、と船員たちが食いついてきた話題の主は、サレリアが誇る盾の騎士団の一個小隊を護衛に付けているというかなりのVIPだ。まだ十三歳という話らしいが、貴族のご令嬢というだけあって姿勢が美しく、すれ違う船員たちにも丁寧に挨拶をしてくれることが好印象の客だった。
貴族嫌いでも、子供は好きだという船員は多い。それが金持ちによくいる嫌味なクソガキではなく、可愛らしい女の子とあってはさすがに文句の一つも出ない。出るとすれば護衛の騎士が無駄にいい男で、しかも少女はその騎士に対して見るからに淡い思いを抱いている点だ。
少女に、というより騎士に対しての不満と言った方が正しい。
腕も立って仕事も出来て、その上若くて顔が良い。どうせ女にモテモテだろうにあんな小さな女の子までたぶらかして、あげく玉の輿に乗るかも知れないという。醜いと分かっていても嫉妬心が燃え上がろうというものだ。
キッシュは機関部を雑巾で拭いながら、「俺と変われー!」と何度も叫んだ。他の船員たちもそれにウンウンと頷く。一人、客と接する機会の多いアルモだけは、そうでもないんじゃないかと苦笑を浮かべた。
美人でいかにも色っぽい感じの女性からアプローチをかけられても、笑顔でさらりと仕事を優先した現場を船員の一人が目撃している。かなり断り慣れている様子だったらしい。そのそつのなさがまたモテない男たちの心に火をつけたが、自分から声をかけたりしないところを見ても、一人の相手に尽くす一途なタイプではないのだろうかとアルモは思うのだ。そうでなければ仕事馬鹿だろう。
それに、忙しいときは率先して力を貸してくれる。おかげで客室フロアに出る船員たちからは割と好意的に見られている人だった。
まぁもちろん、今のキッシュたちにそれを言ったところで彼らの嫉妬心を止められるわけでもなく、アルモは黙って屑石をつめた。
使用済みの鉱石が箱いっぱい溜まった時、動力室のドアが開いて一人の青年が顔を出した。
「みんなこれー。差し入れだよー」
「おー、ロンロンさん!」
ロンロンと呼ばれた青年は船員達にやんややんやと迎えられ、まるで長年の仲間が加わるように皆の輪の中に入っていく。
しかし彼は船員ではない。
同僚たちがさん付けで呼んだとおり、この船の乗客である。にもかかわらず、彼はしょっちゅうこの動力室や倉庫に出入りしていた。社交の場は苦手だが、暇なので手伝いをすると言ってきたのだ。
最初は船員たちも客にそんなことはさせられないと断っていたのだが、相手からの強い申し出と、以外とマメによく働いてくれることから、今ではすっかり船員たちの仲間のようになっていた。
彼も今回の珍客の一人にあげられている。
無理もない。まず、どう考えてもお金があるように見えない。着ている服は丈夫さが取り柄のような異国の民族衣装で、襟の高いだぼだぼとしたワンピースの腰部分を布で縛っている。袖の先がやたらと大きく広がっているのが特徴だった。しかも所々糸がほつれていたり、穴を塞いだ跡があったりと、長年大事に使ってきたと言わんばかりの着古しだ。
明るいオレンジ色の髪の毛はあちこちハネ放題。他は短いのに、もみあげと後ろ髪だけがちょろりと長い、妙な髪型をしていた。
唯一金目のものというと、髪飾りくらいだろうか。
これだけは、銀で出来た小さなバレッタの部分に龍の模様が彫られ、その手の部分に翡翠の玉が埋め込まれた中々の一品である。端から伸びた鎖が螺旋をえがいて、無造作に伸びた尻尾髪を綺麗に束ねている。
「つか、ロンロンさんはさー、なんでこの船に乗ろうと思ったわけ」
この船は金持ち御用達の豪華客船として有名だ。社交の場が苦手というような、しかも明らかに金のなさそうな手合いが乗るような船ではない。船員はむしろフレンドリーに接することが出来るロンロンを好いてはいたが、それはそれ、これはこれだ。
本来なら客のことをあれこれ訪ねるのはマナー違反なのだが、ロンロンなら大丈夫だろうとふんで、キッシュが訪ねる。
わけて貰った差し入れのサンドイッチをほおばっていたロンロンは、口の中のものをきちんと噛んで呑み込んでから、やはり気にした風もなく笑顔で応えた。
「えーっとね、センセイに言われたから」
「先生?」
「うん、物知りでねー、文字の書き方とか、この国のこととか色々教えてくれるんだ」
ほほー、と感心したように船員たちが頷く。ロンロンはその先生から現在進行形で教育を受けているらしい。
「そのセンセイがお金とかも全部用意してくれて、色々勉強にもなるだろうからってこの船に乗せてくれたの」
ロンロンはとても先生を尊敬しているらしく、話しの折々にいい人だとか、凄く優しいだとかを付け加える。
船員たちの一人が面白半分に挙手をした。
「その先生って美人?」
「うん、すごい美人!」
