第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み12日目】その3
*▶︎▶︎pers.HINAGI
頼光くん、晩ごはんは今日も残さず食べていたけれど、やっぱりツラそうだった……。しょっちゅう手が止まっていたし、終わりの方は無理やり呑み込んでいたんじゃないかしら。献立も分量も、お母様が板長の龍銕さんと相談してきっちり決めていることを、頼光くんはよく知っている。だから、どんなに食欲がなくても、彼は絶対に残さない。無理にでも食べ切る。彼は、そういう人だもの。
でもお母様は、満足そうだった。自分が決めたことを、頼光くんが一生懸命守っているから。激痛を伴う治療にも音をあげず、食事もすべて平らげ、温泉も毎日欠かさず入っている。私の家庭教師の時間だって、ウトウトしながら必死についてきてくれている。
でも、私は、お母様のように冷徹になりきれない……。
痛々しくて、見ていられない……。
なぜだろう。いつものようには、割り切れない。今回に限って、なんでこんな……。
——しっかりしなくては。
すべては、お父様のため。この館のため。
私は、ここの跡取りだもの。
いまここで迷ってしまったら、これまでやってきたことが全部無駄になってしまう。心を鬼にしてここに連れてきた人たちの尊い犠牲が……。
ただ——
今回は、これまでとは、違う。
これまでとは、ゴールが違う。
それは、ずっと望んできたはずのゴール。
ついに、そのゴールに耐えられる人が見つかった。
それは、やっとお父様と館を救えるたしかな希望。
でも、頼光くんにとっては……無慈悲な結末。
何も知らない彼は、私のため、女将さんのためと言って、笑顔を作り、応えてくれている。
彼の笑顔を見るのが……苦しい。
気がつくと、頼光くんの部屋の前に立っていた。
ためらいの混じったノックをする。
小さく返事が聞こえてから少し経って、もう一度、声がした。
「あの……すみません、カギ開いてるんで、どうぞ」
「お邪魔するわね」
頼光くんは、ベッドの上でゆっくり上体を起こしているところだった。
「すみません、ちょっとウトウトしてたもので」
私は、勉強机の椅子を借りて、腰掛ける。
「具合、悪かったの?」
「いえいえ、眠かっただけです。ほら、ご飯食べたあとは僕、すぐ眠くなっちゃうでしょ?」
また、笑顔を作っている。
「ヒナギさんからは、赤ちゃんかよってツッコまれましたけどね」
護刀が、枕元に置いてある。
「あの、僕、かなり心配かけちゃってるんですね……昼間のときといい、いまだって様子見にきてくれたんでしょう?」
「まぁね。とってもわかりやすく疲弊しきっているんだもの」
「たはは……メンボクありません。あ、でもホント、なんとなくわかってきてるんです、身体の使い方っていうか、疲れとのつき合い方っていうか。なによりアザの改善が目に見えて著しいので、メンタル的には上がってきてるんですよ」
違うんだよ、頼光くん。違うの……。本当はね、それは改善じゃなくて……。
「治療が毎日ってなってとき、な〜んか女将さんも怒ってる感じだったし、正直ヘコみましたけど……いま思えばあれって、愛のムチっていうか、ホントに僕を治してくれようって本気出してくれたんですよね」
まただ。また、そうやってムリに好意的に……。
「それに、考えてみたら、治療を毎日長時間してくれてる女将さんだって、しんどいはずですよ。ヒナギさんだって手伝ってくれてるわけだし、キツいのは僕だけじゃないですもんね」
わかってない。あなたは、なにも、わかってない。
「あの女将さんがやってくれている治療って、薬湯も使うけど、なにか詠唱しながらずっと手をかざしていますよね? ときどきは椅子に座るけど、ほぼ立ったままだし。あれ、絶対疲れますよね?」
そう。疲れるのよ、あれは。でもね、あの疲れる作業の1秒1秒が、確実にあの人のためになるの。正確には、この館のためだけど……それはつまり、あの人のためなの。だからあの人は、やっているの。そして私は、あの人に逆らえないから……。
「なんとなくわかるんですよね……激痛でそんな余裕はないはずなのに、なんか伝わってくるんです。女将さんがなにか目に見えないチカラを僕に注入してるっていうか、その振動みたいなものを感じるんですよね。きっとそれで僕の体内の呪詛……毒素みたいなモノを消してくれてるんだろうなぁ」
ある意味で、それは正しいわ。あの人は、あなたの身体を切り開いて手を突っ込み、直接内臓を掴むようなことを、霊力を使ってやっている。でもそれはね、毒素を排出させるみたいに呪詛を消すというような、単純なことではないの。あなたを快復させるためだけにやっているわけではないの……。
あなたのためなどでは、ないの!
あなたは、あの人の荒療治の対応の仕方がわかってきたって……身体の使い方がわかってきたって言うけれど……それはね、破滅への道が開けたということ。自分のお墓を自分で掘っているようなもの。自分を死へ追いやろうとしている人を恩人と勘違いしながら……。
その護刀だって——
「とにかくヒナギさん、僕はあなたが思うよりずっとタフだから、大丈夫ですよ。それに、これだってあるし……」
だから、違うんだってば! その護刀だって、つまりは——
「これを手に取って眺めていると、心が鎮まるんです。女将さんやヒナギさんの親切が、ヒシヒシと伝わって……」
「そっ、そんなものっ!」
体が勝手に動いて、護刀を奪い取った。ずっと溜め込んできた思いが、もう抑えきれなくなっていた。
私は、憎しみを込めて護刀を壁に叩きつけた。
「なっ! なにをっ……」
頼光くんがベッドから飛び降りて、よろけながら護刀を拾い上げ、抱きかかえた。
「ちょっと! ヒナギさんっ、なにしてるんですかっ!」
「うるさいっ!」
心の底から涙が湧き上がってくる。それが感情とともに言葉を押し出す。もう止められない。
「もうやめて! もうたくさん! そんなものをありがたがって……」
「なにを言って……君が言ったんじゃないか! とても大切なものだって……君が言ったんだ! だからこれには君の厚意がこもっていると思って……僕の支えになってるのに!」
「なにが支えよ! そ、そんなにフラフラになって……」
「大丈夫だって言ってるだろ? 僕の身体のことを僕が言ってるんだ、大丈夫なんだったら!」
「なにも知らないくせに!」
「……え?」
「なにもわかってない! あなたはなにも……お母様のことも、私のことも」
「ちょっ、なにを言ってるのか……」
「もういやっ! もうたくさん!」
ドアを突き破るようにして開けて外に出る。階段を駆け降りる。お母様がいないことはわかってる。あの人はいま頃、帳場で一人、自分の<計画>のことを考えている。あの人の頭にあるのは、それだけだ。いまのあの人には、私がなにを言ったところで、なにを訴えたところで心になんか届かない。
私は、たまらなくお父様に会いたかった。会ったところで話なんかできやしない。ただ眠り続ける姿を見守ることしかできない。それでもいい。無性にお父様のお顔が見たかった。
本館に入り、廊下を走り続ける。頭が痛い。このところ、ときどき襲ってくる痛み。こめかみのあたりが割れるように痛くなって、ジャリッジャリッというノイズみたいな音に襲われる。
「……いったぁい」
走りながら頭をかかえる。なんだろう、痛みが、いつもの比じゃない。痛い、痛い。ズキッズキッとこめかみの血管がうずく。ノイズが頭の中で銅鑼みたいに鳴り響く。
それが、声になる。
(( オ……ノココ……エヲ……ケ ))
「なに? なんなの? ああもう、いったぁぁい!」
たまらず、足を止めて頭を振る。
声が、次第に鮮明になる。
(( 己ノ、心ノ声ヲ、聞ケ ))
「なんなのよ、これ……」
頭を抑えながらフラフラ歩いていると、
ドンッ!
なにかに、いや、誰かにぶつかった。
「……ご、ごめんなさ……」
それ以上の声が出なかった。
首が、絞められて、息が、できない……。
物凄い力で、首に指がめり込んでいるのがわかる。
わかる。
まだ、大丈夫だ。
こういうときは、まず、力を抜く。
首を絞めている相手の手に、親指が入れば……入った!
私は、護身術で相手の手首を極めた。
相手は、ストンと膝をつく。そうしなければ、手首が折れるのだ。
そのまま相手の行きたい方に導いて……投げる。
相手は、廊下に叩きつけられた。
見覚えのない大男。
眼が真っ赤に充血し、口から涎を流している。それは、投げられたからではない。後頭部が床に激突しないよう配慮したのだから。
これは——症状だ!