この答えは予想していなかったのか、全員の視線がロンロンに集中する。当のロンロンは子供が恩師を見るようなキラキラした目をしていて、そこに邪なものはいっさい感じられない。
船員たちはサンドイッチをほおばりながら、声を潜めて師についての詳細をロンロンに訪ねた。
「細くってー」
「おー」
「色白でー」
「おおー」
「とっても優しいお母さん!」
「人妻かよー!!」
全員が絶望に伏した瞬間、ううん、とロンロンが付け加える。
「旦那さんはいないよー」
「未亡人だったー!!」
一気にわきあがる機関室。だれもが思春期の少年が猥談で盛り上がったときのような顔をしている。キッシュなどは高らかに拳をつきあげ、涙を拭うフリまでしていた。
才知溢れる麗しの未亡人、全員がどんな姿を想像しているかは分からないが、心は一つのようだ。
屈強な男たちが鼻息を荒くしてロンロンに詰め寄る。
「そんな人から手取り足取り色んな事を教わってるのか!」
「足はまだ取られたこと無いけど」
「手ならあるのか!!」
「うん。字を教わったときに」
うらやましい。うらやましいと船員たちが狭い機関室の中でのたうちまわる。ロンロンは二つ目のサンドイッチにかぶりつきながら、ここはいつも賑やかだなーとニコニコしていた。そんな美味しい境遇にあっても、どうやらまったく色っぽい話しはないらしいロンロンに、さらに船員たちは勿体ない、勿体ないと悶絶する。
「俺だったら絶対に過ちをおかす」
「オレもオレも!」
「先生! オレは、オレはあなたのことが!」
「あ、いけません、私はまだあの人のことを――」
「あの人はもういないんだ先生! オレが忘れさせてやる! がばーっ!」
「ああっ、ダメっ、そこはだめーっ!」
むさい男共が繰り広げる小芝居に、なぜか機関室は大盛り上がりだ。先生を演じた男の上に一人二人と他の船員たちが次々のしかかり、ゲラゲラと笑い声をあげる。アルモは口に入れたサンドイッチを吹き出しそうになり、キッシュも腹を抱えて「馬鹿ばっかだ」と笑い転げた。ロンロンも自分の恩師がネタにされているというのに、一緒になって大笑いする。
それから、先生の話をもっともっとと強請られて、ロンロンは求められるままに色んな事を話した。
主に、どんなことをどんな風に教わっているか、といった類の話だ。
その中でも皆が興味を示したのが、日記だった。
「字を書く練習の一つで、その日あった出来事を夜に書いてセンセイに渡すと、間違ってる文字とか言葉を直されたのが朝に返ってくるんだ」
「ほほー」
「時々センセイの感想とかも書いてあって、楽しいよー」
今日食べた魚のグラタンが美味しかったと書いたら、赤いインクで「私もグラタンは得意なので、いつか作って上げます」と書いてあったらしい。ロンロンはまだ先生の手料理は食べたことがないので、とても楽しみだとうっとり話した。男たちは大いに盛り上がったが、彼らと違ってロンロンは純粋に美味しいグラタンが楽しみなようだった。
それにしても本当に優しい人らしく、やぶれた服を縫ってくれたのも先生なら、新しい靴を買ってくれたのも先生。とにかく色々面倒を見てくれるらしい。そんな母性的なところもいい、ぜひ面倒を見て貰いたい、と男たちは彼の先生がいるわけでもないのにデレデレしだす。
他にも、先生の似顔絵を描いたら下手なのに花丸をつけてくれたこと。花を添えたら押し花の栞にしてくれたこと。エトセトラ。
「いつもはずーっと真面目な顔してて、だらしないとかいっぱい怒られるんだけど」
日記に書かれていることはいつも優しい。
だからこそ、ロンロンは先生に日記を読んで貰うのが楽しいのだという。
船員たちはそんなギャップもまたいいと、さらに大ハッスルだ。サンドイッチを食べ終わった後もやたらとハイテンションで仕事を再開する。
アルモもすっかり楽しい気持ちになって、意気揚々と立ち上がる。さて、と一声上げて山と屑石のつまれた箱を抱えようとして……持ち上がらずにうめいた。
そんなアルモを見てキッシュが「もやし」とからかう。アルモは決してひ弱ではない、立派に航海する海の男だ。ひ弱では務まらない。確かにキッシュと比べればいくらか小柄ではあるが、これは屑石を積みすぎたのがいけないんだとぼやいて、他の空き箱に詰め直そうとシャベルを手に取った。
「ロドフに任せといたらどうだー? あいつもそろそろ来るだろ」
いわれて、アルモは思わず顔をしかめる。殆どの船員とは仲が良いアルモだったが、ロドフとだけはいつまでたってもうち解けられなかった。なんというか、生理的に苦手なタイプなのである。仕事はそれなりに真面目なのだが、根暗でどこか卑屈で、そのくせ時折じっとこちらを伺ってくる視線が気持ち悪い。
実は男が好きだなんて噂も立っていて、事実は定かではないがなんとなく苦手意識を抱いたまま、あまり関わらないようにしている。
あまり細かいことは気にしないキッシュなどはそれなりに普通に接しているらしいが、船内で特に仲の良い相手はいないようだった。今回の航海を機にポーノティース号を去るという話を聞いて、正直安心していた所だ。
そんなアルモの様子をよそに、ロンロンはぽんと山盛りの屑石を叩く。
「凄いよね。こんな石がこの船を動かしてるなんて」
ロンロンの言葉にアルモは慌てて気持ちを切り替えると、エヘンと軽く咳払いをした。
仲間たちが、お、アルモ先生の講釈がはじまるぞ、なんて声をひそめて囁きあう。
「まぁそれはもう使えない石だけどね。これのおかげで随分と航海も楽になったらしいよ。帆船時代なんて俺には想像もつかないけど、このエオニア内海はあまり海が荒れることもない代わりに、凪もおおいから大変だったとか。船長が言ってた」
ポーノティース号の船長は、帆船が主流だった時代からずっとこの海を航海してきたらしく、この海のことは誰よりも詳しい。アルモは船長から、これまでの航海で出会った様々な冒険譚を聞くのが好きだった。特に海賊の一団と戦って返り討ちにしたという話は、いつ聞いても胸がスッとする。
昨今では海上の警備も一団と強化され、平和になりつつあるエオニアの航海だが、今でもときおり海賊の噂は耳にしていた。
もっとも、航海の度にいくつかある海路のどれかをランダムで選んでいるこのポーノティース号は、今のところそんな危険に見舞われたことはなかった。海賊も船を襲うには色々と準備がいるらしく、警備も堅く動きの読めないこの船は、まず標的にされないのだという。
「お金持ちが沢山乗ってるのに?」
「そりゃ、成功すれば一攫千金になるだろうけど。襲うことすら困難だってこと」
「でも、センセイが……この船は危ないって言ってたよ?」
不吉なこと言うなよー、と動力機関を磨いていたキッシュが気にした風でもなく笑う。
「危ないのに、ロンロンさんにこの船を勧めたの?」
「危ないからだよ。もしなにかあったら、みんなを助けてあげなさいって」
本来、客の安全を守るのは船員の仕事だ。危ないことが起こるなら、ロンロンは彼らに守られる立場にある。それでもロンロンは、本当に危険が迫ればみんなを助けるつもりであるらしい。それが伝わってくるほど、ロンロンの表情は真剣だった。だからアルモはすぐに返事が出来なかった。見るからに頼りげない青年なのに、彼は本気だった。
しかし、ロンロンの顔を見ていなかったキッシュはそれを笑い飛ばす。
「ロンロンさんには確かに助けられてるけどさ」
彼のいう「助ける」と、キッシュの言う「助ける」がまったく別物であるのは誰が聞いてもわかる。それでもロンロンは気にした様子もなく、キッシュと一緒に笑った。
「ボク、セイギのミカタだから」
「は?」
これにはキッシュだけではない。微笑ましく話しを聞いていた船員たちもロンロンを見た。なんだかひどく懐かしい言葉を聞いた気がして、アルモも目を瞬かせる。
「セイギのミカタだから、どんな危険が迫っても必ずみんなを守るよ」
誰もなにも言わない。ただ、どこか気恥ずかしそうに視線をさまよわせる。正義の味方なんて言葉を聞いたのは、子供の時以来だ。それも、物語の中だけのことである。実際には正義の味方なんて存在していないことは、とうの昔に解っていた。
だから恥ずかしい。ロンロンが純粋な目をしていることが、余計に恥ずかしい。
言葉に出来ない複雑な気持ちを抱きながら、返事も出来ずに全員が自分の仕事を再開させる。アルモも頬が熱くなるのを感じながら、シャベルを構えた。
「あ、これ運ぶんだよね?」
「あー、いいよいいよ。ちょっと分ければ俺一人でも運べるから、ロンロンさんは――」
空いたトレイをお願い。と言おうとして、アルモは目の前の出来事に言葉を失った。アルモどころか、キッシュや他の船員たちも固まる。
そこには、トレイを頭に乗せた状態で屑石の箱を抱えるロンロンがいた。しかも相変わらずどこか気の抜ける笑顔を浮かべたままだ。
彼が持てなかったと言うことは、キッシュたちでも運ぶのは無理だろうと思われる重量のはずなのだ。からかってはいたが、誰もがその事を理解している。しかし目の前のひょろりとした印象を受ける青年は、サンドイッチの乗ったトレイと変わらないような態度で箱を抱えていた。
「どこに運べばいいの?」
訪ねられて、アルモは慌てて機関室のドアをあける。ロンロンはアルモに従って機関室を後にし、残された船員たちは未だ信じられないといった様子で、目を瞬かせていた。
「人は見かけに寄らないって奴?」
「いやほら、なんたって正義の味方だし」
乾いた笑いが室内を満たした後、しばしの沈黙。
それから示し合わせたわけでもなく、全員がいっせいに閉じたドアを見た。
「んな馬鹿な!!」
船員たちの絶叫がハモる。
いつだって海の男たちは息がぴったりだった。