「あなた、ケガレに……」
押さえつけていた相手の腕に、凄まじい力が入る。尋常な力ではない。
「やめなさい! そんなムリな力を入れたら、腕が……」
普通なら制圧できるはずなのに、大男は、どんどん身体を起こしている。このままだと、この人の腕が……。
「ちょっと! ダメだってば……折れちゃうってば」
鈍い、生木がゆっくり折れるような音がした。
その瞬間——
「キャッ!」
私の身体は跳ね飛ばされ、壁に激突した。骨が折れたのをものともせずに、大男は、私を投げ飛ばした。
「……あり得ない。こんな無茶苦茶な……」
大男が突進してくるのを、床にうずくまって、やり過ごした。ただやり過ごすだけではなく、相手の足をすくうような動きをする、これも護身術の技の一つだ。
勢い余って、大男は自分の勢いで廊下の向こうまで飛んだ。
私は、自然体で立ち、次の突進を待つ。
大男はゆっくり歩み寄り、突然ダッシュして急接近する。私は、その動きに逆らわないよう体捌きをし、相手の腕を取って投げる。
大男がすぐに立ち上がって、また突進。
「もうっ、キリがない……」
なんとか抑え込まなくては……と計算していると、廊下の向こうから頼光くんが現れた。
「えっ? なんで?」
「ヒナギさん!」
「ダメ! 来ないで!」
頼光くんは制止を聞かず、大男と私の間に立った。
「逃げて! ヒナギさん!」
「なに言ってるのよ! あなたこそ……」
一瞬、私の方を見た頼光くんの首を、大男が鷲掴みにした。
「……グッ……ゲッ……」
「頼光くんっ!」
大男の手は、今度は隙間がないほど頼光くんの首に密着していて、はずしようがない。腕をどうにかしようとしても、丸太のように太い上に完全に力が入っていて、操作できない。
「頼光……くん」
どうしようもなくなって大男の腕にぶら下がり、なんとか首からはずそうとするが、ビクともしない。頼光くんの口から舌が絞り出され、眼球が押し出されてきた。まずい……まずい!
もう手段を選んでいられず、私は大男の股間を思いっきり蹴った。ごめんなさいっ! でもこれで……。
「ええっ? ダメなの?」
大男は、何事もなかったかのように、口から涎を垂らして首を絞め続けている。
「ど、どうしよう……」
助けを呼ぼうにも、もうそんな余裕はない。もう、頼光くんの意識が……。
頼光くんが、腰のホルスターに手を当てている。蜥蜴丸を使うつもりだ。でもそれを使うのは……。いや、それどころじゃない。もう蜥蜴丸を握る力も……。
どうしよう。私が使うしかない。私が蜥蜴丸をあの腕に突き刺せば……。
でもそうなったら、私が蜥蜴丸の呪いを受けてしまう。使った者に不幸をもたらす呪いを……。
あの刀のために、頼光くんの暴走も期待できない。
「頼光くんっ!」
ダメだ、ぐったりしてしまった。もう、もう迷っていられない!
私は頼光くんのホルスターから蜥蜴丸を抜き出し、柄に手をかけた。
と、そのとき——
大男の手が離れ、頼光くんは床に落ちた。
「え? え?」
大男は自分の首を抑え、廊下に横たわって、苦しそうに悶絶し始めた。
「な、なにが……」
「ヒナギちゃん!」
駆け寄ってきたのは、高堂さんだった。
高堂さんは、頼光くんを介抱しながら、なにか詠唱している。やがて、大男が動きを止めた。
「ふぅ〜っ、ヤバかったなぁ」
頼光くんの脈を確認すると、高堂さんは、その隣に胡座をかいた。
「大丈夫。ちゃんと呼吸してるし、脈も正常だ」
「高堂さん、どうして……」
正座に座り直し、頭を下げる。
「すまん、ヒナギちゃん! うちの重光がとんだ迷惑をかけちまって」
「ちゃんと説明してください、高堂さん。これは一体……」
高堂さんは、頭を掻きながら話し始めた。




